しゅうしゃん ぼおい

駅前の馬頭観世音と並んで靴磨きの少年が座った。
客はアメリカ兵とハイヒールを履くことの出来た娼婦のお姉さん。
少年は こうちゃん。浅草生まれ、戦災孤児、と知ったのは母に言われ「三時だよ」とおむすびや九助、
もしくは久助と書いたクズ煎餅を届けてのこと。
こうちゃんはヤサグレと言ったが池袋の香具師の親分から道具一式を持たされでてくる香具師見習いらしかつた。
同じ浅草生まれの母はこうちゃんを気にかけ家にも誘ったが一度も寄ってくれることはなかった。
ある日「君にあげるよ」彼は東京の言葉で肉厚の丸めんをたくさんくれた。
これは朝霞では売ってない東京の丸めんでぼくも母に連れられ浅草の仲見世で手に入れたが、
少し高値でもったいなく勝負には出せなかった。
三原色の武者絵がおもで特に赤色の勝った彩色は天然痘除けの呪いだときいた。
母はこうちゃんの宝物に違いないから大事にね、を繰り返しだが一枚二枚とガキ大将のKちゃんに巻き上げられてしまった。
こうちゃんは昭和十三年生まれ、存命なら八十歳になろうか。
ぼくは思う、香具師の大親分になってくれてたら良いのになぁ。

西洋館

通学路途上にあった西洋館は朝霞町初代町長、飯倉音五郎さんの私邸で椎の大樹の屋敷林に囲まれた昼なほ暗い、物音一つ聞こえないちょっと怖い屋敷でしたが、梅雨どきのあじさいがみごとでした。
鉄製装飾門扉は錆び付き固まってい、何故か住人の姿を小学校六年間一度もみたことがなく、そのことをいいことにあじさいを折ったり、子供の握り拳ほどもあるでんでん虫を取りに立ち入りました。県道和光志木線と公園通りが交わる第二小学校入り口、南西側角でいまはマンションが建ってます。この直ぐ向かい側に一部昔の道が未舗装のまま残っています。いまは懐かしい砂利道です。

半ペタお冷や

半ペタお冷や、と呼ばれる俗に役者面と言う面立ちのお貰いが居た。色白の巨漢で町の人は高僧の修行中とか海軍の高官、お大尽の道楽、、ロシアのスパイとか言って居た。
半ペタお冷やは「お冷やで良いから恵んで下さい」と言葉も丁寧でそこはかとなく上品だったのがそう言わせたか彼の妻は女優の栗島澄子、と言うのもあった。彼もまた美男なのだ。
「おかみさんのおこげのおむすびが大好きでして。」なんて母を喜ばせたり、僕を煎餅屋のお坊ちゃんと呼んでみたり、これには参ったがパンパン屋のガキ!と呼んだY君のお母さんに比べると子ども心にも礼儀正しいお貰いさんだなと覚えたりしたのです。
半ペタとは彼は六尺ふんどしで着物の尻をからげて居たので常のお尻のほっぺ片方を出して居た事による命名です。
金ちゃんの紙芝居

獄牢

ある日、振り袖奥様は忽然と姿を消すのすです。
神隠しの噂も流れましたが椎と栗の林の中の蔵に閉じ込められているのを栗拾いの子が見つけたのです。 
奥様は明かり取りの窓の鉄格子のあいだからそとの子供たちにウンチを投げ付けたのです。
今言えば重い認知症だったのでしょうがあの頃は気狂いの一言で片付けられたのです。
その後、奥様がどうなったか誰も知らない事になっていて僕も死ぬまで知らない事になっているのです。
恋はやさしー
野辺の花よー
今も僕の耳にはあの歌声が聞こえるのでさす。
もう七十年も昔の事になってしまいました。

お振り袖

駅前富士見地区で奥様と呼ばれる4人のうちの1人。
僕が知った時は童返りとかになって居て娘時分の派手なお振り袖の裾を引き摺り
恋はやさしー野辺の花よー
タヤータヤー田谷ー
と叫びながら小便もウンチも垂れ流し裾はビチヨビチヨで異臭を放つて居たのです。
この人は昔、東都向島の芸者でたいそう美人だったそうですが
今は皺くちゃの浅黒い肌を真っ白に塗りたくり頬紅を日の丸の如く塗り付け、
まるで化け者、頭には金柑ほどもある珊瑚玉の簪を鬼がツノのように2本も挿したお金持ちの奥様なのです

節ちゃんのおべんと

節ちゃんの家は駅前富士見通りの中ほど火の見櫓の隣、三登洋服店です。
クラスで一番小さな子でしたが常にかわいい風体で、何よりも別嬪さんでした。
いつも他の女子には叶わないお尻の見えちゃう短いスカートで、どう見たって“東京の子”でした。
きっとお金持ちだったんでしょう。お弁当を持って来られない子もあったのに
彼女は銀しゃりと呼んだ白米飯に煮豆やら玉子焼、佃煮なんかのおかずの弁当でした。
二年生のある日、いつも弁当を持って来られないよし坊が彼女の弁当を目を盗んで失敬し、
北の便所と呼んだ氷川神社参道側の便所で食べてしまったのでした。
多くは麦の勝っためしに日の丸弁当、もしくはたくあんといった粗末なものでした。
でも節しゃんはにこにこして許してあげたのです。
それがいけなかったが、よし坊はその後も何度か節ちゃんの弁当を盗み食ったのですが、
さすがの彼女も“こわい”といって泣きました。
後にわかる事ですが、よし坊は弁当もそうだが、何よりも節ちゃんの気を引きたかったのです。
その後よし坊と私は彼が売血による何やら病に冒され30前で若くして死ぬまでつき合いがあった。
よし坊の墓は東円寺にあり。
金ちゃんの紙芝居

二宮金次郎

校門を入るとすぐ右手に二宮金次郎の像があって、僕たちは朝な夕なに頭を下げて通った。
入学前、確か講談社の絵本で二宮金次郎を知っていたが入学当所は知らない子もあって、
僕は空んじていた話を聞かせてやった。
が、金次郎は何を読んでいるのか問われ困ってしまった。
お母ちゃんからきいた
ロンゴかもしれんを答えたけど、そもそも僕もちんぷんかんぷんなんともおそまつな事でした。
兎に角僕たちは本を読まない、そんな暇があったらべエゴマにヤスリをかけ蝋燭で溶かしたクレオンを梅、桜、巴なぞの図柄にたらしこみオリジナルベーゴマ作りに夢中だった。
しかしそれも一度の勝負で僕の手から離れた。
ただたらした数色のクレオンが回転と同時に思わない色を見せ僕は図画の時間
みんなの出せない色を作り出すのが得意でした。
金ちゃんの紙芝居

屁っこき たけちゃん

同級生たけちゃんは、オナラをいつでも思いのままに放つことができる。
五連発六連発なんぞはお茶の子さいさい、十,十二連発もやってのけるのだがオナラの臭気は初めの一二発だけで後は無臭、おまけにポッポッポー鳩ポッポーと音程まで変えられたのです。
登下校時、ぼくたちはニ宮金次郎像に挨拶をしますが、彼はオナラで サ、ヨ、オ、ナ、ラ をやって先生からゲンコツをくらったが先生も回りも大笑いでした。
屁っこき たけちゃんから何処で手に入れたのか、米軍機B29の風防ガラスをもらった事がある。
プラスチックの破片そのを机に擦ると甘い匂いがしたのです。

今日平成二十九年二月一二日、金次郎像は僕の第二小学校前庭に七十年前のままたっていました。
たけちゃんが懐かしいなあ。
金ちゃんの紙芝居

栄橋

東都墨田区のお婆ちゃん家は大川と呼んだ隅田川に架かる吾妻橋を渡り、

 隣り町の志木の爺ちゃん家へは柳瀬川に架かる木造で 吾妻橋の何十分の一の小さな栄橋を渡りました。

吾妻橋には沢山の自動車が行き交い、輪タクも走り、チンチン電車も通ってます。

 橋下には海へ向かうだるま船や団平船と言う大きく、 ずんぐり平べったい無動力船が曳舟に引かれて過ぎます。 

ポンポン蒸気の遊覧船は万国旗をはためかせ、川上へ向かいます。

 栄橋はと言へば荷馬車が行き、よだれを垂らした牛が来て、 忘れた頃に木炭バスが通ります。

 橋下の流れは川底が見えるほど浅く、屑屋のおぢさんが金物を拾っています。 

特に、あかと呼ばれた銅は高値で売れたのです。

 柳瀬川は此処から少し下流で新河岸川に飲み込まれ、それもやがては荒川と合流、 さらに下って隅田川と名乗るころには流れは汚れ汚れて、

 悪臭放つ醤油色に変わっていたのでした。 今も二つの橋に立つと僕はあの日の小学生になっているのです。

金魚釣り

庭の瓢箪池です。
弟の金魚釣りを母とマルが見ています。
仲間入りしたベリーさんが独り言のように
わたしアメリカに渡ろうかな?
母も独り言のように
それもいいけど良く考えてね……
ベリーさんが狭山の地で地元のパンパングループのリンチを受け死んだのは此の半月後の事。
わたしトニーと結婚する、、、
そしてステーツに行く、もう決めたの‼︎
と、言ってたのに……
金ちゃんの紙芝居……

観音池

観音池の湧き水は広沢、越戸地区を流れ東上線の下をくぐり越戸川に合流し根岸、台地区の田畑をうるおし新河岸川に呑み込まれます。
駅前から南栄に出る観音様の道にかかる小さ橋では水は清い流れを見せているが、その少し先では米軍基地の汚水が流れ込み、異臭を放ち水質は急激な悪化を見せ田畑に悪影響を見せたのです。
子供たちの水遊びは禁止され魚やタニシも消えた。ある時は白濁、あるいは黒油が浮き、チョコレート色の泡を立て明らかに糞尿と判る水が溢れていたのです。
金ちゃんの紙芝居……

浪ちゃん芝居

田舎まわりの芝居がやって来た。
稲荷さんの広場に小屋掛けして4、5日興行してまた何処かに向かった。
年に一度の事とて町は湧き女座長浪ちゃんに魅せられた商店主は競って花を掛けた。
お金の他にも米、炭、農家のおじさんは芋や大根、柿やたくわんと自家の農作物を舞台に山と積んだ。
勿論GIもハニーさんに連れられて何とラッキーストライクテンボツクスを贈ったのです。
これは昼間の練習風景です。
金ちゃんの紙芝居……

少年ポン引き

姉貴に言われて少年は客を引きにでて来ました。どうするか…
ただ無言を何か書かれた紙を差し出すのです。
すると米兵はアハンとうなづいたり、ノウサンキユウとかいって立ち去ります。
何が書かれていたか……
今思うと見せてもらって置けばよかつたと残念です。
少年の家は姉貴一人の稼ぎで4人が食べていたのでさ。
こんな家はまだ他にいくらもあったのです。
金ちゃんの紙芝居……

お花

Giジヨ~!お花買ってよ
通りすがりのアメリカ兵にセロフアンで包んだ23本の花を差し出す。
ハウマツチ?…いくら?
抱き上げられた幼女は笑顔で答える、ワンダラ~。
アメリカ兵は大抵余分にくれる、多い時はテンダラも握らせる。
この子は電信柱で客を待つパンパンよりも稼ぐのです。
こ綺麗にした母親は近くで幼女の糸をひく、、、
ほら!あのよっぱらつた アメちゃんのところに行きな!
金ちゃんの紙芝居

ひも

黒は嫌だよ!
つべこべいうな!あのチョコレートおまえが好みだとさ、
ショートでロングの金ふんだくったんだよ。
それでも首を振る女にひもは平手打ちを見舞う、
ちなみにショートとは15分.ロングとは30分の同衾。
チヨコレートは黒人米兵をさす、ひもや女達の陰語です。
金ちゃんの紙芝居

闇や

塀にかくれて米兵から洋モクを買うモンペのおばさん、盛んに値下げを求めます。
もちろんMPやおまわりさんに見つかったらブタ箱必至です。
ハニ~さんが見張りをしてくれます。
ハバハバ 犬っこ見てるんよ。
金ちゃんの紙芝居

ポスト

おかあちやんパンパンガールなの?
いい子で待っててね、そしたら支那そば食べに行こうね。
幼女は大人たちの口からおまえの母ちゃんかパンパンだろと言われたのですが
その意味がわからなかったのです。
世間からは子連れパン助と呼ばれる母子でした。
今宵もポストで早くて15分、ちょっとして30分独り星に話し掛けます。
お星さん、後でおかあちやんと支那そば食べに行くんだよ!

電報

仕送りを続けていた秋田の母親の死に、やだよ、いやだよ、
一人ぼっちはやだよ!電報を握りしめベリーさんは泣いた。
十五夜お月さんに手を合わせ肩ふるわせてベリーさんは泣いた。十ハ歳のベリーさん。
明くる年の春オンリーの黒人米兵トニーの転属で移り住んだ狭山市で土地の夜の女達からリンチをうけ、
内臓破裂で死んでしまいました、、、、、、、、
此の話は紙芝居ベリーさん奇譚で見てください。
金ちゃんの紙芝居……

ナフタリンプンプン

昭和二十三年四月八日
小学校入学式
全身ナフタリンプンプンのお父ちゃんと自転車で向う。
中折れ帽が紳士だな。
ぼくのマルがどこまでもついて来る。
“マル学校はうんと遠いんだよ”
金ちゃんの紙芝居

「汲ましてくんねえ!」

「汲ましてくんねえ!」
汚穢屋さんがうんちを汲みに来た。
小四の夏休み朝霞病院で汲みあげたばかりを二桶分、何がどうしたか中庭でぶちまけてしまった。
汚穢屋は黄金の庭両手をついて謝り、院長は大笑いだが、奥様は顔を般若顔にして怒鳴りまくった。
クーラーの無い時代、中庭をかこむ病室も職員の住まいもその臭いと蠅の大群に当分の間食事がのどを通らなかったらしい。
興味本位で見物に行ってしまったぼくもその晩、何としたこと、好物のライスカレーだったのです。だめでした。当分ライスカレーはだめでした。
※一桶八貫目、前後で十六貫を一荷と呼んで、およそ60kg前後の重量になった。米俵一表分です。
金ちゃんの紙芝居……