ゆすり

オンリーさん親子(米兵N・T・LEASH、妻冴子・娘リサ)に白百合の幹部がからみます。もちろん“ゆすり”です。この親子は一見して豊かにくらしているのが知れるからです。親子揃いの服装なぞ贅沢の極なのです。
顔に青あざを見舞われ、何がしかを脅し取られた冴子さんは、駅前派出所巡査(小川さん)に訴え出るも、パンパン同士の喧嘩は両成敗と耳も貸してくれなかったとのことで、冴子さんは米兵の彼に訴えたところ、彼はMPにその旨を話したところ、直ちにMPは暴力を振るった白百合幹部を連行し、女は何日かをモモテハイツ内のモンキーハウスに留め置かれ、検診の結果性病と判断され、国立埼玉病院に入れられたのですが、彼女は一週間程毎日処方される高貴薬ペニシリン錠剤の内、幾粒から隠し、退院時にはその数十粒を持ち出し、娑婆に出て仲間のハニーに高値で売ったという話。
又、彼HEELさんはMPに訴えの際、冴子さんの被害は無論のこと、娘リサの目の前で母が暴力を受けた際のリサの心の傷を大きく取り上げたということでした。白百合幹部の女どんな罰が下ったかは不明。
ちなみにこの母娘の衣裳は下赤塚川越街道に並んでいた中国人ドレスメーカーに注文したものです。(代価は不明だが数十ドルには間違いない)
金ちゃんの紙芝居

広告

富士見商店街(下)

畑は遊び場畑という畑は子供達の遊び場でした。所々に室(ムロ)と呼ばれる穴が掘られていて落ちてしまうことがありました。室の中は種芋やら麦わらが入っていてそうした訳が決まってでっかいガマガエルがいたんです。

室畑という畑は子供達の遊び場でした。所々に室(ムロ)と呼ばれる穴が掘られていて落ちてしまうことがありました。室の中は種芋やら麦わらが入っていてそうした訳が決まってでっかいガマガエルがいたんです。

コエダメまた畑には”コエダメ”と呼ぶのがあって大きな材角やらコンクリートで作られてたものが埋められ農家のおじさんが近所から集めた”オワイ”(くそ、小便)を入れて寝かせているのですが、時々遊びに夢中で落ちる子がいました。これは部屋代を浮かせるため麦畑へ米兵を連れ込んだパンパンの目の前でGIがたっぷりの”コエダメ”に落ちてしまったのです。現岡1丁目で学校帰りに目撃したものです。

コーモリ傘雨の日はゆううつです。傘が必ず盗れたのです。初めは黒いコーモリ傘で東京のおばあちゃんが、くれたもので大切にしてたもの。次からは安い唐傘という紙と竹で出来たもの。それは全て盗まれます。当時雨の日でも傘もなく通学の子も多かったので仕方ないです。業を煮やした母は家業のせんべい屋で客に貸し出す屋号入りの大きな番傘を持たせるのですが、それすら盗まれたのです。女の子は芋の葉を傘にしてます。下駄は歯の高い雨の日用のものです。

甘えっ子ただ雨の日の良いことは母の膝で絵本を読んでもらえることです。入学前から繰っていたもので、3年生になっても続いていました。ある時友達に見つかって”甘えっ子”が広められました。僕の好きなのは横山隆一の”ふくちゃん”田河水泡の”のらくろ”宮尾しげをの”日の丸旗之助””○□サン・ゝ助サン”です。

うんてい秋が来て運動会が近くなると体操時間はその練習に当てられます。女のかは黒いブルマー男の子はズボンを脱いだだけの普通のキャラコのパンツですが運動会の日は新しいパンツになりました。僕は運動が得意でしたが、ただひとつ”うんてい”というのが苦手です。上手に体をふって次に進むことが出来ませんでした。男の子は運動会でも裸足でした。せいぜい裸足足袋をはきますがすぐ破れ結局は裸足が一番丈夫なのです。ちなみに母は近所の女の子にブルマー製ってやっていましたがその型紙に”女子運動用黒布襞入裁着袴”とあります。

おびとき第二小学校に隣接する、岡氷川神社のおびとき(七五三)風景です。休み時間になるとぼく達は宮参りに来た人の先にかけ寄り赤飯、みかん、飴、まんじゅう等々配ってもらいました。米兵の服をまねた祝い着のこどももいます。中央の大樹はいちょうで子供が四、五人手をつないでやっとかかえられる程のものでした。夏はこの下で授業をすることもありました。教室は扇風機も無かったのです。

すずめ10円秋になると雀は大いに太るのです。それをこんな仕掛けでつかまえ。大人の酒の肴にしますがざるには入るのですが、いざ手を入れてつかまえる時に100%逃げられました。この雀を一羽いくらで買い集めるおぢさんがいたのです。確か10円とか20円だったと思います。一杯飲み屋には”すずめ焼き”といふものあって100円近い価だったようです。コッペパン1コ10円、納豆同じく10円の頃です。

富士山に届け冬が来て……冬休みになって、ぼく達は凧あげに興じます。竹を細かく割いて家族で作る人もありますが、僕は第二小前の駄菓子屋、文房具を商う「けんちゃん」「かくちゃん」でかいました。商店街の裏手の畑に出れば西南の方に富士山が見えいくつもの凧が富士山に届けとばかりに上がりました。パンパンも米兵も一緒に揚ました。この町のパンパンはぼく達とも顔見知りで誰一人パン助なぞと蔑む子なぞありません。「お姉さん」と呼びました。僕たちはお姉さんとも米兵とも仲良しでした。

富士見商店街(中)

長靴は仲間の証広場に集まる子供達です。長靴を履いているのは中学生のガキ大将ですが、洟をたらしてるんです。長靴は仲間の証。ある種のファッションです。何となく小汚い服装ですがこの中に3人お姉さんが特定の米兵のオンリーさんの子がいます。分かりますか?少々さっぱりとしてるんですが。

変電所ここは変電所、屋上は僕達の遊び場でした。それに並んで駅の社宅が建ちます。桜も満開です。ここは駅にも近く草地で夜は真っ暗になるのでパンパンの仕事場に利用され、子供達が遊ぶ朝になると使わえれたコンドームがたくさん落ちていて子供達はそれを”風船あそび”といい、ふくらませて遊びました。誰も汚いととか思っていなかったんです。右手隅にある風呂桶は広沢の池にたむろするパンパンに盗まれる風呂桶です。それも我家のリヤカーに乗せてのこと。もちろん桶は彼女らの風呂になりリヤカーは売られてしまったのです。

うまとび男の子はうまけり、うまとびを遊びます。ぼくはこの遊びが嫌いです、前の人の股に頭をつっこみますが、そのお尻がほこり臭く中にはうんち臭い奴もいたんですから。

竹うま竹うまは誰もが自分で作りました。中学生位になると自分の背丈より高い馬を乗りまわしました。上手になると走ることも出来ます。大抵は裸足で乗り竹を足の親指と代二指でしっかり挟んでましたから可能なのです。

ミッちゃん女ターザンと呼ばれた高野のミッちゃんは男の子の遊びは何でもやりました。それがまた上手でメンコ、ビー玉、ベーごま、まで常に負けるぼくの代わりに仕返しといってガキ大将から取り返してくれました。ミッちゃんはぼくより4才上のお姉さんです。チャンバラも男の子に混じってとってもかっこよかったんです。

紙芝居の太鼓紙芝居の太鼓のおぢちゃん高野さんは女ターザンみっちゃんのお父さんです。だみ声の紙芝居で少女の声色をやるんですから子供達は大笑いです。他に二人くる紙芝居は水飴を買わない子等は”ダメ”といって見せてくれませんが高野さんは皆に、おいでおいで、してくれました。ちなみに水飴は平均5円で求めますが、中には2円の子もいますし、中学のガキ大将は10円20円と買いました。ぼくはいつも5円です。高野さんがやさしいのは自分も7人の子持ちだったからでしょうか。

マスコットボーイある日広場に私服の米兵につれられ米兵と全く同じ服装のマスコットボーイが”僕も仲間に入れておくれよ”と現れました。ぼく達は言葉づかいで東京の子とすぐわかります。僕達には”おくれ”なんて言葉はありません。”くんな”です。真っ白なTシャツに新しいジーンズ。スリッポンの赤い靴。胸には茶色い袋にクッキー、チョコ、ガムがつまっていて、ぼく達に分けてくれたんです。その日彼は夕方まで一緒にかけずりまわって…あとのことは忘れましたがこの子、戦争孤児でマスコットボーイとは男色米兵のおもちゃだったのです。この子の後のこと否として知れません。

交歓の場、稲荷広場稲荷広場は建つ町内会館は荒れ放題で夜はパンパンと米兵の交歓の場として利用されますが、昼間と何かの催し物がある時はぼく達のものです。これは初午の宵宮、青年団は酒盛りをし、中学生のガキ大将もまじってHな話(当時は助平な話という)をして笑いころげます。小学生のぼく達は町内会の用意したお菓子をいただいてとっとと追っ払われました。中学生の女子も参加しますが男たちにパンパンごっこを強いられ泣いて帰りました。中央におしりを半分出して立つのは”半ペタお冷”とよばれた乞食です。”半ぺた”は尻っぺた半分”お冷”はお冷ごはんでもいいからくんな、と家中を廻ることからです。

ランドマーク当時のランドマークは”火の見”と呼んだ櫓。その上を飛ぶ軽飛行機がビラをまいてます。ビラは駅前商店街の内、岡田屋雑貨店開業75週年記念感謝大廉売のくじは宣伝もの、町中の田畑に大量に撒かれ子供達、否、大人までもかけずりまわり拾い集めました。景品は何であったか記憶の外ですが「こんな芸当できるのはさすが岡田屋さんよ」としばらくは町中この話で持ちきりでした。

富士見商店街(上)

富士見商店街昭和23-28年頃の朝霞駅前通り、富士見商店街の図です。これからの話しは赤く塗られている成田家、三角屋、稲荷広場、東武鉄道変電所とその近くの畑での子供の遊びと暮らしの話です。ぼくの小学生6年間のことです。

駄菓子屋の三角屋三角屋と呼んだ駄菓子屋です。昔(朝霞駅が出来た大正三年では赤ちょうちんの一杯飲み屋を営んでいた)は池田屋という屋号だったそうです。その名の通り三角の店で水菓子と駄菓子、パン程度の店で、常お婆さんが店番です。ぼく達は”野球は巨人、キャラメルは紅梅”というキャッチ

紅梅キャラメル
紅梅キャラメルです。メーカー品のキャラメルが20円ですが、コレは10円でぼく達はキャラメルはほとんど口にせず中に入っている野球カードが目当てで巨人選手を1チーム集めると色々な景品がもらえたのです。その送り先は東京都世田谷区松原町4の336紅梅製菓株式会社でこの時”御中”を付けることを母から教わったのです。 野球と言っても三角ベースで誰もがホームラン王、川上哲治選手の16番でした又バットも川上選手の赤バットをまねパンキで赤くしました。ある時仲間にしてくれと新顔が現れまして、ガキ大将が背番号を付けこいと命ずると彼は漢数字の十六で出てきました。「おばあちゃんが付けてくれた」とのこと、大笑いしました。ぼくは独り彼を「二八そば」と名したのです。

成田家の宴会三角屋と背中合わせの成田家ではほとんど毎晩宴会があり三味線や太鼓がきこえてきます。小鉢たたいて猥歌がなりたてます。芸者と呼ぶ女の人も夕方になると続々とつめかけドンチャンさわぎです。踊っているおじさんは三角屋の主でお酒大好きでちょっと顔知りが居れば席へ顔を出し踊るのですが、この後に酒が入ると全裸になり、手にした盆の上におちんちんをのせて芸者たちをキャアキャアいわせ悦に入るのです。又芸者といわれる女達はどれも無芸の枕芸者で客の求めで一人二人と別室に消えるのです・・・・・。

のぞきこの様子を近所の子供達は黒板塀の節穴からのぞきます。三角屋のおじさんのこの芸は誰もが知っています。いつしかおじさんんのおちんちんは2大根のみそづけみたい”の伝説が子供達の間に広まったのでした。

レストラン・ポニー三角屋の前にポニーに引かせる幌馬車が停まっています。コレは南栄にある”レストラン・ポニー”の客を送迎するもので、ぼく達も時々乗せていただきました。駅前通りをまっすぐ西に向い長峰ふとん店の角を左折し、営団をぬけ、川越街道に出て左折しサウスゲート前を通ってイタリアンレストランポニーへ到着です。ここの主人は同級生平山くんのお父さんです。この幌馬車は町内100円均一のタクシー代わりもしていました。客は無かったとのことですが、米兵は好んでハニーさんを抱いて乗り込んでいました。

平山君のお母さん父母会ですがどこもお父さんが来ることはなく、たいていのお母さんは真新しい割烹着で足元は下駄ですが、平山くんのお母さんは末広がりのきれいなワンピースに赤いハイヒール。それだけでも皆おったまげるのに網の付いたボネットまでかぶってたんです。誰かが言いました。「平山の母ちゃんはアメリカ人か?」あとで分かることですがお母さんは新宿文化服装学院の先生であり家では英会話や料理を教えてた人です。以降ぼく達は平山くんに対する目の方向が少し変わりました。おぼっちゃま扱いです。

馬車
馬車を使った運送業の馬方の仁平さんは学校帰りのぼく達を空っぽの帰り車にのせてくれました。平山君のポニーの幌馬車と違って汚いし臭いしだったけど子供達はこっちに軍配を上げました。 馬が歩きながらうんちをオトしますのを仁平さんが手づかみに拾いバケツに入れ持ち帰ります。畑の肥料にします。腰が90度までに折れちまったおばあちゃんが歩いてます。年寄りになると腰が曲がっちゃう人が多かったのです。ほとんど地面をなめているみたいな人もいたんです。若い時分からの重労働の結果と言われてました。

遊び場の駅前稲荷広場駅前稲荷広場は駅前富士見地区の子供達の唯一の遊び場です。ここにも米兵とパンパン、それに首輪のない犬がいつもいます。ビー玉、メンコ、べーごまは定番のあそび。赤ちゃんをおんぶした子守っ子やお手伝いさんも遊びに来ます。

夏の思い出

かき氷夏の声がすると三角屋斜め前の井戸屋は縁台とよしずを張ってかき氷を始めました。ハニーさん達はラムネや氷水を飲みながら米兵を待ちます。氷水のタネは、イチゴやミカンなどと呼ばず、赤、黄色、みつ、あずき色と色で呼びます。赤と言っても、何らイチゴとは関係なく、赤いサッカリン甘味の水をかけてくれただけです。

アイスキャンディー売りアイスキャンデー売りも来ます。一本5円で、かき氷と同じ味です。食べ終えると口の中は、その色素で染まりました。金魚売りのおじさんが二人来ました。若い方は「いなせな兄さん」とか「容子がいい方」と、ハニーさん達に人気で、よく売れました。何でも東京江戸川の方から来たと言っていましたが、そこから天秤棒をかついで来たのでしょうか?小春と呼ばれる金魚すくい用のは一尾五円でしたが、ヒラヒラの尾の付いたのは百円とか二百円もしたんです。高価なのを二尾も三尾も買っちゃうオンリーさんもいました。
スイカ割り母が勘さん八百屋に大きな西瓜を持ってこさせ、皆で西瓜割りをして遊びました。ぼくの友達も知らない子も来ました。ベリーさんもハニーさん達も、女親分のゴリラの照子さんもいます。その対面する場には近所の男衆がいます。腰を落とすハニーさん達のM字座りの、Mの中心の谷辺りに男衆の目が光ります。楽しいひとときだったのでしょう。夏の間に何度かあった西瓜割の終わりはハニー嬢達のM字座りも増え、それが目当てか知らないお兄さん方の顔もあり、小さな庭はいっぱいでした。駅前駐在さん目も光っていました。

O君
夏休みが終わって同級生のO君は僕に「果し状」を突きつけました。何でも西瓜割に自分がを呼ばれなかった事が原因らしい。Oは大人と同じ位の背丈で僕よりも20cmも高く、おまけに小五なのにチンチンに毛が生えているという噂だった。そして西洋館前の畑で首を絞められた。僕は引きづられるように組みつき、Oは湧き水の流れる野川に足を滑らせ、僕を上にしたままガボガボ水を飲んだ。僕が勝利したのに、僕の一等悲しい思い出です。なぜかOは僕を目の敵にして「パンパン屋のチビ」を繰り返したのでした。色白のOは今で言うアイドル系の顔で女子にモテモテでしたが、常に赤く濡れたように光っていた唇が、僕には気味が悪かった。

その後のO君

そして僕が高校2年の夏、池袋駅で随分年上の女と一緒にいるO君を見ました。女は浅黒く、Oの色白が余計に目立ち、「オレョォ、組に入ったからよぉ。この辺りで何かあったらオレの名前出せばいいぜ!」と、猪牙舟の如き先のやけにとんがった靴が目立っていた。「これオレのスケ、ハクイだろ」と言われた女はガムを噛む口をゆがめてニタッとした。「この辺りで何かあったら、オレの・・・・」は、チンピラの決まり科白。たまたま、名を出した友達が余計に袋だたきにあった話もあった。対立する組織のチンピラだったのだ。その後、Oは若頭とか言う兄貴分に出世したと風の噂で知ったが、それっきりです。

ペンちゃん
”OFF LIMITS”を切り抜いたペンちゃんです。彼はキャンプに務めるペンキ職人ですが、画家志願で常にスケッチブックを抱えています。ある時そっと覗いてみたら、繰っても繰っても裸のきれいなお姉さんばかりでした。黒いベレー帽と紫色の首巻きはペンちゃんのトレードマークです。

イタクラさん
この人はイタクラさんと言う写真屋さんで、やはり朝に夕に我が家に立ち寄り、休みの日は終日我が家にゴロゴロしてました。この頃の僕の写真はすべて彼に写してもらったものですが、ペンちゃんもイタクラさんも実は我家に居たベリーさんやタミーさんがお目当てだったけど、うまくいかなかったみたいです。子供の僕には、これ以上のことはわかりません。

ダイナマイトボデーいつの間にか我が家に寄りつかなくなり、朝霞から消えたペンちゃんは浅草のストリップ劇場の看板描きになっていました。この絵は、僕が中学に進み級友と浅草国際劇場に何だから観た帰り、六区を歩いた時に目にした浅草座の看板で、ペンちゃん作です。ダイナマイト”ボデー”と”レギラー”が私のお気に入りです。金髪のジンジャー・レイ嬢はミネソタの出でもない日本人です。当時この世界では髪を染めると”外人”ということになり、高給がもらえたそうです。大卒の初任給が1万2千円前後の時、金髪染めの給金は2万円もしたそうですから、ミネソタ嬢になるには大枚をはたいたのでしょう。

かよちゃん我が家に長期滞在していた「かよちゃん」はオンリーです。もう一人、町で評判の美人ベリーさんに次ぐパンパン、いやハニーさん達の言うところの”一流のパンパン”です。僕にはその意味がわかりませんが、かよちゃんはいつも清潔で礼儀正しく、僕ら子供達にもていねいに接してくれた人です。シアーズのカタログで米国から取寄せた服で里帰りした時、田舎町の子供達が当時流行していた歌謡曲の”こんな別嬪みたことない”を口づさみ、後をついて回ったとか。かよちゃんは東京でデパートガールをしていることになっていたとか。当時デパートガールは花形の仕事で、誰もが叶う仕事ではありませんでした。きっと一流のパンパンだから、そんな嘘が通ったのでしょう。

20
おしまい

またみてね
またみてね

あか、おにげよ早く!くわれちゃうよ

OFF LIMITS
駅前富士見通りです。商店街と言っても、店員に挟まって仕舞屋(しもたや)あり長屋あり、物干しには着古した浴衣なんぞで作ったオシメが干してあったり、柿の木が道に枝をのばしてたり・・・農家のおじさんが「汲ましてくんな」と肥桶を担いで通りもしました。MPが日本人労働者に、型紙を使ってOFF LIMITSとペイントさせています。OFF LIMITSを厚紙に切り抜いたのはペンちゃんで、毎日我が家にお茶を飲みに立ち寄っていました。型紙作りは1枚50円になり、因みに黄色の箱の森永ミルクキャラメルは20円でした。

ソイソーステイスト ライスクラッカーこの商店街(富士見通り商店街)で、父は煎餅を焼き、卸売りをしていました。前出のお気狂っあん(裸のおばさん)はクズ煎餅でお茶を飲みに来ます。ちなみにクズ煎餅は九助もしくは久助と呼ばれて、格安で売ってもいました。マドロスパイプのモク拾いのおじさんも米兵の捨てたタバコを拾いに商店街を行ったり来たりしています。丸い大きなガラス瓶に入ったあられ煎餅を米兵は珍しがりました。店番の母は答えます。「ソイソーステイスト ライスクラッカーよ。」

犬殺し

鳥居は駅前稲荷です。現スターバックスの裏手とみずほ銀行に挟まれた所にあり、少しばかりの広場がこの辺りの子供達の唯一の遊び場でした。子供は犬が好きで、犬も子供が好きで、よく野良犬と一緒に遊びましたが、時々「犬殺し」と呼ばれるおじさんがやって来て捕っていきました。保健所の野犬捕獲員でなぜかマスクに黒眼鏡でしたので、黒い眼鏡をかけている人をこっそり「犬殺し」と呼んでいました。白いヘルメットに白い手袋、白いスパッツのMPは彼らの見事な捕縛の技に感心していました。

あか、おにげよ!
赤犬はどこかの誰かさんがさらって行って喰っちゃうのです。ぼくの赤犬「マル」もさらわれました。そして我が家のリヤカーが盗まれた事件を追っていた駅前駐在所のお巡りさんが南栄のある所で、景気よく肉をつついている一家に遭遇し犬肉であることを知り、出どころを問うと「煎餅屋の赤」と白状したそうで、その知らせのあった晩に僕は泣き通しました。赤犬は大そう美味だとかで、猫は煮ると泡立ち、酸っぱくてまずいそうです。ちなみにこの一家はお気狂っあんとこの「ハチ」も喰ったそうです。それからのぼくは赤犬を見ると必ず声をかけました。この頃は食料不足で何でも喰ったのです。ウサギやヤギ、鳩や雀はごく普通に、また何の肉かを知らずに喰わされている場合もあります。ヘビの焼きとりもそうです。

支那そばの屋台営田(現緑が丘)に夕方になると現れた支那そばの屋台です。ここの焼き鳥が安くて旨いと評判でしたが、ある時青大将をブツ切りにして串刺しにしているところを見つかり、姿を消しました。でも美味しかったそうです。ビールや清酒に挟まってデンキとあるのは浅草神谷バーのデンキブランのことだが、実はこれもまがい物だったそうです。

盗難事件盗まれるのは食肉とすべく犬ばかりではありません。洗濯物は日常茶飯のことでベリーさんの洗濯物と布団、シーツ、下駄、手拭いなどの一切が白昼に盗まれました。犯人は広沢池の観音堂を根城にするハニーさんです。ある時「おばさん、お便所貸してえー」と入ってきて、いつの間にか帰ったと思ったら玄関にあった履物、私のズック、母の下駄、ベリーさんのハイヒール、タミーさんのサンダルが消えていたそうです。おまけにガラスの鉢に入った金魚もそっくりやられてました。すごいのです。

根っこの道
駅から南栄へ出る観音様の道も夜間はさほどの人通りではありませんが、盗人達は平行した南栄へ出る「根っこの道」と言う細い木の根が凸凹と走る道を利用します。月の光だけが頼りの道です。

どろぼうの家
「どろぼうの家」と子供たちが呼ぶ、あるやくざの住む家がありました。ハニーさん達も暮らし、米兵も出入りし、僕は昼間でも行ってはいけないと、きつく母に言われていました。中学生達は「のぞきの穴場」と呼んでいました。毎晩のようにハニーさんや商店主、ポン引き、チンピラを集めて、花札賭博をしたそうです。

アヒルの正体
この家にはなぜかアヒルがたくさん飼われていて、はじめは誰もがアヒルは卵を採るためと思っていたのですが、実は番犬代わりでした。夜間に人が忍び込むと、アヒルは大騒ぎして鳴き、バクチの連中はアヒルが騒ぐと、「それポリ公(警察)だ」と言って逃げ隠れしたそうです。この辺りの雑木林も当然のことハニーさん達の仕事場として利用されていました。今の電話局の裏手辺りです。

ハニーたちのよそほひ五六態つづき

0
はじまるよ

ナンバーワンのベリーさん
朝霞駅前の多勢のパンパンガールの中で美人度No1を謳われたベリーさん。 黒人兵の彼は彼女に惜しみ無く金を与え、ベリーさんは下赤塚、 川越街道ぞいの中国人ドレスメーカーでアメリカナイズされた服をいくつも作らされていて、 同じパンパン仲間の羨望のまなざしを集めた。

志願者
そんな時 朝霞駅に降り立ったパンパン志願の娘です。 本当に身一つで中学を終えたばかりの少女はおどおどと白百合会のお姉さんに”顔を通す”のでした。 「◯◯から来ました、よろしくお願いします」

白百合会
白百合会という、パンパンのグループを無視し、米兵の袖を引き売春をする娘は極めて壮烈なリンチを加えられたのです。 これは駅前の日本通運、資材置き場での白昼リンチです。学校帰りの僕たちはランドセルを背負ってみてます。

リンチ!

同じく広沢の池でのリンチ場合。全裸にされ、泳げるも泳げないも池につき落とされ、 溺死寸前で引き上げるという。ぼくたち小学校は足がふるへて、その場を去ることもできませんでした。 「だれにも言うんじゃねえぞ!」パンパンの声にこっくりうなずくのがいっぱいです。

装いも変わります
白百合に入会した娘さんは上納金を納め朝霞での売春を認められ1年もすると、装いも変わります。 特にの変化は口紅をこれでもかとばかりに塗ることです。 下足は未だ下駄やサンダル、黒いズック靴です。

シアーズのカタログ
運よくやさしく金離れのいい米兵のオンリーになれた女は、 米国最大の通信会社シアーズのカタログから彼に註文させた”アメリカの服”で街に出る様になります。 こうなるとパンパンばかりではありません町の娘さんたちのあこがれの的となってしまうのです。

変身
どんなもんだい、2・3年前の姿はどこにもありません。 そしてあの赤い口紅は大人しい色に変化です。 あの眞赤な口唇は何んだったのでしょうか。 あこがれの「アメリカのナイロンのストッキング」ももちろん着用です。 おっぱいが尖り過ぎですって?そうこの時ブラジャーは円錐状に巻いたはりがねに布をかぶせたものだったのですから。 そうです、今日だとマドンナ、レディー・ガガの衣装でしか見られませんかね。

混血児
混血児もあちこちで見受けられます。でもだあれも遊んでくれません。 いつも一人寂しく猫を抱き犬をつれ、お人形を手にしてます。 時々悪ガキが近づき「おいチョコ持ってこい!」等と綾をつけると 「ハイ」と言うことを聞くのでした。 「合いの子」と呼ばれた子供は男の子は譲・丈・錠が付く名前が多く、まれに利喜なんています。 女の子は理、利が付き真里・恵利・利々です。どちらも英語の名に通じてるからでしょうか。 今の男の子に夫も雄も付かず女の子に子が付かなくなった走りでしょうか。

 かわりばんこ
黒人の子をおんぶする女はこの子のパパは分からないと言ふ。 名は忘れたがおでこの出たかわいい子で皆に凸坊と呼ばれていた。 お母さんも でんでんたいこ等与え凸凸とかわいがっていた。 もちろんこうして客をとります。その際子供は仲間がかわりばんこで面倒をみるのです。

じょうじと、じょうじ
二人とも合いの子。 二人ともじょうじ君。譲治と丈児ピストルのじょうじはオンリーの母さんで父は中尉さん。 刀のじょうじは「お父さんがわかんない」と母ちゃに聞かされた。 近所の子は遊んでくれないから二人はいつも仲良し。 刀のじょうじもピストルがほしいけど・・・がまんしてる。 じょうじ やるか!かもん じょうじ!

あこがれのアメリカ
あの日の小学生の私が中のアメリカです。とにかくあこがれたのです。

風呂泥棒
オンリー嬢が美しく装っているにも”乞食パン助”と呼ばれる売春婦達もいて、 彼女等は広沢観音堂に巣くって池の水を飲料に風呂にくらしています。 この風呂桶は朝霞駅社宅の共同風呂を盗んできたものです。 この桶を運ぶに用いたのは我家のリヤカーでリヤカーはどこかに売られた後でした。

検診日
乞食パンパンにもオンリーさんにも検診が義務づけられて 駅前では我家の隣にあった朝霞病院でした。朝から夕方までパンパンの長い列で 病気がみっかると、その場でMPにトラックにほうり込まれ国立埼玉病院へ連れられたのです。 当分営業はできません。

野犬
上手に検診をやり過ごしても町中をうろつく野犬にかみつかれ病院に来るパンパンも大勢いたのです。 昼間にかみつかれたという話はあまり聞きませんでしたが夜は多かった様です。 「夜の女だからしかたあんめい」農家のおぢさんがいいました「?」

眞赤なチャイナドレス
黒人兵専用のバーです。女給、もちろん客の求めで体を売ります。 一張羅の眞赤なチャイナドレスです。両脇にはお尻辺りまでのスリット。 バーには灯点し頃少女が花売りに来ます。チャイナドレスの女は黒人兵に金を2倍に言って出させます。 半分は己れの口利き代でストッキングに挟み込みました。

掘っ立て小屋

米兵との話がまとまると、彼女はBAR裏手にある小屋、パンパン小屋でお仕事です。 掘っ立て小屋、もしくは犬小屋とも呼んだ粗末な小屋です南栄にはいくつもありました。 中学生のお兄さん達は麦畑を匍匐前進のぞきに精を出し、その模様を得意に 小学生のぼくに等に話し聞かせるのでした。 絵は順番待ちのパンパンと米兵です。
ピンクの部屋

一方でオンリーさん達は夜になって働きに出ることもなく彼の訪れを待つのです。 これはベリーさん、黒人兵はトニーさんここは我家の八畳間ですが 二人の希望で部屋全面をピンクに塗ったのですが、 父はまさかと思った自慢の床柱までペイントされまっ青でした。 トニーさんの居ない昼間ぼくはベリーさんのこの部屋にしばしば遊びに行き コーシーをのまされ、クッキーをいただきトランプをして遊びました。 彼女は私をトシ坊とよび ぼくはベリー姉ちゃんと呼びました。 時々抱きしめてくれ、それはとってもいい匂いで・・・。 「もうトニーさんが帰ってくるから、帰っといで」母の声がするまでぼくはねばりました。 宿題なんてどうでもよかったんです。いやなガキです。
薬売りのユキちゃんユキちゃんです、毎年雪どけとともに我家にまわってきました。
富山の薬売り。昭和26年、27年と姿をみせませんでした・・・が
28年の雪どけ春と共に大変身のユキちゃんの登場です。

ユキちゃんがメリーに
彼女はオンリーさんになって若い米兵と
「おばちゃん!あたしユキと違うんよ、メリーになったんよ!」
色白のとっても別嬪さんでだれもが「あの薬売りの?」とびっくりです。

ユキちゃんとの再会
さて、そのユキちゃんのメアリー嬢と私は60年振りの再会をしたのです。
メアリー老嬢、なんたって彼女は84歳に成っていました。
そもそもは2014年の「市民が集めた朝霞の歴史展」で
この様な紙芝居をさせていただいたのがその因です。
ポスターをみて来てくれたのです。
彼女の希望により詳しい話はできませぬが、一時彼と共に米国へ渡るも破局。
以後青森三沢の米兵相手のバーに働き・・・流れ流れて
そしてあの頃のハニーの1人ベティさんともやりとりはあるとのこと
色々当時を聞かせてくれたが絵にも文にも許しは得られなかった。
トシ坊もお爺になったね」が最後の言葉で分かれました。

 

ハニーたちのよそほひ五六態

ハニーたちのよそほひ 五十六態
はじまるよ

はまち
米兵は夜の女、パンパンガールへ 「ハニー」と呼びかけます。 「はい!ハニー はまち?」てな調子。 僕ら小学生は 中学生のガキ大将に聞きます。 「はまちってなに?」 「いくらってこと」 「何を」 「お〇〇〇よぅ」 こうして駅前の子供達は おりこうに成って行ったのです。

ショート
左、「アメリカさんと知り合える」と着の身、着のまま朝霞へ 中、思い叶ってオンリーさんに成ったも吝いアメ公のため・・・ 右、・・・時々 南栄のバーで仕事をします。 もちろん裏の小屋でショートの客をとります。 昭和30年ショート ちょいの間、ちょんの間で約15分300円~400円 わんだら(1$)だったとか

ハイ!ダーリン
左、ふん!日本の男なんて・・・ 中、昼間も駅前をうろつきます。 右、水玉の真赤なスレアースカートは流行でブルーのカーディガン。 10cmはあろうか高いヒールの靴でたばこをふかし、 あるいはバブルガムをふくらませ、米兵にモーションをかけるんです。 そして「ハイ!ダーリン」なんてしなだれかかります。 子供の遊びに「ダーリンごっこ」もありました。

木のサンダル、真紅のドレス、ちりちりパーマ
左、腕まくりの男物のワイシャツ、木のサンダル手下げ袋の女の子。 手にした傘はどこか遠くから来たのでしょうか? 中、頭が良かったか、乞食パン助にはならず 見事、あこがれの真紅のドレス。 右、酒場ではお尻までスリットのドレス ナイロンのストッキングの大股にはガーター、 髪は駅前通り「パーマ、シャン」 で大枚をはたいて最新のちりちりパーマ。

白百合会
左、聞き馴れぬ訛りの強いお嬢さん やはり・・・朝霞のうわさを耳に来ちゃったのです。 中、無事白百合会にもなじみましたが 一年過っても衣服は灰汁抜けません 相変わらず更生服ですが・・・ 右、米兵がくれる食べ物がよかったか本来の体質かどんどんと太るが 黒人兵には誰よりも好まれたとか。 Tシャツもショートパンツも米兵のプレゼント。 こんな色のましてや、LLサイズは日本中どこを探してもなかったのです。

下駄からハイヒール
左、リュックサックに下駄、コーモリ傘。 明らかに遠くから朝霞に着いた娘さん。 右、一年もするときれいなピンクのドレス。 ドレスはスカートとヘアバンドが共布であることから 特別註文仕立てであることを物語っています。 右、典型的パンパンルック。 巾広の赤いベルトと赤いハイヒールが自慢です。

職探しの娘さんが・・・
職探しかパンパン志願か 若いは中学卒業したかしないかの娘さんが朝霞に着きました。 おおよそこんな風体です。 そして1年、2年、3年もすると・・・

ファッションリーダーに
あの田舎の姉ちゃんは化けました。 巧みに米語をあやつり、米兵を手玉にとり・・・ 平素の衣服も街の普通の娘があこがれる程 アメリカ風になります。 あの時代パンパン嬢達は町娘のファッションリーダーだったのです。

日本贔屓のニールさん

日本贔屓のニールさん
オンリー娘を我家に置いていた 米兵中尉ニール・T・レーシさん。 碁、将棋、かるた。納豆、刺し身、くさや 当然読み書き日本語をよくしました。 ぼくには物足りないアメリカ人です。 なぜって、とても地味なんだもん。

黒帯
柔道、空手道場へも通います。 黒い帯でした。

修行僧
平林寺の修行僧です。 素足がわらじで、こすれ地がにじみみます。 雪の托鉢です。ニールさんに買わせた彼女のピンクのオーバーコートは 街に立つパンパン誰もの欲しいもの そんな彼女へのあこがれと羨望が ある日憎しみに変わります。

飼い犬「富士子」
二人の留守時、街の宿なしパンパンは 二人の飼い犬「富士子」を石つぶてで殺しました。 二人は特にニールさんニールさんはシェパード富士子を抱いて涙しましたが パンパン達へ怒りをぶつけることはありませんでした。 「ざまあみろ…おめえもおんなじパンパンだ いい男つかんだからって気取るんじゃねえ」 パンパン達の捨てせりふでした。

アメリカが桃色
ニールさんの口利きで、あこがれのキャンプに勤められたM君。 アメリカ気触れが止まらず「朝鮮戦争に外人部隊として前線に行けば、 その時点で即米国市民権が得られる」のうわさを信じ 立川の総司令部ちやらに行ったのですが…… Commander in chief はひとこと “Please leave me alone today” ああ有刺鉄線の向こうにアメリカが桃色。

キャバレー
この頃、南栄には大きなキャバレーが次々と出現。 東京からホステスやダンサーが肩はおろか おっぱいも半分みせて続々つめかけ ぼくは向かい側の麦畑に立って龍宮城はこれをいうか、 酔う程の空想です。

巣鴨のお地蔵さん
ニールさんの望みで、巣鴨のお地蔵さんの案内です。 まだおばあちゃんの原宿なんて呼ばれていません。 「明日、ぼくがこの人であっても不思議はないんだよ だから戦争はいけないんだよ」 ここはお国の何百理ーーーーーーー アコーデオンが哀しくひびきます。

またみてね
おしまい

お店3っ4っいつつ

製材所通学路途上の製材所です。 いい香り、おがくずの雪です。

駄菓子屋
牛蒡屋(ごぼう屋)という屋号の駄菓子屋。 ベーゴマ、ビー玉、めんこ、あめ玉、せんべい、日揮棒 凧にヨーヨー、水鉄砲。 ぼくはいつも日光写真を買います。

八百屋
勘さん八百屋にはなぜか真冬でも西瓜があった。店の看板かと思ったら「うちの看板は、かあちゃんだよ」と里芋みたいな顔で勘さんは笑いました。ついでに自家製のたくわんを自慢たらたらです。

パチンコ屋
パチンコは元々子供の遊び場です。 玉がストンと入るとセロファンに包まれた、 あめ玉やキャラメルがコトンと出てきます。 度々停電が合ったので台と台の間に百目ローソクが立っています。

パン屋
文化パンの店主夫婦です。 コッペパンは10円で5円を加えて ジャム、チョコ、バターのどれかを塗ってもらいます。 おばあさんは、ヘラたっぷりののジャムを塗りますが 返すヘラでそのほとんどを、けずり取って「はい、おまち」 ガッカリです。

魚屋
魚屋の冷蔵庫は氷です。水道もありません。 樽に汲み置きの水は魚の血で汚れています。 はえが飛び交いはいとり紙は何百匹のハエで盛り上がっています。 でも、この店は清潔の方です。 もう一軒はあまりの汚さに、つぶれたんです。

帽子屋
珍しい、しゃっぽ屋(帽子屋) おじさんはフェルトに蒸気をあてては小槌でコツコツたたきながら 隣の裸のおばさん、お気狂っあんと口げんかばっかりです。 こんな、しゃれた帽子をかぶる人はこの町にはありゃしません。

BAR
駅前のバアです。 女給さんはパンパンも兼ねます。 米兵の求めで裏の部屋や二階へ上がります。 たしか屋号は……パラダイス?

9
文化パン裏手のお酒の無いバアでお酒は米兵の持ち込みのパンパン屋です。 脚の付け根まで割れたドレスが売りもののお姉さんがいっぱいです。 「おーい!早くしろよ」黒人は待ちきれません。

またみてね
おしまい

お気狂っあん

裸のおばさん 人呼んで お気狂つあん
はじまるよ

共同井戸
共同井戸でおばあさんは魚をおろしています。そこへ紙芝居がきます。 そして紙芝居屋が 「おきっつあん!腰巻きをめくってべべみせな。べべに水飴食わせてやるよ」 居合わせた皆は大笑いです。僕もべべが解せぬまま一緒に笑います。 べべは女陰のことでした。

紙芝居屋
柝が打たれ、かみしばいが始まろうとした時 出刃包丁を手のおばあさんがツ、ツ、ツと来て 自転車の前輪タイヤに包丁をつき立てたんです。 おじいいさんは真っ青になって逃げました。 それっきり、この紙芝居は二度と顔を見せません。

MP
ある日、おばさん家にMPのジープが止り連行されました。 犬猿の仲、隣のおじさんは興奮状態で 「ざまあみやがれ、モンキーハウス(米軍の留置所)にぶっ込まれろ!」 おばあさんは裸を注意され、婦人兵のブラウスとスカートを着せられ送られて来ました。 それでもすぐ元の姿に戻りました。 腰巻きは常に糠のような匂いがしています。バクテリア臭です。

バッテンボー
そんな事があってでしょうか、おじさんは東上線金井窪駅近くの BARバッテンボーの女に退職金まで前借して入れあげマダムの所へ転がり込みました。 おばさんは捨てられたんです。 バッテンボーとは、米映画腰抜け二丁拳銃の主題歌、 ボタンとリボンつまりBUTTON AND BOW大変流行った歌です。

ノーサンキュー
お金の無くなったお気狂っあんは街に経ちました。 パンパンに変身です! 誰がみてもお婆さんですから ”ノーサンキュー、オールドレディ”とはなもひっかけません。

おばあさんはめげません
裾の長い花の咲く着物にシワも埋まるほどに白粉をはたき現れたのです。 さあ大変、米兵は「ハーイ、ピーチ!」「マイベイビードール」「ヘイ、ゲイシャガール」と一躍売れっ娘?のパンパンです。 そして大金をかせぎどっかへ消えました。 おばあさんは江戸四宿の一つ板板橋宿のお女郎さんだったのを、 おじいいさんに引かれ所帯をもったとのこと、 その後、中山道板橋宿の巴屋とかで見かけたと噂もありましたが…。

またみてね
おしまい

駅前稲荷広場

駅前稲荷広場
はじまるよ

駅前稲荷広場
朝霞駅前は富士見地区と呼ばれ この広場から南西方面に富士山が望めます。

南の方は鬼門ぜよ!
広場へは赤い幟りの立った鳥居をくぐります。 左はお産婆さんの炭屋、右手は下駄屋、首輪のない犬がたくさんいるのでが 赤犬は肉喰いの愛好家にねらわれます。 大そう美味にそうです。 赤犬君、南の方は鬼門ぜよ!

おんぼろ町内会館
広場には小さな祠とおんぼろ町内会館。 昼の会館はぼくらのもの、夜の会館はパンパンと米兵の寝床です。 昼でも中学生は僕らを追い払い、見張りを立ててパンパンごっこです。 それでも広場はぼくらの天国、ぼくらは夢いっぱいの詩人でした。

のぞき
広場の東隅にはパンパン屋と呼ぶ家があり昼でも蚊帳がつられ、 紺色の長襦袢のおねえさんが団扇なぞつかって客待ちです。 ここは夜となれば、のぞきの中学生やがき大将でいっぱいです。 「やってんの見にいくべ!」

マスコットボーイ
米兵と同じ服のマスコットボーイもやってきます。 戦災孤児で男色米兵のおもちゃです。 ガムを噛みタバコをふかし、米兵にならって指先でパンパンや町のお姉さんをからかうのです。 やはりぼくと同じ小学生です。

盆をどり
盆をどりは米兵も踊ります。 女の兵隊も来ます。 駅前名物、裸のおばさんも腰巻き一枚、おっぱい丸出してみてます。 東京音頭を踊れます? デンスケ音頭はどうですか?

浪ちゃん芝居
毎年、秋には旅回りの芝居が来ます。 “浪ちゃん芝居”という6,7人が一行で大そうな人気です。 客には米兵もいて、たばこ、チョコレート、ガムが投げられます。 農家のおじさんは米や野菜、商店主は競って”花”をかけます。 炭や味噌、晒し布もあります。

大スター
お目当て浪ちゃん。 大見栄を切っての流し目に男共はコロリ。 “浪ちゃ〜ん!” 米兵もつられて「のみちゃ〜ん!」 大スターです。

むかし ぼくらのあそび

むかし ぼくらの あそび
むかし といふのは ぼくの小学生のころ 昭和23年から28年、60年も前のことになります。

遊び道具
ビー玉、ベーゴマ、メンコ、リム廻し。 リムは実用車のそれでなく競輪用の細いのがあこがれの的。 とうとう入手は叶いませんでした。

遊び場
学校裏の城山は北と東を黒目川が流れ 南から西へ一面の田んぼで絶好の遊び場。 くわがた、かぶと、鬼やんま、銀やんまがわんさか。 小川には、ふな、めだか、えびがに、と呼んだアメリカざりがに…… 蛇もかえるをねらってニョロニョロです。

遊び場4
この辺りは水深も浅く流れもゆるやかですが水は汚れています。 上流では牛馬を洗い、下肥の桶や汚物も洗われます。 でも「さん尺流れて水喜よし」とかでだれも気に留めません。 犬や猫の死骸も流れてゆきます。 米兵もパンパンと僕らの仲間入りです。

夏草のにおい
駅近辺はどこにも使用済みのサック(コンドーム)がいっぱいおちていて 子供達は風船ごっこで遊びます。 ぼくは母のきつい注意で封切り前の新品ならと許されました。 当時のサックには精液溜まりはありません。アメリカンスタイルと呼ぶそうです。 サックはどれも夏草のにおい。

シッコミ線
朝鮮戦争に向かうG.I.達は仲良しになったパンパンや オンリーさんと分かれをおしみ 身の回り品や、たばこ、ガム、チョコレート、缶詰……手当たり次第投げます。 それを大人も子供もパンパンを突き倒して取り合いです。 夢中になりすぎ列車にはねられ死んだ男の子がありました。 場所はシッコミ線と呼んだ引込線です。

幻燈会
校庭での映画会という幻燈会は夏休みの楽しみの一つ。 遠くでゴロゴロいってます。ピカっと光ります。 ザーときますよ。

図工時間
図工時間に”A-1″というグライダーを作りました。 二階の窓から そーらとべ。

桃色遊戯
子供たちの遊んでいるも意に介さず 米兵とパンパンが雑木林でたわむれます。 同じことを中学生のお兄さんお姉さん達がしているのも知っています。 新聞が書いてる”不純異性交遊”とか”桃色遊戯”です。

いなごの佃煮
秋は いなごとり。城山手前の稲田に全校生がおしかけます。 いなごは一升50円で売れ、学級文庫購入にあてられます。 ぼくは いなごの佃煮が大好き。

初恋のクリスマス
サウスキャンプ内の大聖堂のクリスマスというものに招かれました。 「明日は一張羅を着て来なさい。そして、物をもらったら サンキュ ベリマッチといいましょう」と先生はおっしゃいました。 名札に”すうじい”とある金髪の少女に ぼくは恋をしちゃったんです。 5年生です。

またみてね
おしまい

アメリカ兵とパンパンとぼくン家

アメリカ兵とパンパンとぼくン家
これからの話しは、ぼくの小学生のころです。 昭和23年から昭和28年。家は「貸席」という、今日のラブホテルでした。 町にドレークというキャンプがあって米兵が街を闊歩しパンパンが群がっています。

タミーさん
パンパンのタミーさんはジーマーマンという中尉のオンリーで、 ぼくはコレからキャンプ・ドレイク内の将校クラブに食事につれてってもらうんです。 タミーさんはバニラの香りです。

将校クラブ
将校クラブ内は紅いじゅうたんがふっかふっかです。 クロークもウェイトレスも日本人です。 おしっこに立ったぼくにウェイターが「お姉ちゃんか?おめえはパン助の弟だろ。 おめえらお姉ちゃんの◯◯◯◯で食っててるゴミだ、薄笑いでいいました。 グレン・ミラーが聴こえます。

自転車
子供用自転車なんてありません。 大人の実用車を三角乗りで遊びますが、だれも弟や妹をおんぶしています。 何よりの親孝行です。

流線型のピカピカ
タミーさんがジャーマンにいいつけて シアーズカタログで本国から取り寄せてくれました。 何たってアメリカの流線型のピッカピッカです。

四人の女神
左からタミーさん、ベリーさん、とくちゃん、カルメンです。 みな我家に長期で居たお姉さんで、タミーさんは一番の美人。 ですがジュウジンという東京の病院で鼻をたかくしてます。 オート三輪車が楽々一台購える費用だったそうです。 右端のカルメンはいつも英字新聞をかかえる自称女子大出です。 ベリーさんは16歳、とくちゃんは男娼でした。

恵子ちゃんとティミー
恵子ちゃんとティミーは仲良しです。二人は3才です。 ティミーはカルメンと黒人兵の子ですが、パパはわかりません。 恵子ちゃんの白い肌が欲しいです。 ぼくの母がお誕生祝いに何がいいか聞いた時の答です。 カルメンはお客をとっている間ティミーちゃんを遊ばせるのは、ぼくの役でした。 ティミーちゃんの目ん玉は正に青いビー玉です。青くキラキラです。

またみてね

おしまい

金ちゃんのかみしばい、ほぼ毎週日曜日10時に更新中!

紙芝居を実演する田中さん
紙芝居を実演する田中さん

洋裁講師の田中利夫さんが書き下ろした「金ちゃんの紙芝居」の連載2014年6月15日より連載中。

スクリーンショット 2015-07-13 19.09.02

洋裁講師の田中利夫さんは1941年朝霞生まれ朝霞育ち。
朝霞にアメリカ軍の基地ができた1950年頃のお話です。
基地と共に暮らしていた多くの人達が登場します。
お話は朝霞駅前に住んでいた少年金ちゃんの目で綴られています。
田中利夫さんは金ちゃん同様、多感な少年時代を基地の町で過ごしました。
紙芝居は紙や布、時には包装紙に水彩絵具やパステルで彩色し、
コラージュや刺繍などの様々なテクニックで描かれています。