牛乳

膝折、と言っても緑ヶ丘に近い川越街道の旧道に牧場があり、そこは廣安舎となのる牛乳屋もやっていてぼくん家も毎朝牛乳が届けられた。
入学間もない頃学校近くの農家の暮らしが珍しく、級友の家を時どきのぞきにいった。馬、牛、豚、山羊、にわとり、鳩なんかが飼われていて牛馬は農作業に活躍してます。
「三時だよ」おばさんは乳房のパンパンに張った母さん牛から絞ったばかりの乳をぼくにもくれたのですが、コップを口にしたとたん吐気を覚えたのでした。でも我慢してゴックンとやったのですが帰り道、戻してしまいました。これが本当の牛乳だとすると配達されるのは牛のオッパイではないとおもった。絞りたてのあの生臭さと母牛の生暖かさが思い出され、しばらく牛乳が飲めませんでした。
金ちゃんの紙芝居

さつまだんご

さつまいもの粉を耳たぶほどのてざわりに捏ね、軽く握って蒸しあげたのを薩摩団子と言います。出来上がりは海鼠みたいな色艶で一つ一つに握った母の掌紋、指紋が現れています。それ故他所の人の作るそれは変に潔癖症で神経質なぼくは口に出来ず、嫌な子と言われたものです。おむすびも同じでした。
できたてのだんごはムッ!とする野鄙な日向臭さが難点でそれは豚小屋の甘い様な臭さに似ていますが、少し冷めると匂いは去り、艶が増して芋の甘みはますのですが花見砂糖とよぶうっすら赤い砂糖、きな粉、すりゴマ等をまぶして気の利いた小皿に黒文字でも添えれば上等のお菓子でした。でも時間と共に表面は乾き犬のウンチにしか見えなかったのですがぼくの好物でお母ちゃんもよく作ってくれました。

けの、さちんぼ

「チッキが着いてるから取って来てよ」友達Hくんのおじさんにいわれ、ぼくたち4人は駅に行った。りんご箱のそれは子供にはなんともならぬ重量、ぼくは家に走りリアカーを引き出し同級生昇ちゃんのお父さん駅長の斉藤さんにリアカーに乗せて貰った。
りんご箱には夏みかんがぎゅーずめだった。おばさんは4等分したみかんをくれたが口がひん曲がるほどの酸っぱいさ。ぼくんちでは砂糖とか膨らし粉と言った重曹をつけて食べた。それをつけると口の中がシュワーとして酸味が和らいだのですがHくん家は砂糖も重曹も出してくれなかった。
帰りに、お駄賃に2つ位はくれると思っていたのに、、、帰り道誰からともなくHの家って「けの、さちんぼ」が口をついた。
チッキ
汽車で発行する預け荷物の引換券
のさ言葉
S25頃子供達に流行った語句間に「のさ」を入れた言葉
なのさつみかん(なつみかん)
とのさもだのさち(ともだぢ)
金ちゃんの紙芝居

バカ犬?

昨夜、隣りの畑から真桑瓜が盗まれ、うちの煎餅加工場からも茶箱一杯の煎餅生地がリヤカーごと盗まれたのです。
その時ぼくのマルはワンともキャンとも言わず父は「役立たずのバカ犬め!」と散々小言を言ったらしい。
いつもはぼくの姿を見つけると飛びついて顔をぺロぺロするのだが、今朝は小屋に寝そべり上目遣いにぼくを見ただけで寂しそう。
マルは断じてバカ犬じゃない。ただ臆病で優しいだけ。その証に岩さんちのいたずらラッキーとも成田家の化け猫とも近所中から恐れられてる裸のお気狂っあんからもかわいがられているじやないか。
隣りのお百姓夫婦までが真桑瓜がとられたのはマルのせいみたくいう。
それは無いよ!いいんだよマル、悪かなんかちっとも無いさ。元気だしなよ、ぼくまで悲しくなっちゃうよ。
金ちゃんの紙芝居

スイカどろぼう

朝霞病院裏にスイカ畑がありまして、熟れ頃を見計らいたびたび盗まれたのですが、全て僕らの仕業とされ駅前のポリス・サブ・ステーションに連行されたのです。
「畑の足跡は子供のもんなんだよ!」
ガキ大将のKちゃんは白状せよと往復ビンタを何度もくらわされました。ところが数日後不寝番の農家の人に犯人は捕らえられました。それは二人のしもた屋のおばさんで、わざわざ子供のズック靴のを履いての犯行でした。
丸通と言った日本通運の倉庫から石炭やコークスも盗んでいたのですが、それは広沢の池の観音堂に巣くうパンパンガールの仕業とされていたそうです。いっときパンパンに同情が集まりましたがそれもつかの間、二人のおばさんもへっちゃらな顔で暮しを続けたのです。
金ちゃんの紙芝居

麥ばたけ

畑のおばさんは鍬の柄につかまって中腰で辺りをうかがう。そんなことを二度ほど繰り返し、人の眼の無いことを確認すると今後は空を仰いでフ~と肩の力を抜きました。
おばさんは背丈ほどのびた麥の穂先に、姉さん被りの手ぬぐいをちらちらさせ立ちションをしているのです。
「あたしだって、できるよ」同級生の農家の女の子が自慢気に言いました。五月の風が金色の麥の穂波を作っています。
僕、小三の時のことだったかな。
金ちゃんの紙芝居

「金ちゃんの少年時代」出版記念原画展

7月16日(日)に「金ちゃんの少年時代」の出版記念原画展を朝霞市中央公民館にて開催し、多くの方にご来場いただきありがとうございました。原画展会場では、著者の金ちゃんこと田中利夫さんの紙芝居もあり大盛況でした。「金ちゃんの少年時代」の販売も順調で、著者もスタッフも皆様のお陰と感謝しています。また機会がありましたら、原画展と紙芝居の場を持ちたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

原画の貸出や掲載、原画展の開催などについては、以下のお問合わせボタンにて送信くださいますようにお願いいたします。

動画でもご覧いただけます

日時 2017年7月16日 (日曜日)13:00〜15:30
会場 朝霞市中央公民館集会室 1階 朝霞市青葉台1-7-26

サイン会チラシ

佐久さん

佐久さんは小学校の同級生N君のお母さんで、大層の働き者。
朝は新聞配達、昼間は雑役婦、夜は何やら評判の悪い稼ぎをしているとの噂がある人です。
昭和二十五年僕ら少学三年生の時、佐久さんは宝くじ1等100万円を当てたのです。
とたんに全ての仕事を辞め4人の子供を置きざりにして夜遊びを繰り返す様になり、
近所の金魚やの若い男と仲良くなり、「私の若いツバメよ」
なんて酔って歩きましたがその内2人して家出をしてしまったのです。
ある時駅通りに姿を見せ僕んちの前にあったオカメという赤提灯で
浴衣の胸をはだけ米兵がパンパンにするように身八つ口から手を入れるさせ、
お乳をクチユクチユさせるのを見てしまったのです。
その時佐久さんと目があい
N坊の味方してくれてサンキユウ…と投げキツスをされたのです。嫌でした。
佐久さんの事でN君はみんなからいじめられ
いつも一人だったので遊ぶのは僕一人だったのです。
其れを知っていたみたいです。
佐久さんは下駄を手に裸足で奇声を発し、ツバメに絡みついて電車で消えました。
僕がN君だったらどうしよう、
おかあちやんが佐久さん立つらどうしよう、ずっと考えてました。
金ちゃんの紙芝居

金ちゃんの少年時代 販売開始

金ちゃんの紙芝居が本になりました。
戦後間もない頃、小学生だったボクは父と母と弟、それに赤犬のマルと朝霞の駅前に住んでいました。
ボクの家は今でいうラブホテルをしていて、アメリカ兵や娼婦達が大勢出入りしていました。
ボクは今、金ちゃんと呼ばれ、その頃のことを紙芝居にしています。
金ちゃんの紙芝居から生まれた「金ちゃんの少年時代」には朝霞の人々や町のことが、絵と文章でいきいきと映し出されてます。
あの頃の朝霞にタイムスリップしてみませんか?

B5サイズ 絵と文 田中利夫
¥1,000-(税抜き)

2017年6月23日朝日新聞に紹介されました
戦後間もない頃の朝霞の紙芝居が絵本に
朝日新聞_紙芝居が絵本に20170623971
株式会社ジーズバンク
営業時間 月~金 10:30~19:00
〒141-0022 品川区東五反田5-21-4 パティオ池田山3F
電話 03-3444-9237 担当石塚

CHIENOWA BOOK STORE/一進堂書店(EQUiA朝霞2F)
営業時間 月~金 7:00~22:00
土日祝日 8:00~22:00
朝霞市本町2-13-1
電話 048-450-6760

宮脇書店朝霞店
営業時間 月~日 10時00分~22時00分
埼玉県朝霞市本町1丁目38−43
電話 048-460-3809

メルカリ
税込価格で販売中
メルカリ

ラクマ
税込価格で販売中

rakuma-logo

Amazon 7月10日販売準備中
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チラシのPDFはこちらからどうぞ。

出版記念原画展示会
2017年7月16日 朝霞市中央公民館で開催します。
サイン会チラシ

本の予約お問合わせ

お問い合せ内容を確認次第、翌営業日中にご返答いたしますので、
しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

片目の屑屋

屑屋さんは家庭内の不要品のほとんどを買い取ってくれた。
穴の空いた鍋、釜、瓶、缶、鉄屑、古い釘…衣服のボロ等。
この屑屋は南栄からやって来たが他の人と違って金属を好んで持ち帰えった。
時には不良学生に米軍基地の射撃場から薬莢を拾って来させ、高値で買い取りを約束しておきながら、
お前らは子供だからと買い叩いたそうな。そこで中学生も一考。
街をうろつくルンペンおやぢを使い、売りに行かせたりしたが敵もさる者、
何度目かに金を持ちにげされてしまった、が中学生に追われとうとう袋叩きにされ、街から消えたのです。
片目もまた中学生たちが朝霞駅の近くの変電所に忍びこみ、大量の銅線を盗み、
それと知って買い取ったのが発覚し逮捕されたのでした。
この屑屋さんは濁点の無い言葉を使う人でした。

hyoushi
金ちゃんの少年時代発売

しゅうしゃん ぼおい

駅前の馬頭観世音と並んで靴磨きの少年が座った。
客はアメリカ兵とハイヒールを履くことの出来た娼婦のお姉さん。
少年は こうちゃん。浅草生まれ、戦災孤児、と知ったのは母に言われ「三時だよ」とおむすびや九助、
もしくは久助と書いたクズ煎餅を届けてのこと。
こうちゃんはヤサグレと言ったが池袋の香具師の親分から道具一式を持たされでてくる香具師見習いらしかつた。
同じ浅草生まれの母はこうちゃんを気にかけ家にも誘ったが一度も寄ってくれることはなかった。
ある日「君にあげるよ」彼は東京の言葉で肉厚の丸めんをたくさんくれた。
これは朝霞では売ってない東京の丸めんでぼくも母に連れられ浅草の仲見世で手に入れたが、
少し高値でもったいなく勝負には出せなかった。
三原色の武者絵がおもで特に赤色の勝った彩色は天然痘除けの呪いだときいた。
母はこうちゃんの宝物に違いないから大事にね、を繰り返しだが一枚二枚とガキ大将のKちゃんに巻き上げられてしまった。
こうちゃんは昭和十三年生まれ、存命なら八十歳になろうか。
ぼくは思う、香具師の大親分になってくれてたら良いのになぁ。

西洋館

通学路途上にあった西洋館は朝霞町初代町長、飯倉音五郎さんの私邸で椎の大樹の屋敷林に囲まれた昼なほ暗い、物音一つ聞こえないちょっと怖い屋敷でしたが、梅雨どきのあじさいがみごとでした。
鉄製装飾門扉は錆び付き固まってい、何故か住人の姿を小学校六年間一度もみたことがなく、そのことをいいことにあじさいを折ったり、子供の握り拳ほどもあるでんでん虫を取りに立ち入りました。県道和光志木線と公園通りが交わる第二小学校入り口、南西側角でいまはマンションが建ってます。この直ぐ向かい側に一部昔の道が未舗装のまま残っています。いまは懐かしい砂利道です。

半ペタお冷や

半ペタお冷や、と呼ばれる俗に役者面と言う面立ちのお貰いが居た。色白の巨漢で町の人は高僧の修行中とか海軍の高官、お大尽の道楽、、ロシアのスパイとか言って居た。
半ペタお冷やは「お冷やで良いから恵んで下さい」と言葉も丁寧でそこはかとなく上品だったのがそう言わせたか彼の妻は女優の栗島澄子、と言うのもあった。彼もまた美男なのだ。
「おかみさんのおこげのおむすびが大好きでして。」なんて母を喜ばせたり、僕を煎餅屋のお坊ちゃんと呼んでみたり、これには参ったがパンパン屋のガキ!と呼んだY君のお母さんに比べると子ども心にも礼儀正しいお貰いさんだなと覚えたりしたのです。
半ペタとは彼は六尺ふんどしで着物の尻をからげて居たので常のお尻のほっぺ片方を出して居た事による命名です。
金ちゃんの紙芝居

獄牢

ある日、振り袖奥様は忽然と姿を消すのすです。
神隠しの噂も流れましたが椎と栗の林の中の蔵に閉じ込められているのを栗拾いの子が見つけたのです。 
奥様は明かり取りの窓の鉄格子のあいだからそとの子供たちにウンチを投げ付けたのです。
今言えば重い認知症だったのでしょうがあの頃は気狂いの一言で片付けられたのです。
その後、奥様がどうなったか誰も知らない事になっていて僕も死ぬまで知らない事になっているのです。
恋はやさしー
野辺の花よー
今も僕の耳にはあの歌声が聞こえるのでさす。
もう七十年も昔の事になってしまいました。

お振り袖

駅前富士見地区で奥様と呼ばれる4人のうちの1人。
僕が知った時は童返りとかになって居て娘時分の派手なお振り袖の裾を引き摺り
恋はやさしー野辺の花よー
タヤータヤー田谷ー
と叫びながら小便もウンチも垂れ流し裾はビチヨビチヨで異臭を放つて居たのです。
この人は昔、東都向島の芸者でたいそう美人だったそうですが
今は皺くちゃの浅黒い肌を真っ白に塗りたくり頬紅を日の丸の如く塗り付け、
まるで化け者、頭には金柑ほどもある珊瑚玉の簪を鬼がツノのように2本も挿したお金持ちの奥様なのです

節ちゃんのおべんと

節ちゃんの家は駅前富士見通りの中ほど火の見櫓の隣、三登洋服店です。
クラスで一番小さな子でしたが常にかわいい風体で、何よりも別嬪さんでした。
いつも他の女子には叶わないお尻の見えちゃう短いスカートで、どう見たって“東京の子”でした。
きっとお金持ちだったんでしょう。お弁当を持って来られない子もあったのに
彼女は銀しゃりと呼んだ白米飯に煮豆やら玉子焼、佃煮なんかのおかずの弁当でした。
二年生のある日、いつも弁当を持って来られないよし坊が彼女の弁当を目を盗んで失敬し、
北の便所と呼んだ氷川神社参道側の便所で食べてしまったのでした。
多くは麦の勝っためしに日の丸弁当、もしくはたくあんといった粗末なものでした。
でも節しゃんはにこにこして許してあげたのです。
それがいけなかったが、よし坊はその後も何度か節ちゃんの弁当を盗み食ったのですが、
さすがの彼女も“こわい”といって泣きました。
後にわかる事ですが、よし坊は弁当もそうだが、何よりも節ちゃんの気を引きたかったのです。
その後よし坊と私は彼が売血による何やら病に冒され30前で若くして死ぬまでつき合いがあった。
よし坊の墓は東円寺にあり。
金ちゃんの紙芝居

二宮金次郎

校門を入るとすぐ右手に二宮金次郎の像があって、僕たちは朝な夕なに頭を下げて通った。
入学前、確か講談社の絵本で二宮金次郎を知っていたが入学当所は知らない子もあって、
僕は空んじていた話を聞かせてやった。
が、金次郎は何を読んでいるのか問われ困ってしまった。
お母ちゃんからきいた
ロンゴかもしれんを答えたけど、そもそも僕もちんぷんかんぷんなんともおそまつな事でした。
兎に角僕たちは本を読まない、そんな暇があったらべエゴマにヤスリをかけ蝋燭で溶かしたクレオンを梅、桜、巴なぞの図柄にたらしこみオリジナルベーゴマ作りに夢中だった。
しかしそれも一度の勝負で僕の手から離れた。
ただたらした数色のクレオンが回転と同時に思わない色を見せ僕は図画の時間
みんなの出せない色を作り出すのが得意でした。
金ちゃんの紙芝居

屁っこき たけちゃん

同級生たけちゃんは、オナラをいつでも思いのままに放つことができる。
五連発六連発なんぞはお茶の子さいさい、十,十二連発もやってのけるのだがオナラの臭気は初めの一二発だけで後は無臭、おまけにポッポッポー鳩ポッポーと音程まで変えられたのです。
登下校時、ぼくたちはニ宮金次郎像に挨拶をしますが、彼はオナラで サ、ヨ、オ、ナ、ラ をやって先生からゲンコツをくらったが先生も回りも大笑いでした。
屁っこき たけちゃんから何処で手に入れたのか、米軍機B29の風防ガラスをもらった事がある。
プラスチックの破片そのを机に擦ると甘い匂いがしたのです。

今日平成二十九年二月一二日、金次郎像は僕の第二小学校前庭に七十年前のままたっていました。
たけちゃんが懐かしいなあ。
金ちゃんの紙芝居

栄橋

東都墨田区のお婆ちゃん家は大川と呼んだ隅田川に架かる吾妻橋を渡り、

 隣り町の志木の爺ちゃん家へは柳瀬川に架かる木造で 吾妻橋の何十分の一の小さな栄橋を渡りました。

吾妻橋には沢山の自動車が行き交い、輪タクも走り、チンチン電車も通ってます。

 橋下には海へ向かうだるま船や団平船と言う大きく、 ずんぐり平べったい無動力船が曳舟に引かれて過ぎます。 

ポンポン蒸気の遊覧船は万国旗をはためかせ、川上へ向かいます。

 栄橋はと言へば荷馬車が行き、よだれを垂らした牛が来て、 忘れた頃に木炭バスが通ります。

 橋下の流れは川底が見えるほど浅く、屑屋のおぢさんが金物を拾っています。 

特に、あかと呼ばれた銅は高値で売れたのです。

 柳瀬川は此処から少し下流で新河岸川に飲み込まれ、それもやがては荒川と合流、 さらに下って隅田川と名乗るころには流れは汚れ汚れて、

 悪臭放つ醤油色に変わっていたのでした。 今も二つの橋に立つと僕はあの日の小学生になっているのです。

金魚釣り

庭の瓢箪池です。
弟の金魚釣りを母とマルが見ています。
仲間入りしたベリーさんが独り言のように
わたしアメリカに渡ろうかな?
母も独り言のように
それもいいけど良く考えてね……
ベリーさんが狭山の地で地元のパンパングループのリンチを受け死んだのは此の半月後の事。
わたしトニーと結婚する、、、
そしてステーツに行く、もう決めたの‼︎
と、言ってたのに……
金ちゃんの紙芝居……