道北に音威子府という小さな村がある。旭川から北に130㎞、名寄からも50㎞ほど北に位置する日本一人口の少ない村である。
「おといねっぷ」と読む。地名はアイヌ語の「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)に由来し、音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていた事からの命名だという。
この小さな村の発行する広報誌が7月号で「沿線地域の皆さん、鉄道、本当に必要ですか?」と問いかけたというニュースが全国紙に掲載された。
いま村を南北に走るJR線は、旭川-稚内間260㎞の宗谷本線である。特急列車が日に3本、普通列車も上り下りが日に3本運行されている。しかしJR北海道は、名寄以北稚内までは輸送密度が極端に低く、今後単独で鉄道を維持することは困難と表明し、近い将来の廃線をほのめかしている。
普通、鉄道網が縮小されるとか廃止するなどという話には、町や村を挙げて反対運動が展開されるのが一般的だが、音威子府村のこの住民への問いかけは異例である。
経済性だけから言えば、北海道に残りうる鉄道路線はごく限られるが、それにしても音威子府村の住民への問いかけは今までにないもので、どんな声が上がるのかと俄然興味が湧いた。
そこで、村に電話して広報誌を送ってもらうことにした。
数日後、在庫切れのためコピーを送りますとの添え書きとともに村勢要覧や村のガイドマップなどが送られてきた。
さて「音威子府」にはこれまで三度行ったことがある。最初は音威子府と稚内をオホーツク海沿いに結ぶ「天北線」廃止のニュースを聞いて、そんなことになるなら、その前に車窓から猿払原野を眺めたいものだと、天北線に乗りに出かけた時。
二度目は道内のJNR完乗を目指していた時で、宗谷本線で日本海側を稚内まで行った。そして三度目は、日本の最北端ゴルフ場、稚内CCでのプレーのため旭川から車で走ったとき。昼飯を音威子府の食堂で取った。
いずれの場合も単なる通過客に過ぎず、特別この地に深い思い入れがあったわけではない。
だが、鉄道ファンにとっての音威子府は北海道の最北端へ伸びる鉄道要衝の街として、ここは聖地なのである。
しかし、かつて「住民の総意で守ろう天北線」とスローガンを掲げたものの、平成元年には鉄道廃止、バス転換が決まった歴史がある。そして30年後のいま、今度は宗谷本線がピンチである。
送られた資料によると、平成29年の音威子府の現状は次の通りである。
世帯数 |
497戸 |
(最大889 S40年) |
人 口 |
784人 |
(最大4184 S25年) |
一戸あたり |
1.6人 |
(最大6.0 S15年) |
音威子府駅一日当たり乗車人数 |
34人 |
(S40年代後半300人H15年以降100人) |
こうした絶望的なデータの前で宗谷本線に関する施策や鉄道・駅についての利用促進策などを捻り出すのは難しい。しかしながら、これに関心を抱いた以上は何か提言書めいたものを作ろうじゃないかと、北海道大好き、鉄道も大好きの仲間3人が集まって、一夕議論した。原則論に終始し、あまり役に立つとも思えないが、こんな奇特な人もいるよと村の地域振興室に送付した。
以下にその要約を記す。
経済的に考えるならば、鉄路を廃止するしかないであろうが、この区間については以下の諸点に特別の配慮が必要である。
1 |
冬季に豪雪があり、路面が凍結するため個人が車を運転することに危険が伴うこと。 |
2 |
この区間の延長線上に稚内まで伸びる鉄路があり、廃線の影響はこの区間のみならず、他の地域にも及ぶこと。(夕張市が決断した夕張・新夕張間の廃線とは事情が異なる。) |
3 |
稚内まで鉄路が繋がっていないと、人口35000人の稚内が孤立した形になり、この地区に影響力を強めつつあるロシアに対し、日本が弱い立場に立たされる。 |
4 |
全体的に橋梁や長大トンネルは少ないので、保線が比較的容易である。(廃止に決まった三江線が災害の危険性が高いのとは異なる。) |
鉄道の存在価値は東日本大震災発生時の燃料輸送ルートで証明される。道路が麻痺する中、JRは日本海側ルートに貨物列車を走らせ、燃料等の物資を京浜地区から被災地に運んだ。
本質的には道路には際限なく税金を投入するのに、鉄道の赤字は一銭たりとも許さないという国の交通政策に誤りがある。
貴村のご発展とご健闘をお祈りいたします。
(2017.9.19)