縛っとけ!

夕焼けの車窓には、お化け煙突が煙を上げている千住の東京電力火力発電所が写った。
四本の煙突は見る場所で三本になったり、二本に見えたり、太い一本に変わった。
「おしっこ~」Uちゃんの声。Uちゃんは授業中たびたび、お漏らしをした。
先生は「窓からしちゃいなさい!」で、Uちゃんはズボンとパンツを幼児のように、一緒に下げ窓外に腰を突き出した途端に放尿した。
だが風がしょんべんを押し返し、全開の窓を霧と成って襲った。
車窓から首を出していた子は、しょんべん霧にまみれ。
この日の為の新調の服を汚され、泣き出した女の子が思いがけない言葉をはいた。
「馬鹿!おったんちん!おチンチンの先っぽ縛っとけ!U坊の馬鹿ったれ!」

金ちゃんの紙芝居

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とんこ節

ぼくは誕生会のお菓子を会費30円で手配する係です。
共栄商会(後の松葉屋)で一人20円で整えたが、情け無いくらいの少なさに母は、うちの売り物の九助(久助)割れ煎餅を加えてくれました。残り10円は勘さん八百屋で国光りんごを買いましだ。
みんなりんごは丸かじりで、ほとんどの子は歯ぐきから血が出てりんごは赤く染まりました。
お菓子は誰も手をつけず弟、妹に持ち帰ります。
会はいつも歌だったり、クイズだったりで面白くないですが、毎日、朝霞劇場の拡声器から流れ、いつの間にやら覚えてしまった「とんこ節」を誰かが歌った。

♪あなたに貰った帯留めの
達磨の模様がちょつときにかかる
さんざ遊んで転がしてあとであっさりすてるきか
ネエーとんことんこ♫

神楽坂何とかいう芸者が歌い、流行った歌でこどもが歌うものではない、と先生は渋い顔をなさった。
そう言えば大人は宴会でへんな踊りをして歌っていた。
三角屋の国さんは全裸でこの曲を踊り、芸者をキャーキヤー言わせてました。
「ばっかみてえ!」ぼくたちはおもいました。

金ちゃんの紙芝居

ハバ ハバ

アメちやんが良く口にした言葉だ。子供たちはそれが急げ、早く、とかの意味に使われることを感じ良く口にした。
そのうちハバハバがハロー、グットバイ、サンキューと同じように、ぼくたちの言葉になってしまった。
ホームに電車が入ってくると、
ハーイ! ハバハバ ハニー!
大声でハ二ーさんを呼ぶアメちゃんは、切符を買うでもなく柵を跨ぎ、ハニーさんを抱え上げ抱っこしたまま電車に乗りこんだ。
唐草風呂敷のおじさんは、ハニーさん相手の布団屋で大宮から毎日やって来る傷痍軍人です。
我が家の貸席の布団もこのおじさんから買ったものでした。
改札口上の大小の箱はなんなのか? 分からないのです。
どなたかお分かりでしたら教えてください。S24年頃
金ちゃんの紙芝居

ゴムとび

ゴムとびは女の子の遊びですが、このゴムが問題なのです。
wagomu.ping
これは輪ゴムをつないだ物で、輪ゴムは貴重で何度も繰り返し使い、弱って切れるまで大事にしたんです。
特にお母さんがたは手首にはめておき、いろいろ利用したんです。
中には指先に血が通わず、紫色になるほど欲張ってる、おばさんも珍しくありません。
さてこのゴム輪は市販品ではありません。
僕たちの遊び場の何処にでも落ちていた、米兵の使用済みサック(コンドーム)の口元のゴムでそ。
それを子供たちが風船遊びに使い、割れてしまった風船から外したものの利用で、子供は家に持って帰りお母さんにも上げます。
学校でも先生方もそれを承知で、ごく自然に生徒とゴムとびに興じました。
勿論お弁当を包んだ新聞を止めるのも、又何処の商店も買い物の包みをピチン!と音を立てて止め「はい、まいど!」

キティー台風

それまで発生順に1号、2号〜と呼ばれていた台風は、アメリカ軍が進駐してからはアメリカ女性の名が付けられる様に成りました。
昭和24年8月31日キティーというお転婆娘が関東地方を襲った。
黒目川は溢れ溝沼、田島、浜崎の田畑は水没し海のようでした。
東上線の土手を水に追われたアオダイショウがよじ上り、鉄橋の線路や枕木に絡み付きました。
ぞっとするような、鳥肌の立つ光景です。
そのままだと電車が滑り脱線転覆してしまうので、線路工夫は蛇をたたき落としたのです。
でもキティー台風一過、恐ろしい程の大群の赤とんぼも連れてきました。
ここは黒目川沿いの朝霞厚生病院と図書館別館の間の鉄橋です。
キティーの前、昭和22年9月14日にキャサリン台風が関東に襲来したということですが、僕の記憶にはありません。

アメリカ兵

GIはカーキのギャバジンの制服で僕たちがハロー帽と呼んだギャルソンキャツプで颯爽と現れた。
当時を語る人にその制服を黄色とよぶを聞くがkhakiとyellowはわけて欲しいもの、アメリカではカーキをきるというのは陸軍に入ると同義語ときく。
またGIのズボンの前あきはチャツクだったともあるが終戦と同時に朝霞に進駐した米兵のそれは日本とおなじにボタン留めでした。チャツクになったのはS25年朝鮮戦争勃発後の事です。
GIの首には玉鎖に銀色の軍隊認識票がさがっていて、それは安全剃刀の刃の形の軽金属の札でGIたちはdog-tag畜犬票と呼んでいて圧縮機で姓名、動員番号、部隊数字がうちだされ所属宗教の頭文字、新教 P、旧教Cも打ち出されています。
またネクタイは結び目の三角がきちとでるウインザーノットが決まりのようでした。GI刈りと呼んだ刈りあげのヘアースタイルに憧れ真似してみましたが日本人の巾着頭には不向きでうまく出来たと思っても大工さん刈り、職人刈りになってしまうのでした。
金ちゃんの紙芝居

石合戦

男の子の血のなかの闘争心が時々爆発し石合戦になって現れた。武者振いの一番緊張する遊びです。 小川をはさみ石ころを投げ合うのですが石以外はルール違反です。が、ぼくの頭を襲ったのは缶詰の空き缶、蓋の部分が頭に刺さり出血のおびただしさに餓鬼大将もアワワオロオロ、駆けつけたおかあちゃんは失神してしまったのです。ぼくは一人で朝霞病院へはしった。看護婦さんは「アメちやん(米兵)にやられたの!」を繰り返した。キヤンプのアメちやんは日本人にわけもなく暴力を振るうことが多かったからです。
傷は床屋で丸刈りにするたびに鏡に桃色の盛りあがりを見せました。このルール違反の缶を投げたのは院長の孫のUちやんだったこと、かなり後になって彼の告白によってわかりましたがUちゃんはきっと心苦しかったろうな。
その詫びだと彼は玉子丼をおごってくれた。変な話!
金ちゃんの紙芝居

ゆり根

校庭の外れはすぐ檜の植林になる。下草は綺麗に刈られ木々は枝を打たれ真っ直ぐに天をさしている。
ぼくはひとりユリ根を彫る。林に音はない。
ときどき
チョチョ
チッチッ
チョ
小鳥が話すのが聞こえるだけ。
もう20センチも掘ったのに、 ユリ根は姿を見セナイ。
ジジジャ
ガガジー
チャッチャ
小鳥が騒いで飛び立つと空気銃を肩にしたおじさんが大きなくさめをして通った。
コチッ!シャべルに当たったのは縄文土器の破片、縄文の昔の人もユリ根を掘ったのかな。
アーアーアー鴉が真っ赤な口を開け鳴いている。ユリ根はまだみえない。
金ちゃんの紙芝居

牛乳

膝折、と言っても緑ヶ丘に近い川越街道の旧道に牧場があり、そこは廣安舎となのる牛乳屋もやっていてぼくん家も毎朝牛乳が届けられた。
入学間もない頃学校近くの農家の暮らしが珍しく、級友の家を時どきのぞきにいった。馬、牛、豚、山羊、にわとり、鳩なんかが飼われていて牛馬は農作業に活躍してます。
「三時だよ」おばさんは乳房のパンパンに張った母さん牛から絞ったばかりの乳をぼくにもくれたのですが、コップを口にしたとたん吐気を覚えたのでした。でも我慢してゴックンとやったのですが帰り道、戻してしまいました。これが本当の牛乳だとすると配達されるのは牛のオッパイではないとおもった。絞りたてのあの生臭さと母牛の生暖かさが思い出され、しばらく牛乳が飲めませんでした。
金ちゃんの紙芝居

さつまだんご

さつまいもの粉を耳たぶほどのてざわりに捏ね、軽く握って蒸しあげたのを薩摩団子と言います。出来上がりは海鼠みたいな色艶で一つ一つに握った母の掌紋、指紋が現れています。それ故他所の人の作るそれは変に潔癖症で神経質なぼくは口に出来ず、嫌な子と言われたものです。おむすびも同じでした。
できたてのだんごはムッ!とする野鄙な日向臭さが難点でそれは豚小屋の甘い様な臭さに似ていますが、少し冷めると匂いは去り、艶が増して芋の甘みはますのですが花見砂糖とよぶうっすら赤い砂糖、きな粉、すりゴマ等をまぶして気の利いた小皿に黒文字でも添えれば上等のお菓子でした。でも時間と共に表面は乾き犬のウンチにしか見えなかったのですがぼくの好物でお母ちゃんもよく作ってくれました。

けの、さちんぼ

「チッキが着いてるから取って来てよ」友達Hくんのおじさんにいわれ、ぼくたち4人は駅に行った。りんご箱のそれは子供にはなんともならぬ重量、ぼくは家に走りリアカーを引き出し同級生昇ちゃんのお父さん駅長の斉藤さんにリアカーに乗せて貰った。
りんご箱には夏みかんがぎゅーずめだった。おばさんは4等分したみかんをくれたが口がひん曲がるほどの酸っぱいさ。ぼくんちでは砂糖とか膨らし粉と言った重曹をつけて食べた。それをつけると口の中がシュワーとして酸味が和らいだのですがHくん家は砂糖も重曹も出してくれなかった。
帰りに、お駄賃に2つ位はくれると思っていたのに、、、帰り道誰からともなくHの家って「けの、さちんぼ」が口をついた。
チッキ
汽車で発行する預け荷物の引換券
のさ言葉
S25頃子供達に流行った語句間に「のさ」を入れた言葉
なのさつみかん(なつみかん)
とのさもだのさち(ともだぢ)
金ちゃんの紙芝居

バカ犬?

昨夜、隣りの畑から真桑瓜が盗まれ、うちの煎餅加工場からも茶箱一杯の煎餅生地がリヤカーごと盗まれたのです。
その時ぼくのマルはワンともキャンとも言わず父は「役立たずのバカ犬め!」と散々小言を言ったらしい。
いつもはぼくの姿を見つけると飛びついて顔をぺロぺロするのだが、今朝は小屋に寝そべり上目遣いにぼくを見ただけで寂しそう。
マルは断じてバカ犬じゃない。ただ臆病で優しいだけ。その証に岩さんちのいたずらラッキーとも成田家の化け猫とも近所中から恐れられてる裸のお気狂っあんからもかわいがられているじやないか。
隣りのお百姓夫婦までが真桑瓜がとられたのはマルのせいみたくいう。
それは無いよ!いいんだよマル、悪かなんかちっとも無いさ。元気だしなよ、ぼくまで悲しくなっちゃうよ。
金ちゃんの紙芝居

スイカどろぼう

朝霞病院裏にスイカ畑がありまして、熟れ頃を見計らいたびたび盗まれたのですが、全て僕らの仕業とされ駅前のポリス・サブ・ステーションに連行されたのです。
「畑の足跡は子供のもんなんだよ!」
ガキ大将のKちゃんは白状せよと往復ビンタを何度もくらわされました。ところが数日後不寝番の農家の人に犯人は捕らえられました。それは二人のしもた屋のおばさんで、わざわざ子供のズック靴のを履いての犯行でした。
丸通と言った日本通運の倉庫から石炭やコークスも盗んでいたのですが、それは広沢の池の観音堂に巣くうパンパンガールの仕業とされていたそうです。いっときパンパンに同情が集まりましたがそれもつかの間、二人のおばさんもへっちゃらな顔で暮しを続けたのです。
金ちゃんの紙芝居

麥ばたけ

畑のおばさんは鍬の柄につかまって中腰で辺りをうかがう。そんなことを二度ほど繰り返し、人の眼の無いことを確認すると今後は空を仰いでフ~と肩の力を抜きました。
おばさんは背丈ほどのびた麥の穂先に、姉さん被りの手ぬぐいをちらちらさせ立ちションをしているのです。
「あたしだって、できるよ」同級生の農家の女の子が自慢気に言いました。五月の風が金色の麥の穂波を作っています。
僕、小三の時のことだったかな。
金ちゃんの紙芝居

「金ちゃんの少年時代」出版記念原画展

7月16日(日)に「金ちゃんの少年時代」の出版記念原画展を朝霞市中央公民館にて開催し、多くの方にご来場いただきありがとうございました。原画展会場では、著者の金ちゃんこと田中利夫さんの紙芝居もあり大盛況でした。「金ちゃんの少年時代」の販売も順調で、著者もスタッフも皆様のお陰と感謝しています。また機会がありましたら、原画展と紙芝居の場を持ちたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

原画の貸出や掲載、原画展の開催などについては、以下のお問合わせボタンにて送信くださいますようにお願いいたします。

動画でもご覧いただけます

日時 2017年7月16日 (日曜日)13:00〜15:30
会場 朝霞市中央公民館集会室 1階 朝霞市青葉台1-7-26

サイン会チラシ

佐久さん

佐久さんは小学校の同級生N君のお母さんで、大層の働き者。
朝は新聞配達、昼間は雑役婦、夜は何やら評判の悪い稼ぎをしているとの噂がある人です。
昭和二十五年僕ら少学三年生の時、佐久さんは宝くじ1等100万円を当てたのです。
とたんに全ての仕事を辞め4人の子供を置きざりにして夜遊びを繰り返す様になり、
近所の金魚やの若い男と仲良くなり、「私の若いツバメよ」
なんて酔って歩きましたがその内2人して家出をしてしまったのです。
ある時駅通りに姿を見せ僕んちの前にあったオカメという赤提灯で
浴衣の胸をはだけ米兵がパンパンにするように身八つ口から手を入れるさせ、
お乳をクチユクチユさせるのを見てしまったのです。
その時佐久さんと目があい
N坊の味方してくれてサンキユウ…と投げキツスをされたのです。嫌でした。
佐久さんの事でN君はみんなからいじめられ
いつも一人だったので遊ぶのは僕一人だったのです。
其れを知っていたみたいです。
佐久さんは下駄を手に裸足で奇声を発し、ツバメに絡みついて電車で消えました。
僕がN君だったらどうしよう、
おかあちやんが佐久さん立つらどうしよう、ずっと考えてました。
金ちゃんの紙芝居

金ちゃんの少年時代 販売開始

金ちゃんの紙芝居が本になりました。
戦後間もない頃、小学生だったボクは父と母と弟、それに赤犬のマルと朝霞の駅前に住んでいました。
ボクの家は今でいうラブホテルをしていて、アメリカ兵や娼婦達が大勢出入りしていました。
ボクは今、金ちゃんと呼ばれ、その頃のことを紙芝居にしています。
金ちゃんの紙芝居から生まれた「金ちゃんの少年時代」には朝霞の人々や町のことが、絵と文章でいきいきと映し出されてます。
あの頃の朝霞にタイムスリップしてみませんか?

B5サイズ 絵と文 田中利夫
¥1,000-(税抜き)

2017年6月23日朝日新聞に紹介されました
戦後間もない頃の朝霞の紙芝居が絵本に
朝日新聞_紙芝居が絵本に20170623971
株式会社ジーズバンク
営業時間 月~金 10:30~19:00
〒141-0022 品川区東五反田5-21-4 パティオ池田山3F
電話 03-3444-9237 担当石塚

CHIENOWA BOOK STORE/一進堂書店(EQUiA朝霞2F)
営業時間 月~金 7:00~22:00
土日祝日 8:00~22:00
朝霞市本町2-13-1
電話 048-450-6760

宮脇書店朝霞店
営業時間 月~日 10時00分~22時00分
埼玉県朝霞市本町1丁目38−43
電話 048-460-3809

メルカリ
税込価格で販売中
メルカリ

ラクマ
税込価格で販売中

rakuma-logo

Amazon 7月10日販売準備中
amazon

チラシのPDFはこちらからどうぞ。

出版記念原画展示会
2017年7月16日 朝霞市中央公民館で開催します。
サイン会チラシ

本の予約お問合わせ

お問い合せ内容を確認次第、翌営業日中にご返答いたしますので、
しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

片目の屑屋

屑屋さんは家庭内の不要品のほとんどを買い取ってくれた。
穴の空いた鍋、釜、瓶、缶、鉄屑、古い釘…衣服のボロ等。
この屑屋は南栄からやって来たが他の人と違って金属を好んで持ち帰えった。
時には不良学生に米軍基地の射撃場から薬莢を拾って来させ、高値で買い取りを約束しておきながら、
お前らは子供だからと買い叩いたそうな。そこで中学生も一考。
街をうろつくルンペンおやぢを使い、売りに行かせたりしたが敵もさる者、
何度目かに金を持ちにげされてしまった、が中学生に追われとうとう袋叩きにされ、街から消えたのです。
片目もまた中学生たちが朝霞駅の近くの変電所に忍びこみ、大量の銅線を盗み、
それと知って買い取ったのが発覚し逮捕されたのでした。
この屑屋さんは濁点の無い言葉を使う人でした。

hyoushi
金ちゃんの少年時代発売

しゅうしゃん ぼおい

駅前の馬頭観世音と並んで靴磨きの少年が座った。
客はアメリカ兵とハイヒールを履くことの出来た娼婦のお姉さん。
少年は こうちゃん。浅草生まれ、戦災孤児、と知ったのは母に言われ「三時だよ」とおむすびや九助、
もしくは久助と書いたクズ煎餅を届けてのこと。
こうちゃんはヤサグレと言ったが池袋の香具師の親分から道具一式を持たされでてくる香具師見習いらしかつた。
同じ浅草生まれの母はこうちゃんを気にかけ家にも誘ったが一度も寄ってくれることはなかった。
ある日「君にあげるよ」彼は東京の言葉で肉厚の丸めんをたくさんくれた。
これは朝霞では売ってない東京の丸めんでぼくも母に連れられ浅草の仲見世で手に入れたが、
少し高値でもったいなく勝負には出せなかった。
三原色の武者絵がおもで特に赤色の勝った彩色は天然痘除けの呪いだときいた。
母はこうちゃんの宝物に違いないから大事にね、を繰り返しだが一枚二枚とガキ大将のKちゃんに巻き上げられてしまった。
こうちゃんは昭和十三年生まれ、存命なら八十歳になろうか。
ぼくは思う、香具師の大親分になってくれてたら良いのになぁ。