木乃伊(ミイラ君)

 小学生がまとまって通学するのを「ぶんだん」とよばれていました。「分団」の事だと思いますが確かをしりません。僕たち駅前富士見地区は朝7時20分迄には駅広場隅の馬頭観世音の前に集合を決められてい、6年生の班長、副班長に引率され小一時間ほどで第2小学校の校門をくぐると小遣いさんの手振りの鐘が始業10分前を告げるという毎日でした。
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春のうららの…

夜の景ではありません。桜花舞う、昼の大川(隅田川)です。浅草のおばあちゃんの家に来た僕は弟とポンポン船を見に吾妻橋にきましたが川は水色ではなく醤油色の流れです。加えてたとえようのない異臭で、弟はそれが目にしみて涙を落としてます。 続きを読む: 春のうららの…

危ない遊び

大人からはきつく戒められましたが、僕たちは鉄道線路も遊び場にしました。
レールに耳をあて志木や新倉(現、和光駅)をでた電車が、あといくつ数えるとやってくるかを当てっこしたり、線路の上に釘をならべ電車に轢かせ、ペタンコにし、ヤスリをかけたり砥石で研いで、十字に組んで手裏剣を作りました。
これには三寸釘が最適で餓鬼大将の命令一声、大工さんの入っている普請場から目を盗みちよろまかしました。

西洋乞食

 何となく洒落てるように見える洋風スタイルのおじさんとおばさんの「お貰い」がいました。
 町の人は「西洋乞食」と呼び、男は白杖を持ち「めくら」と名乗り、女は埃まみれのグチャグチャ髪で男の手をひき、物乞いに現れました。
  ある時、イタズラッ子がガマ口にテグスを付け道に置き、物陰に隠れ、それを拾おうとし手を伸ばした瞬間、テグスを引いて「馬鹿!引っかかった!拾い乞食〜」と言って逃げるのです。
たまたまその時にぶつかったのですが、黒眼鏡のめくら男が腰を屈め、手を出すより先に足を伸ばし靴先でガマ口を押さえたのでした。「あれ?アンチキショー目明きだ!」
 話はその日のうちに駅前を駆け巡り、それまでは二人が戸口に立つとお銭やら食べ物を上げていた家も「偽めくらめ!」と施しをやめてしまいました。
お母ちゃんも「あらまぁ、いんちきなの!騙されたわぁ」と。
 二人は夫婦で、岡の東圓寺、不動堂の縁の下で寝泊まりしてたそうです。
「お冷やでええけん、恵んでえなぁ!」いかにも哀れを装った偽めくらの声を僕は忘れられません。

健康優良児

 朝霞病院の院長、細貝祐吾先生の春の身体検査が終わってしばらくすると、健康優良児の表彰がありました。
 男女とも六年生が選ばれますがH君とS子ちやんは目立って体格が良く、運動能力も高く、H君のお母さんは鼻高々でした。PTA会の度に声高に息子自慢をして、ひんしゅくをかうくらいでいた。
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ごろつき新聞社長

 社長さんが若い女を3号さんとして囲ったのは、ベリーさんとト二ーがいたピンクに塗りつぶされた部屋です。
 コイツは金づると目を付けると、弱みをほじくり出し、あるいはスキャンダルをでっち上げ「新聞に書いていいですよね」と、いかにもヤクザ者というサングラスの男を運転手兼用心棒にしていました。ハッタリの黒塗りのピッカピッカの乗用車で乗り付けました。
  特に各種選挙まえは手当たりしだいに候補者を訪ね、脅し、すかし一回の町会議員選挙で大枚をせしめたという話です。根も葉も無い話と知りつつも新聞に顔写真入りで載っしまったら田舎町は大騒ぎ、落選は必定です。さらには票の行方も読めなくなり、当選確実と言われた地区の顔役が落選という事がしばしばあったということです。
 国政選挙などではこの社長は一年を遊んで暮らせる金を掴んだとか。そんな社長がアブク銭で囲った女は、元SKD、松竹歌劇団のダンサーらしく、直ぐに「ひきずり女」と陰口され、子供の目にもふしだらな大女に見えました。いつもピラピラしたアメリカ製のお尻が出そうな短い寝巻きを着てました。 
  「あんなチビのハゲが、、、、俺だって金がありゃあSKDだかDDTだか知らねーが若えのぐれえ囲ってやらあ!」とは商店街のおじさん達の声です。ひきずり女とふしだらな淫乱女のことです。

りんごのひとりごと

二年生に進む少し前、僕は隣町の新倉小学校へ「りんごのひとりごと」を歌いに行きました。担任の羽織はかま姿のおばあちゃん先生とオルガンのお姉さんみたいに若い先生の特訓をうけ、わりかし長い歌詞でしたが3番まで覚えました。りんごの「ご」 .ひとりごとの 「ご」を鼻濁音をしっかり歌うよう
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アメリカの自転車

 僕は made in USA の流線型をした子供用自転車を志木町のおじいちゃん見せたくて出かけました。この自転車はべリーさんの彼氏、トニーが通信販売のシアーズカタログでアメリカ本国から取り寄せてくれたものでした。しかし東圓寺前の急坂でブレーキ操作の未熟さで急停止させてしまい、頭から投げだされ顔面から落ち、おでこ、肩、両膝に小石がめり込むという憂き目を見舞われました。
 おじいちゃんへのおみやげに、お母ちゃんが文化パン店で、ととのへてくれたチョココロンも袋から飛び出し野良犬にとられてしまいました。
 血だらけの僕はお母ちゃんの顔を見た途端、其れまで堪えていた涙が一気にあふれ、真っ白な割烹着に血だらけの顔を埋めてしまいました。
 因みにこの自転車はペダルを後ろに回転させ止まるブレーキだったのです。

おしくらまんじゅう

寒くなると猫やお年寄りばかりでは無く、僕たちも陽だまりに集まりました。
其処でも北風が当たらない壁でじっとして体を寄せ合います。すると押し合いが始まり、おしくらまんじゅうに移っていきます。駅前通りの商店の壁では「うるせえ!あっちいけ」とおっぱらわれ、裏長屋の壁は今にも崩れそうです、そして見つけたのが朝霞病院の鉄筋コンクリートの門柱です。うまいことに此処は終日陽の当たる格好の場所でしたが、僕たちが鬼ババアと呼んでいる院長夫人は、何でか僕たちを目の敵にし、駅前交番や学校に電話されました。僕たちは学校の先生とお巡りさんは怖くて苦手なので折角の場所も諦めねばなりませんでした。
今でもお巡りさんは苦手でパトロールのお巡りさんに出会うと、足は横道にそれ早足になる。すると、若いお巡りさんは「うむ?怪しい爺い」と追いかけてきて誰何される始末です。

カフヱー・ハトヤ

ここ浅草のカフヱーに母方のおじいちゃんに、連れて行かれたのは小2の時です。店名は「カフヱー・ハトヤ」この頃のカフヱーは和服にフリルが可愛い真っ白なエプロン姿、お姫様みたいなキラキラ光るドレスの女性が給仕してました。ここは「洋装の麗人」ばかりでおじいちゃんはそれが好きで、お金もないのに通っているらしく、おばあちゃんを呆れさせてました。
この時も僕を出汁に出かけたのです。店内は暗い赤に包まれ大人たちの妖しい世界で、真っ白な背広に白と黒のコンビネーションの靴の男がアコーディオンを巧みに操り、休みなく歌い続けます。女給さんが、お客さんからのリクエストとチップを預かり、演奏中の彼のポッケにねじ込んでは去ります。
おじいちゃんのリクエストは「誰か夢なき」という曲でした。僕もこの曲は好きで、歌詞は全く記憶にありませんがメロディーは今もおじいちゃんの思い出と共に口ずさめます。
美空ひばりでも岡晴夫でも小畑実でもなく、僕の昭和を代表する曲ですがもう何十年も耳にしていません。竹山逸郎とおっしゃっる歌手でした。

狐のえりまき 

狐、ハニーさんの集まり、白百合会をまとめるK姉妹は上等な厚手のオーバーコートに狐のえりまきを見せびらかしています。どちらも高価で駅前広場にたむろすハニーさん達には欲しくとも手がでません。狐のえりまきはこの辺では狸ズラの金持ちのざあます夫人か闇やの嬶がこれみよがしに巻いていたのです。白百合会会員の子分から巻き揚げた上納金でK姉妹はいい暮らしでした。
ポン引きのA.ジョージさんは神風特攻隊の生き残り、という人で長身の美男。妹は駅前浅川タバコ屋の前で米兵に射殺されたハニーさんです。ジョージさんも白と青のだんだらのえりまきをしていますが、米國大学カラーのシックスフィートという長いもので「アメ公から巻き揚げたもの」だそうです。ジョージさんは米兵を屁とも思っていません。懐には常に匕首を忍ばせ「わたくしは一度死んだ身、恐ろしいものなぞございません!」が口癖でした。

外は雪です

大角豆(ささげ)見たような小顔のムサシヤ食堂のおばちゃんは黒人兵ト二ーのオンリーさんベリー嬢に明治の娘時代、在所の信州にあった時の糸繰り工女の辛く哀しい暮らしを聞かせています、、、、その話にベリーさんは泣いています。おばちゃんのちっちゃな手が赤ちゃん見たく、桃いろで艶つやしてるのを問うたが話の始まりです。湯に浸った繭から生糸を手繰り続けるうちに「その成分が肌に優しく作用したのかもしんないやね」だそうですが本当のことはわからないとも。
  弟は木琴に飽き、浅草のおばあちゃんが雷門右手の玩具屋から送って寄越した最新の発条仕掛の自動車を畳が擦り切れるもかまわずウイーン、ウワーン言わせてます。
  僕は炬燵でト二ーからポーカーゲームの手ほどきを受けています。ト二ーが最強の手だといったロイヤル ストレート フラッシュばかりを狙うので「ヨクバリ  シッパイスルヨ!」と笑われた。「がっつく乞食は貰いが少ないってこと?」って聞いたら「ワカンナイヨー!」だって。ポーカーフェイス、のなんたるかもこの時教えられましたが、僕はすぐ顔に出してしまう気質でとてもうすら惚けた顔なぞ出来やしません。 
  多くの米兵がそうであるようにト二ーもまた真冬でもTシヤツ一枚で寒がりません。後で知る事ですが、この頃日本人の一日の摂取カロリーが2000キロカロリー前後だったにアメちゃんは4000〜5000キロカロリーを毎日摂っていたと言う事です。寒い訳がありません。 
外は牡丹雪です。

かどまつ

毎年グリスマスが来ると土建屋や鳶職を名乗りHというヤクザ一家が、否応なしに駅前通りから裏通りのしもた屋まで一軒のこらず、かどまつを飾りたてにきました。「うちは要りません」などとは後の仕返しが恐くて言えたものではありません。
初めのうちは竹も子供たちの竹馬や物干し竿になるほどしっかりとしたものでしたが、だんだんと細くなり何の役にも立たない竹に変わってしまったのです。それても値段は毎年上げられ、昭和28年には一対千円になってしまいました。
七草が過ぎるとわざわざどんぶり股引姿に印半纏の下っ端ヤクザが集金に来ましたが、領収書なんて出ようはずはありません。ヤクザ丸儲けの図式です。
商店街は七草頃まではお正月休みでしたが、そのほかは年中休む事無く、朝は開店の早さを競い、店前を掃き清め、水をうって客を迎え、夜は遅くまで暖簾を出していたのです。さもないと「怠け者あきんど」と笑われ、商いにおおいに影響したのでした。