雨上がり

“稲垣さん”と呼んだ朝霞劇場前の畑は雨天が続いたり、台風が来たりすると必ず大きな水溜りに成った。
渡り板や田舟まで運び、それに乗って遊んだ。
劇場は子供に人気の東映映画“笛吹童子”が掛かっていてヒャリーコ ヒャラレーロ ヒャラーコ ヒャラレーロと、スピーカーは終日主題歌を流して、秋風はそれを町外れまで運んだ。
誰が吹くのか不思議な笛だ——
普段はレコードにつられ50円を握ってかけつけるが、この時ばかりは駅前通りに出現した一週間で消えてしまう幻の池に夢中だったのです。
ちなみにここは現市役所の隣の新谷医院と武蔵野銀行のある所です。

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プールの日、その2

夏の終わりに「くろん坊大会」があって四年生・五年生とK君は連続一位だったが、彼は校内一の芯黒(シンクロ)でほとんど黒人といっていい程の色黒だったので、さらに日焼けが重なって真っ黒でした。普段の教室では静かな子だったが、この時は得意満面、饒舌になった。
二位と三位との黒ン坊度に大差は無かったが、色艶の差でした。
プールの縁に手をかける男の子のお尻が裸に見えてるのはキャラコのパンツが濡れてお尻にはりついてしまっているからで、もちろん前もその通りで、だれもおちんちんの形をそのまま見せる様で水から上がったのですが、あまりの水の冷たさにおちんちんは体の中にめり込んでしまっていたのでした。唇は紫で歯はガチガチ鳴って……、それでもぼく達はプールが大好きでした。
金ちゃんの紙芝居

プールの日、その1

「プールの日」といっても廃業した料理屋朝霞渓の生け簀の真ん中の噴水塔を取り払ったもので、学校と東円寺の中程にいたPTA会長の比留間さんの庭にあった。
裏山からの湧水が流れ込む冷たいプールでものの二分もすると唇は紫になる程です。
黒目川、新河岸川で水遊びでは、犬や猫、時には豚の死骸まで流れ、河童にも注意を払わねばならぬとちがって清潔そのものだった。
クラスの半分程は水着を持たず、普段のキャラコのパンツをバンドでキュッと締め、女の子も同じくキャラコのシュミーズで水に入った。岡野先生は古橋広之進と同じ、黒い絹のパンツと帽子で帽子の白線は泳ぎの達人を意味しているとのことでした。何しろ先生は九州佐世保の海育ちです。また、多くは海を見たことも無いとかで、海水の塩のどのくらいか知らなかった。
グリーンのパンツは朝霞病院院長の孫、Uちゃんで最新素材のウーリーナイロンで伸縮性豊かでかっこよく、ぼくも浅草の祖母に吾妻橋の松尾で同じと買ってもらった。とてもぜいたくな値だったらしい。ぼくは先生に習って黒のそれにした。
金ちゃんの紙芝居

朝霞駅前の馬頭観音碑

駅前馬頭観音碑は通学班の集合場であり遊び仲間の待ち合わせ場所でもある。
又ハニーさんの溜まり場で、米兵も好みのハニーさんの漁り場だった。
時々石碑に小便をかける米兵がいて「この罰当たりめ」と思うも誰も咎めることが出来ず、ハニーさんが「ちんちんが腐る」という位が関の山だった。
昔、辻々には神様が祀られてい、幼小児ですら小便はおろか唾さえも許されなかった。小便をかけようものならちんちんは腫れ上り、曲がってしまうと信じられていた位だからこの米兵は腐っても仕方ないと思った。


何を祈ったか馬頭を切り抜いた御幣が祀られている。珍しい御幣だ。昭和24年頃。

金ちゃんの紙芝居

志木の富士山

一年生初めてのえんそくは志木のふじさん。
前の晩はなかなか寝つけなかった。新品のリュックサックと水筒とズック靴が枕元に並んでいます。
台所の母さんの音で目覚める。醤油と砂糖の煮つまったが家中に漂う。かんぴょう巻とおいなりさんが竹皮に乞まれゆでたまごがつやつやと並ぶ。
朝霞駅から志不駅まで電車。楽しくて楽しくてぼく達はおしゃべりのし通しで歩きます。
富士山はくろぼくという本物の富士山から運んだという真っ黒い石を積み上げたちっぽけな山でした。
お母ちゃんの今日も美味しい。卵もボク好みの半熟、水筒のお茶はちょっと渋かった。頂上からほくん家を水筒の方位磁石は南東を教えてくれた。
富士山はつまらなかったが、明日も遠足がいいな。
金ちゃんの紙芝居

SASE BAKE

山本周五郎の「青べか物語」に「SASE BAKE」なる章があり、おすずといふ大層別嬪と思える十七歳が出てくる。
これが相手を選り好みすること無く、夜這いの誰をも受け入れるというので“させばか”と呼ばれている――という話なのだが、この朝霞にも同じく言われる中学生がいた。私の目には別段美しくも可愛いくもうつらぬ、ごく平凡な娘でしたが、声をかける男は誰でもさせることで有名だった。一つ不思議はその場所は彼女が指定する岡の城山で北斜面の黒目川に向いた戦時中の防空壕のあとであったそうな。中には数人でじゃんけんぽんをして代わる代わるしたという者もいる。それ故、男(中学生)は彼女を“やらせのM子”と呼んでいたが、卒業と同時に白百合に入り、ハニーさんにはり、二十四歳でオンリーさんになった。彼女の生家はつい先年(平26)取り壊され、あとアパートが建ったが……M子の消息は不明。存命なら、私と同じ七十四歳(平28)だ。
金ちゃんの紙芝居

麦ふみ

寒に入ると霜害を防ぎ、根の働きを促す麦ふみがされた。十一月にまいた種がこの頃は十センチ程になってい、六月頃には黄金色に熟し刈り入れ時になる。
大麦、小麦、ビール麦。黒穂病にかかったのを黒穂と呼んだが、僕等は“黒んぼ”といって引き抜き麦笛にした。麦酒は大麦から造られると聞いたが、それとは別にビール麦と呼ばれる全体に繊細でその色も温しい麦があった。そよ風に揺れる様はおだやかに凪いだ春の海だったので僕等は学校帰り、度々ダイブした。刈り入れ間近の麦畑は金色に輝き、穂をつまんで、掌でもみ、もみがらを外したのを口に含み、根気良く噛み続けると粘りを生じ、それが僕等のガムだった。本物のガムを噛んだ米兵とパンパンガールが急に麦畑から姿を現わすこともあったが、僕等は知らぬふりをしている……。
パンパンの仕事中であることを小三の僕等はすでに知っていたのだ。
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浅草のストリップ


ペンちゃんの東洋座の続き
浅草のストリップはフランス座とロック座が双璧でカジノ座はマイナーであった分木戸銭が安かった。1964年東京オリンピック直前までが全盛だった。
当時盛り場には必ず、一、二軒のストリップ小屋があった。
カジノ座は何んとかいう映画館の地下にあったが……映画館の名が思い出せない。
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煙突掃除屋

年に二度程、煙突掃除屋がやって来た。盆と正月の前の頃だ。おぢいさんは竹を割いて接げたのの先に大小長短様々なブラシの付いた箍(たが)を持ち、折り畳みのはしごで屋根にのり、煙突の煙出口にブラシを突っ込んで箍をまわす様にしてかまどの口まで下した。と半年間煙突にたまった煤がかまど口から舞いながら吐き出された。この煤はおぢさんが“アンペラ”と呼ばれた袋に入れ持ち帰ってくれた。一仕事終わったおぢさんは顔中煤で真っ黒。一回の掃除の賃がいかほどであったか聞き覚えもないが、母はそれに加えいつも新しいタオルを数枚差し出した。
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Hエッチ

高校生です。
学校への通学路途中にピンク映画があって、そのポスターが僕等をかなり刺激した。学生割引もあったし、一度は観てみたいと思ったが、叶わなかった。私服でこっそり観たという同級生の話はこの上なくいやらしかったが……、多分に彼の作り話、創作であった様だった。「Hエッチ」という言葉が生まれた時の事です。それにしても今だに、“H”の本当に意味はわからないのですが。
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氷屋

電気冷蔵庫なんて無かった。木製の内側にブリキの張られた氷のそれがあったが、どこの家にもあった訳ではない。木製冷蔵庫は外観の割に容量が少なかった。というのはブリキの内張りと外側の間に七、八センチ程の籾殻が詰められていたからだ。その上段に氷を入れ、落ちる冷気でその用を足した。僕の家は南栄の「魚太」という魚屋さんから毎日「三貫目」と呼ぶ氷を買ったが、一貫目というのはおよその目見当で切られ常に正しく同じ大きさではなかった。リヤカーで炎天下を運ばれる氷は汗をかいてどんどん小さくなっていき、終いの方の家は、同じ一貫目でもかなり小振りになってしまった。僕の家でもらう一貫目は食パン二斤大だったと記憶するが、一貫目の値の覚えはない。
金ちゃんの紙芝居

賃もち屋

小学校三年生頃まで我家には「北の方から来た」という“賃もち屋”がやって来ていた。毎年末になると葉書が届いて「さあ今年もお餅やさんが来るよ」といひ、糯米やら、粟、青のり、ごまを用意した。もち屋は夫婦で来て、おじさんはまわし一丁で筋肉隆々の躰で杵をふるった。おばさんは“あらよっ”と巧みに餅を手返しし、二人は息の合った仕事をした。ある年、息子と娘という中学生位の子供もやって来て、おぢさんはその子に手ほどきをするが、おぢさんの様にペッタンペッタン良い音が出ず、「あんちゃん、もっと腰を入れろや。餅つうのは腰で搗くもんだい!」と。
つきたてのやつを大根おろしで食う「辛味もち」は格別だった。近所の人も集まって「うめえ、うめえ」の連発です
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小学生のぼくのあこがれ

小学生のぼくのあこがれのパンパンガール、ベリーさんです。
こんな時、部屋に入っていっても「あら、とし坊、今日は学校早かったね。トニーさんがとし坊にって……チョコレート」と全裸のまま宝石箱の様な箱のアメリカのチョコを出してくれた。
ベリーさんはおとひめさまか羽衣の天女ではないかと思ってたのです。
金ちゃんの紙芝居

ベリー嬢の彼トニーの浴衣姿

彼は母のプレゼントしたそれを「さむらいガウン」といって喜んだ。
母がトニーさんの為に仕立てたゆかたを彼はさむらいガウンと喜んだ。
さむらいガウン。○○ぬ 刀の代わりにドラム・スティックをさして。
ハバハバ=hubbahubba (ハワイ・カナカ語)急げの意
金ちゃんの紙芝居

野球

とんがらし嬢の仲間の「野球」と呼ばれたパンパンも米兵をなめてかかり、ハロー帽と呼んだ。米兵のギャルソンキャップをとりあげ無理矢理客にした。「野球」は一年中野球をかぶっていたことからのあだ名。身長140に足りない超でぶだったが、本人は「アメ公はこの肉体美を喜ぶんさ!」と。
金ちゃんの紙芝居

水汲み

井戸の無い家は隣組で共用の井戸をもっていて、水くみは主婦の仕事の一番きつい仕事といわれていた。
共用のためか、しばしばポンプは故障し、駅前の井戸屋は一年中忙しかった。井戸屋はおばさんが駄菓子を商っていたが、“当てむき”の一等二等景品の良いくじを抜いては 自分の孫に景品をまわしたのが判明し、子供達は斜め前の三角屋をたまり場にしたので、井戸屋はいつも閑古鳥がないていた。しかし、おばさんに反省の顔はみられず、子供達は“いんちきばばあ”と呼んだ。
金ちゃんの紙芝居

ふみきり

踏切番が番小屋から顔を出すと同時に遮断機脇の警報器に赤いランプが点滅し、コーンコーンと泣き始める。
番のぢいさんは遮断機を開閉する直径50㎝程のハンドルを廻し、白黒だんだらの遮断棒を下しながら、一方の手は通行人に赤い旗を振り、「早く渡って!」をくり返し、やってくる電車に向かい白い方の旗を振るのだが、その時点では未だ電車見えない……。
やがて目の前の線路にガタンガタンをいう音が伝え聞こえ電車は警笛を一度、プクオーンと鳴らして鉄のこすれる重い音の風を巻き上げ通過するとおぢいさんは遮断機を上げ番小屋に引っこむ。
電車通常2輌だが朝夕のラッシュ時は4輌で、それでも超満員で“尻押し部隊”といふアルバイトもあり、それは“ひっぺがし隊”とも呼ばれ無理矢理乗り込んだ客を引き降ろす役も兼ねていた。ラッシュ時は5,6分間隔の電車もその他は10分20分の間隔で運行されたが、ホームも車内もたばこは自由だった。もちろん冷暖房はない。東上線は「いも」電車と呼ばれ、柄の悪い評判の電車だった。