日本オープンゴルフと岐阜関カントリー・クラブ

数あるゴルフトーナメントの中で、最も権威のあるのが「日本オープン選手権」である。正式なハンデイキャップを持つゴルファーなら全員に参加資格はあるのだが、それを職業とするプロにアマチュアが勝てるはずもなく、最終日はプロ同士の戦いになる。だから余程の例外を除いてアマが勝つなどと言うことは無い。
その第一回大会は1927年、いまから90年前、神奈川県の程ヶ谷CCで開催されている。優勝者は赤星六郎。その後の勝者を追うと浅見緑蔵、宮本留吉ら伝説上の人物の名に当たる。そして戦中・戦後の中止の後、再開されたのは1950年。その時の優勝者は林由郎。
青木功、尾崎将司、中嶋常幸らが華々しく登場するのは、さらに30年後の1980年代である。しかし一世を風靡した彼らもシニアに去り、ここ数年は毎年のように勝者がかわるある種の戦国時代になった。
今年はその第82回大会が岐阜関カントリー・クラブで行なわれた。岐阜県での開催は35年ぶりと喧伝されるのだから、開催地にとっては名誉なことなのである。
とここまで書いて、例によってアタマをもたげたのは、収集癖というか潔癖症というべきか、何かしら整理しないと気が済まない我が性格。以下はインタビュー形式にまとめる。

Q これまでに81回開催されているが、ゴルフ場は何か所か?
A 大阪の茨木CC、埼玉の霞が関CCなど同一コースで複数回開催されているので、それを除くと47コースである。
Q 47ゴルフ場の内プレーしたのは何コースか?
A 27コースでプレーしている。日本オープン開催コースの半分以上でプレーしていることになり、“いいところでやってきた”ことになる。
Q 岐阜県のゴルフ場数とプレーしたコースは何か所か?
A 県内に約90コース。その内9コースでプレーした。記憶に残るのは多治見CC、岐阜CC、関ケ原CC。残念なのは不況とブームが去って、経営母体が破綻し名称変更したところが4か所あること。
Q 岐阜県の鉄道に関するコメントを。
A 県内のJRと三セク鉄道の総延長は420.7㎞。その全線に乗っているが、最も景色のいいところは高山本線の飛騨川に展開する「飛水峡」。この渓谷の眺めはJR全線の中でもトップクラスである。

 

(2017.10.17)

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希望か失望か 解散総選挙の茶番

今回の騒動を見聞していて、古典落語の名作『唐茄子屋政談』を思いだした。世間知らずの大店の若旦那が遣り手の女郎にはまって実家を勘当され、あげく女にも放り出されるという、あれである。
若旦那も若旦那だが、枝野幸男もだらしない。もとより思想信条、哲学・理念も違うのだから9月末の両院の議員総会がチャンスであった。
あの時に新党立ち上げを宣言すべきで、遣り手婆に袖にされたから出て行くみたいでみっともない。世間の同情などは瞬く間に消える。
与党の補完勢力などと揶揄されることのない堂々たる野党を、時間をかけてもいいから作り上げて欲しい。

今回のことで言いたいことは山ほどある。しかしマスコミで語られる以上の情報はないので、この間朝日紙面に現れた括目すべき論評、まったくその通り!異議なし!と膝を打ったいくつかを再録し、これを自分の意見に替える。

杉田敦 法政大学教授 政治理論
憲法53条には、内閣は一定数の国会議員の要求があれば臨時国会を開かなければならないとある。それにも拘らず安倍内閣は3か月も放置した。国権の最高機関である国会の審議機能を行政の長が妨害した。憲法違反である。
そして漸く国会を開いたら、何の審議もせずに冒頭解散した。解散権は首相の専権事項と言うが、憲法にそんな規定はない。

長谷部恭男 早稲田大学教授 憲法
憲法違反すれすれの無体な解散をした政党には、主権者国民がお灸をすえるしかない。政党は本来、理念や政策を共有する人たちの集まりで、選挙互助会ではない。
安倍晋三はリベラルな無党派層が、政治はくだらない、自分の受け皿は何処にもない、棄権するぞと思ってくれれば好都合と判断している。

池澤夏樹 作家
加計と森友で追い詰められて一方的に解散。そのうえで「国難」とはよく言ってくれたものだ。
安倍晋三は主題Aについて問われてもそれを無視して主題Bのことを延々とぺらぺらと軽い言葉で話す。Bについての問いにはCを言う。対話ではなく議論でもない。
野党の無力と与党の制度疲労の隙間から小池百合子が頭をもたげた。しかも彼女の「日本をリセット」と安倍晋三の「日本を取り戻す」は無意味という点では同じ。
選挙の原理は「少しはまし」ということに尽きる。理想の候補はいないとしても、誰かの名を書いて投票しなければならない。

高橋茂 コンサルタント
森友・加計の本質は国がなぜ国有地を安く売却したか、国がなぜ獣医学部の新設を認めたかの点にある。なのに、問題を追求する野党議員にネガテイブキャンペーンを仕掛けて炎上させ、言論を封じてしまう。どんどん先鋭化する空気を許してしまったのは安倍首相自身である。

青木理 ジャーナリスト
安倍晋三は大きな志もなく家業を継いだ単なる世襲政治家。若いころを知る人は、子犬がオオカミの群れと交わり、オオカミになってしまったと表現する。今回も「国難突破解散」と称して危機を煽る。政治家は老舗の和菓子屋や歌舞伎役者の世界とは異なる。世襲ばかりが増えて政治を牛耳れば民主主義をゆがめる。

三島憲一 大阪大学教授 ドイツ思想
安倍首相のように、自分の困難を「国難」と言いくるめて議会を解散し、民進党の前原代表のように一夜にして党を溶かす小手先のやり方が続けば、心地よげな一体化の幻想の中で排除と差別が助長されるだろう。
(2017.10.6)

公開講座等3テーマ

「頼れる大人の会」を主宰して16年、シニアを対象に講演会等を企画する側に廻っているが、会の存続のためにも広くテーマを求め、講師を発見しなくてはならない。
むろん自身の勉強のため、知識の蓄積のためにも必要なことなので、大学の公開講座などにも積極的に足を運んでいる。

人、領土、アイデンテイテイから考えるドイツ
共立女子大教授 西山暁義氏
・1950年代後半から始まる高度経済成長:ベルリンの壁による東独からの流入急減により、外国人労働者の需要が高まった。連邦政府は1955年のイタリアを皮切りに、スペイン、ギリシャ、トルコ、モロッコ、ポルトガル、チュニジア、ユーゴスラビアと協定を結び、その確保に努めた。
・2015年の総人口8,100万人のうち、21%にあたる1,712万人が「移民の背景」を持つ人々である。うち外国籍777万人に対し、ドイツ国籍を保有する者935万人である。地域的には96%が旧西独領に居住している。
・難民申請数の増加は1990年代前半のソ連、ユーゴなど東欧諸国の政治的不安定によるものと、ここ3年のシリア難民の増加である。
(9月16日 共立女子大学公開講座2017)

一つの中国をめぐる国際政治
共立女子大教授 浅沼かおり氏
「中台の主要データ比較」

中国 台湾 台中
人口 約13億人 2.350万人 (2%)
面積 960万㎢ 3.6万㎢ 0.4%
GDP 10.4兆ドル 5.300億ドル 0.5%
兵力 230万人 29万人 13%
貿易 対台割合 4.8% 対中割合 23%

・中台双方とも、中国は一つであるという点では一致している。一致していないのは、どちらの中国政府が正統な統治者であるかという点である。一国二制度、台湾は香港を見ている。
・先人の知恵:あいまいのまま、先送りがいいのではないか。
・台湾と国交のある国は20か国。バチカンを除く大半は国際的な影響力を持たない中南米や太平洋の小さな国々。
・蔡英文政権の支持率低迷。民主化が行きすぎて機能不全に陥ったという見方も一部にある。
(9月23日共立女子大学公開講座2017)

高齢社会における芸術文化の可能性
英サドラーズ・ウエルズ劇場 ジョス・ジャイルズ氏
ゴールド・シアター2016脚本・演出 ノゾエ征爾氏
・社会の高齢化は先進国に共通の課題であり、各国でシニア世代が参加するアート活動の気運が高まっている。超高齢社会に突入した今、未来に向けて芸術文化は何ができるのか、劇場は地域に何をもたらすことが可能なのか。
・先進的なプログラムを擁する英国のシニア層を対象とした活動の紹介。
・60歳以上のダンサーで構成されるサドラーズ・ウエルズ劇場専属ダンス・カンパニー「Company of Elders」は1989年の設立以来、踊り始めるのに決して遅すぎないことを証明し続けている。

・昨年12月7日さいたまスーパーアリーナで上演された「1万人のゴールド・シアター ロミオとジュリエット」を演出したノゾエ征爾さんの4か月にわたる取り組みと成果の報告。1600人の高齢者が参加した群集劇は故蜷川幸雄さんの遺志であり、さいたま芸術劇場の取り組みであった。
(9月21日さいたま芸術劇場 世界ゴールド祭キックオフ!シンポジウム)

折から北朝鮮問題、解散の大義、不倫騒動と世情騒がしいが、300人規模の教室、ホールを埋める老若男女に感動する。この種のテーマにじっくり向き合う人達がいて、その一員であることに誇りを覚える。
(2017.9.26)

宗谷本線、本当に必要ですか?

道北に音威子府という小さな村がある。旭川から北に130㎞、名寄からも50㎞ほど北に位置する日本一人口の少ない村である。
「おといねっぷ」と読む。地名はアイヌ語の「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)に由来し、音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていた事からの命名だという。

この小さな村の発行する広報誌が7月号で「沿線地域の皆さん、鉄道、本当に必要ですか?」と問いかけたというニュースが全国紙に掲載された。

いま村を南北に走るJR線は、旭川-稚内間260㎞の宗谷本線である。特急列車が日に3本、普通列車も上り下りが日に3本運行されている。しかしJR北海道は、名寄以北稚内までは輸送密度が極端に低く、今後単独で鉄道を維持することは困難と表明し、近い将来の廃線をほのめかしている。
普通、鉄道網が縮小されるとか廃止するなどという話には、町や村を挙げて反対運動が展開されるのが一般的だが、音威子府村のこの住民への問いかけは異例である。
経済性だけから言えば、北海道に残りうる鉄道路線はごく限られるが、それにしても音威子府村の住民への問いかけは今までにないもので、どんな声が上がるのかと俄然興味が湧いた。

そこで、村に電話して広報誌を送ってもらうことにした。
数日後、在庫切れのためコピーを送りますとの添え書きとともに村勢要覧や村のガイドマップなどが送られてきた。

さて「音威子府」にはこれまで三度行ったことがある。最初は音威子府と稚内をオホーツク海沿いに結ぶ「天北線」廃止のニュースを聞いて、そんなことになるなら、その前に車窓から猿払原野を眺めたいものだと、天北線に乗りに出かけた時。
二度目は道内のJNR完乗を目指していた時で、宗谷本線で日本海側を稚内まで行った。そして三度目は、日本の最北端ゴルフ場、稚内CCでのプレーのため旭川から車で走ったとき。昼飯を音威子府の食堂で取った。

いずれの場合も単なる通過客に過ぎず、特別この地に深い思い入れがあったわけではない。
だが、鉄道ファンにとっての音威子府は北海道の最北端へ伸びる鉄道要衝の街として、ここは聖地なのである。
しかし、かつて「住民の総意で守ろう天北線」とスローガンを掲げたものの、平成元年には鉄道廃止、バス転換が決まった歴史がある。そして30年後のいま、今度は宗谷本線がピンチである。

送られた資料によると、平成29年の音威子府の現状は次の通りである。

世帯数 497戸 (最大889 S40年)
人 口 784人 (最大4184 S25年)
一戸あたり 1.6人 (最大6.0 S15年)
音威子府駅一日当たり乗車人数 34人 (S40年代後半300人H15年以降100人)

こうした絶望的なデータの前で宗谷本線に関する施策や鉄道・駅についての利用促進策などを捻り出すのは難しい。しかしながら、これに関心を抱いた以上は何か提言書めいたものを作ろうじゃないかと、北海道大好き、鉄道も大好きの仲間3人が集まって、一夕議論した。原則論に終始し、あまり役に立つとも思えないが、こんな奇特な人もいるよと村の地域振興室に送付した。
以下にその要約を記す。

経済的に考えるならば、鉄路を廃止するしかないであろうが、この区間については以下の諸点に特別の配慮が必要である。

1 冬季に豪雪があり、路面が凍結するため個人が車を運転することに危険が伴うこと。
2 この区間の延長線上に稚内まで伸びる鉄路があり、廃線の影響はこの区間のみならず、他の地域にも及ぶこと。(夕張市が決断した夕張・新夕張間の廃線とは事情が異なる。)
3 稚内まで鉄路が繋がっていないと、人口35000人の稚内が孤立した形になり、この地区に影響力を強めつつあるロシアに対し、日本が弱い立場に立たされる。
4 全体的に橋梁や長大トンネルは少ないので、保線が比較的容易である。(廃止に決まった三江線が災害の危険性が高いのとは異なる。)

鉄道の存在価値は東日本大震災発生時の燃料輸送ルートで証明される。道路が麻痺する中、JRは日本海側ルートに貨物列車を走らせ、燃料等の物資を京浜地区から被災地に運んだ。
本質的には道路には際限なく税金を投入するのに、鉄道の赤字は一銭たりとも許さないという国の交通政策に誤りがある。

貴村のご発展とご健闘をお祈りいたします。
(2017.9.19)

日本新三大夜景

民進党の新出発に際し、期待と若干の危惧を書こうと張り切っていたのだが、またしてもお粗末な騒ぎが報道され、出端をくじかれた。従って今週は次元の違う「夜景」の話しに切り替えて「民進党」は後日にまわす。

夜景観賞士なる人物が日本に4,500人もいるなどとは全く知らなかった。その人たちの3年に一度の投票で、札幌・藻岩山展望台から望む札幌の夜景が、函館にとって代わってトップ3にランクインしていた。これまでの日本の三大夜景と言えば、稲佐山から望む長崎市の夜景、摩耶山からの神戸・大阪の夜景、函館山から望む函館の輝く街と海のコントラストと決まっていた。



それが藻岩山からの札幌市の夜景にその座を奪われていたのだという。知らなかった。函館市はかくなる上はと光の量や質を調査し、その座の奪回に努めるというから、来年10月の選定結果が楽しみになる。北海道全体の観光のためにも、これはいい話である。

ところで「三大〇〇」というのは、観光にとって絶大なブランド効果を発揮するのは、日本三景、日本三名園、日本三名瀑などで証明済みである。「三大」を選ぶ基準に法律があるわけでなく、広く人口に膾炙したものが、常識化したのであろうが、今週はことのついでに「世界」を含め、こんなものにまでと思われるものを拾い上げ座興に供すことにする。

ご存知なかったものが一つでもあることを願いつつ。

日本三急流 富士川 球磨川 最上川
三急潮 鳴門海峡 関門海峡 針尾瀬戸(西海橋)
三松原 三保 虹の松原(佐賀) 気比松原(福井)
三美林 青森ヒバ 秋田スギ 木曽ヒノキ
三奇橋 錦帯橋 猿橋 かずら橋(徳島)
三大盛り場 新宿歌舞伎町 京都新京極 大阪千日前

三大祭り 祇園祭 天神祭り 神田祭
三霊場 恐山 比叡山 高野山
三珍味 カラスミ(長崎) このわた(愛知) ウニ(福井)
三大そば わんこそば 出雲そば 戸隠そば
三大うどん 讃岐うどん 稲庭うどん きしめん
三大うちわ 房州 丸亀 京うちわ
三大花街 京都島原 江戸吉原 長崎丸山
三大ドヤ街 釜ヶ崎 山谷 寿町(横浜)
三悪人 道鏡 平将門 足利尊氏
三悪女 藤原薬子 日野富子 北条政子
三大石材 真壁(茨城) 岡崎(愛知) 庵治(香川)
世界三大火山 キラウエア ストロンボリ 三原山
三大銘木 ウオールナット チーク マホガニー
三大図書館 アメリカ議会図書館 大英図書館 フランス国立図書館
三大美術館 メトロポリタン ルーヴル エルミタージュ
三大オーケストラ ウイーンフィル ベルリンフィル ロイヤル・コンセルトヘボウ
三大スープ ボルシチ(露) フカヒレ(中) ブイヤベース(仏)
三大美酒 ワイン 純米吟醸酒 紹興酒
世界三大悪妻 ソクラテスの妻 モーツアルトの妻 トルストイの妻
三大美女 クレオパトラ 楊貴妃 小野小町
三大花粉症 スギ花粉(日) イネ(欧) ブタクサ(米)
最後に
世界三大無用の長物 ピラミッド 万里の長城 戦艦大和

「新幹線計画」は発表された当時、これらに次ぐ大バカと言われたが。
(2017.9.12)

日本の鉄道は27,000km

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))
鉄道紀行の名著『時刻表2万キロ』は宮脇俊三、1978年の作品である。まだ東北新幹線も上越新幹線も開業以前で、当時の国鉄旅客営業キロは20,796km。
しかし時代は、モータリゼーションの進展と、鉄道沿線には人口減少が目立ち始めていて、1987年の国鉄分割民営化によって、赤字路線の廃止が一挙に進んだ。
その後、北陸新幹線や北海道新幹線の開業といった明るい話題がある一方、昨年12月の留萌本線留萌ー増毛16.7㎞の廃止や、来年4月に決まった三江線江津ー三次108.1㎞廃線といった暗いニュースも続く。
こうなると「国鉄2万キロ」といったこれまでの尺度は、いまどうなっているのかと確認したくなる。そこでことのついでに私鉄を含め、最新の日本の鉄道総延長キロを整理しておくことにする。

🚝JR 19,899㎞
一見「国鉄2万キロ」と言われた40年前と変わらないようだが、これが大違い。この40年間で、廃線になったもの第三セクターに転じたものなど約4,000キロが国鉄から消えた。北海道の鉄路は40%が無くなった。加わったのは全国の新幹線約3,000キロ。それで差し引き▲1,000キロ。

🚝私鉄 7,713㎞
近畿日本鉄道(498㎞)、東武鉄道(463㎞)、名古屋鉄道(445㎞)の私鉄御三家と各地の路面電車、モノレールを含む総延長キロ。

🚞ケーブルカー トロリーバス 32㎞
鉄道事業法により鋼索鉄道として立派に鉄道と認められている。筑波山、髙尾山、生駒山などのそれである。

この三つの合計が27,644㎞。しかし、もとより私鉄やケーブルカーの完乗などという無謀な挑戦は考えていない。(2017.9.5)

『日本迷走の原点 バブル』永野健二著 新潮社

「安倍晋三内閣は空前の金融緩和政策をとりながら、アベノミクスと呼ばれるデフレ脱却政策を取り始めている。ありていに言えば“バブル”を意図的に作る政策である。必要ではあるが、危険な政策である。まかり間違えば、日本を破局に導く政策だと思われる」。
著者はバブル期、日本経済新聞社の証券部記者として、日夜人々の価値観を破壊するのに十分な出来事、誰もが真面目に働くことの割の悪さ、持てる者と持たざる者に広がる不公平感などをつぶさに見聞してきた。
そしてマスメデイアがもっとしっかりと報道していたらと自戒を込めて、「上げるべきところで金利を上げなかった日銀の罪、機関投資家に株を買うよう誘導した大蔵省の罪、不動産融資にのめり込んだ銀行の罪、会社の価値を収益ではなく、含み資産で計算した証券会社の罪」を詳述する。

しかし本書の特長は、バブル崩壊をめぐる反省と検証や金融政策をめぐる成功・失敗を評価したものではなく、「あの頃には書けなかったこと」、「あの頃には見えていなかったこと」、「今の時代になって明らかになったこと」を書いたことにある。
白眉は、日本全体が土地高、株高を前提に未来図を描き、美術品やゴルフ場の会員権が飛ぶように売れた異常な時代に跋扈したバブル紳士たちの行状とそれを支えた金融機関、行政の無定見、無節操ぶりである。
旧来のエリート層は、1980年代の後半、不動産市場、株式市場に登場した彼らの中の大物を名付けてエイズ(AIDS)と呼び、成り上り者を締め上げねば、というセリフが頻繁に発せられていたという。
ここで言うAIDSとは、
麻布土地 渡辺喜太郎
イ・アイ・イ 高橋治則
第一不動産 佐藤行雄
秀和 小林茂の面々である。
しかし著者は異端児、成り上りと蔑まれているこれらの人たちに親近感を抱いている。「問題があったとすれば、この人たちの野心や欲望に、何の反省もなく融資しづけた銀行やノンバンクではなかろうか。」と。「企業家精神にはいつも上昇志向とともに、ある種のいかがわしさが潜んでいるものだ」。とも言う。
本書にはこのほか、その頃マスコミを賑わせた加藤暠、高橋高見、小谷光浩、尾上縫らが登場する。現在をバブルの序章とするならば、我々は80年代の教訓をもう一度学ぶ必要がありそうだ。

ところで我が出身企業はバブルにどう向き合ったのか。
影響は無かったどころではない。積極的にバブルの渦中に飛び込んでいったのだ。当時の経営トップの判断誤りとそれを止められなかった幹部の責任と言ってしまえばそれまでだが、子会社を作って、マンション経営やボーリング事業に乗り出したのは事実である。
挙句失敗に終わるのだが、そこで生まれた巨額の負債は長期にわたって本業を圧迫し、在職期間中の殆どが無配会社であった事実がその痛手の大きさを物語っている。

話し変わって我がサラリーマン人生を語るエピソードの一つに“転職”がある。いままで語る機会がなかったが、間もなく80歳、書き残しておくことにする。
1961年の入社、最初の配属先は広報宣伝部門。勤務地が三重県の工場から東京に移り、仕事にも慣れてきた頃、世は高度成長の入口で、新興の企業は人材の中途採用に熱心だった。テレビのカラー放送が始まった頃のことである。特に宣伝部門の募集広告が多かった。
こちらは漸く一人前に仕事をこなせるようになってはいたものの、重電機メーカーの宣伝・広報になにかあき足らない、食い足りないものを感じ始めていた。まだ20代、身のほど知らずだったかもしれない。これから伸びそうな若い企業の宣伝部門に魅力を感じていた。密かに応募することを考えた。そして実行した。

その第一号が、本書でも取り上げられている「秀和」だった。秀和レジデンスのブランドで青山や外苑に高級マンションを建設する会社という以外に何もしらなかった。
面接に現れた小林茂氏(1927‐2011)とどんな会話をしたのか、全く記憶にないが、好感の持てる青年実業家という印象であった。のちにバブルの寵児になるなどは知る由もない。採用通知は来なかった。
次はマルマン。そうあのガスライターの。片山豊氏(1920-1997)には、なにか圧迫感と威圧感を感じ、こちらから積極的になれなかった。いま片山さつきの義父と知る。

最後にミサワホーム。木工プレハブの住宅メーカーとして成長が期待されていた。創業者の三沢千代治氏(1938-)のことはよく覚えている。
何を気にいられたのかは知らないが、会社にも自宅にも電話があって、誘ってくれた。この時は迷った。
意を決して親父に相談した。親父は息子がそんなことをしていることにちょっと驚いたようだったが、“今の給料の倍払うと言ったら考えてみろ”とだけ言った。
歴史にIFは禁句だが、1967年創業、1971年上場のミサワホームは当時、人材を求めていた。いま同社は年商5,000億円の優良企業。
もしあの時転職していたら、その後のサラリーマン人生はどんなものになっていたであろうか。 成功したか、失敗して路頭に迷ったか。 (2017.8.22)

濫読

最近本を読んでいない。これではいかんと系統立てずに手当り次第読む。


海と生きる作法 漁師から学ぶ災害観 川島秀一
本書の題名は「海に生きる」ではなく、「海と生きる」である。三陸のリアス式海岸は多くの魚が寄り来る天然の漁場であるが、その海岸は津波も寄り上がる地勢を有している。
津波に何度も来襲された三陸沿岸に生き続ける漁師は「海で生活」してきたのではなく、「海と生活」してきたのではないか。著者はそう考える。
海と対等に切り結ぶ関係を持っていなければ、今後もなお漁に出かけようとする心意気が生まれるはずがない。机上の高台移転計画や防潮堤の安全神話への根源的な批評でもある。


フクシマの荒廃 フランス人特派員が見た原発棄民たち アルノー・ヴォレラン
フランスの日刊紙特派員が福島事故の除染、廃炉作業に携わる労働者たちから原子力村の面々に至るまで、ナマの声をインタビューと取材でまとめたルポルタージュ。
廃炉現場に赴いた著者は「何も生産しない、何も建設しない」、引き算の労働を営々と続けねばならない無数の労働者に衝撃を受ける。
事故原因の解明さえ終わらぬうちに、再稼働と輸出を始めようとする日本の姿勢を批判する。


ゴーストマン 時限紙幣 ロジャー・ホッブズ
たまには文庫のミステリーをと「このミステリーがすごい!」で3位になった犯罪小説を読む。舞台はアトランテイックシテイ、シアトル、オレゴン、クアラルンプールと目まぐるしく、それに過去と現在が並行する。
最近ではカタカナの登場人物の名を覚えきれず、こいつは悪い奴か、いいやつだったかと何度も頁をひっくり返す。もうこのテの小説はムリだ。


騎手の一分 競馬界の真実 藤田伸二
当時まだ41歳、ダービージョッキーの藤田がなぜやめたんだろうと思っていたが、4年もたつと忘れていた。ところが平積みされた新書版を書店で見つけた。どうやら早々と引退した理由はエージェント制度を導入したJRAの体質に嫌気がさしたらしい。
いままでは、騎手自らが何とか強い馬に乗せてもらいたいと厩舎まわりをして、いつどの馬に乗るのか自分でスケジュールを管理していた。
そうした努力が実って馬主や調教師、厩務員、調教助手などと良好な関係を築いてきたのだが、エージェント(騎乗依頼仲介者、競馬専門紙の記者など)の登場によって、騎手と調教師の関係はすっかり希薄になってしまった。だから騎手は力のあるエージェントと契約を結ぶことが勝利の近道になってしまい、「馬七分人三分」と言われた世界が、いまや「エージェント十分」と言っても大袈裟でないと怒る。彼はエージェントに媚びて、頭を下げることなど真っ平だという。その他もろもろ、いまある問題を見て見ぬふりをするJRA がすべて悪いと決めつける。


唐牛伝 敗者の戦後漂流 佐野真一
60年安保闘争時の全学連委員長、唐牛健太郎の数奇な生涯を描くノンフイクション。

・1937年  函館生まれ
・1956年 北大教養部入学
・1959年 全学連委員長就任
・1960年 4月国会突入を謀り逮捕、北大除籍
6月樺美智子さん国会デモで死亡
・1962年~82年 田中清玄。堀江謙一。新橋「石狩」。与論島。紋別で漁師。徳洲会。
・1984年 47歳で死去

早すぎた死だが、我々世代のある種の英雄。樺さんが死亡した6月15日、彼は獄中にいたが、当時の我々立教生は先鋭的に対決する警官隊とデモ隊を遠巻きするような位置にいた。死者が出たというのは帰宅後、テレビで知った。あの頃は学校に行っても授業はなく、連日丸の内線の地下鉄で清水谷公園に行き、国会・銀座方面へのデモに参加していた。
新聞には慶応生や立教生までもデモに参加したと報じられたが、明治、早稲田、中央などの精鋭の前ではおとなしい存在であった。

佐野真一のノンフイクションは、『東電OL殺人事件』を畢生の名作と考えているが、数年前、橋本徹の人物論で一時挫折した。久しぶりの本作には、同時代の政治家、財界人、右翼、左翼、芸能人、マスコミ人が多数登場して飽きさせない。
(2017.8.2)

日本百低山

去年から8月11日は「山の日」という国民の祝日になっていたそうだ。学校も企業も夏休み真っ只中で、祝日が増えてトクしたという実感は薄いだろう。
「海の日」があるのだから、祝日のない8月に「山の日」を作ろうと、やたらこういう事にだけは熱心な、どこぞのお偉いさんたちの発案らしい。
しかし今や、こんな日をわざわざ作らずとも、身の丈知らずの中高年と山ガールが夏山にわんさと押しかけ、その内、事故のニュースが新聞を賑わすだろうと思っていた矢先、名著『日本百名山』ならぬ『日本百低山』(日本山岳ガイド協会編)の存在を知った。

「山は富士山やアルプスだけじゃない、高けりゃいいってもんじゃない。日本人はそれぞれが心にふるさとの山をもっている。」として、47都道府県にある1,000m内外の名低山100座を選び出した。
ざっと見ると、丹沢の大山や箱根の明神ケ岳、伊勢の朝熊山、京都の大文字山、広島の弥山など、登ったことも知っている山もあるが、いずれも気軽なハイキング気分で行ける山ではない。

そこで今回は、極め付き「日本一低い山」を紹介して、盛夏の清涼剤としていただくことにする。朋友、徳島の吉田正二くんからの情報である。
『徳島市南部の田圃の中にある弁天山(標高6.1m)が日本一の低い山である。宮城県の日和山(3m)、大阪の天保山(4.53m)が、こっちの方が低いと主張しているが、それらは人工の築山で、自然にできた山ではない』。
写真も付けられている。『道のわきの朱色の鳥居が登山口。登山口から歩いて10秒、走れば5秒で頂上に達し、そこに水の神である弁才天が祀られている。登山口の横のラーメン屋には登頂証明書が置かれていて、記念品やグッズも売られている。しかも弁天山保存会なるものが、この登頂証明書を発行していて、先年、登頂20万人を記念してセレモニーが開かれた。標高6.1mにちなんで、毎年6月1日には山開きがある。“日本にこれ以下はない。あとは昇るばかりでエンギがいい”と山頂結婚式まで行われている。』とある。
最寄り駅はJR牟岐線の地蔵橋駅だそうだ。信じ難い思いもあり、確かめに行きたいのだが、今のところその計画はない。 (2017.8.14)

ダイアン・レインとミシェル・ウイリアムズ

ふたりの女優のその後の作品をまっていた。

ダイアン・レイン Diane Lane 初見は『ストリート オブ ファイヤー Streets of Fire』(1984年 監督:ウオルター・ヒル)、その時19歳。
蒼白いスポット・ライトを全身に浴びて、セクシーなボデイ・ラインを浮かびあがらせる~🎶 ロック女王に扮したダイアン・レインはとても美しく刺激的であった。

当時、関西出張が続くなか、谷間の日曜日、大阪の劇場で独りポツンと見た。
ステージが最高潮に達した頃、突然黒い制服に身を固めたストリート・ギャングが乱入して彼女をさらう。そこへ西部劇のヒーローを思わせる主人公が単身ふらりとやって来て、市街戦あり、決闘ありの後、彼女を救い出し何処へともなく町を去って行く…。
まさに副題(A Rock &Roll Fable)どおりの寓話である。

「暴力に支配された故郷の町に舞い戻った男が、悪を叩きのめして再び去って行く…」。これまで作られた凡百のアクション映画も西部劇も、これをテーマにするが、この作品はひと味違った。

ロックが響く中、夜の暗く濡れた舗道、所どころの水たまり、深夜のロック・コンサート場、エキサイトする観客、ライトを浴びて登場するロックの女王…、一瞬たりとも緊迫感を失わない無駄のない演出、ウオルター・ヒル監督のシャープな腕の冴え。この年のキネ旬外国映画部門の7位。
主人公はマイケル・パレ演じるヤサ男なのだが、ダイアン・レインがずっと気になっていた。その彼女が52歳になって、『ボンジュール、アン』に登場した。
夫の仕事仲間とカンヌからパリへ車で向かうことになったダイアン・レイン。7時間のドライブのはずだったが、美しい風景、おいしい食事とワイン、ユーモアあふれる会話、素敵な寄り道…。微妙に
変化を始めた女の気持ち。

30年以上も前に見たダイアン・レインは、我が長女に置き換えれば大学に入学したての一年生。それが今や自分の娘の結婚を考える女性に変貌している。だから30年ぶりに見たダイアン・レインには当時の面影はなく、額のしわ、目じり、口元の小皺に50代の普通の女性を感じる。その彼女が、“フランス男には気を付けろよ”の亭主の言いつけを守りながらも、二日間の旅で心は広がり、次第に惹かれるものを感じる。しかし最後まで何事もおこらない。
原題の『PARIS CAN WAIT』は”パリはほおっておいていい“と訳せるらしい。映画の惹句「人生って、まだまだステキ」が素直に同感できる羨ましい大人の関係。俺にもこんな機会があったらなあ。

ミシェル・ウイリアムズ Michelle Williams 1980年生まれ 37歳、
6年前に見た『マリリン7日間の恋 My Week with Marilyn』が忘れられない。
マリリン・モンローの秘めたる実話を演じたミシェル・ウイリアムズの美しさは比類がなかった。アルコールと処方薬への依存、情緒不安定と遅刻の常習者として芳しからぬ評判のモンローが、あるとき7日間だけ撮影中の助監督と郊外に旅へ出た。モンローはこの若く誠実な助監督の前では虚像を捨てて、純粋で本当に可愛い女になれる。
この年のゴールデングローブ主演女優賞の受賞も当然と思わせるモンローになりきった演技。うっとりするほど愛らしく美しいモンローの何処に世間から指弾されるところがあるのかと思えるほどであった。

そのミシェル・ウイリアムズが『マンチェスター・バイ・ザ・シー Manchester by the Sea』に出た。兄の遺言で16歳の甥の後見人となる主人公の元妻を演じるのだが、さすが女優、モンローの面影はなく難しい役どころを好演した。作品としては今年のアカデミー賞の脚本賞、主演男優賞を受賞した心地よい良心作で、ミシェル・ウイリアムズの輪郭のすっきりした美しい顔を再見できて極めて満足。
田谷英浩(2017.7.16)

米内義人さん逝去

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6月13日、教育映画作家米内義人さんが亡くなった。享年84歳。神鋼電機の広報時代、今も残る科学映画の名作『振動の世界』、『水と農業』の企画者とシナリオ・ライター、監督という立場で知り合った。
爾来45年、映画を語りあえる数少ない友人として交際を続けてきた。しかしトシには勝てなかったようで、春先の便りでは“盛り場へ出かけて映画見物などは夢のまた夢、専らDVDやテレビ放映の映画を見るだけの生活”とあった。しかし同封されていた「この一年で見た映画のリスト 題名と私の評価」には289本の作品名と評点が記されているから、映画好きといっても尋常ではない。根っからの映画人であった。

そして先日、既に用意されていたのだろう、父が生前に書き残しておりました手記を本にまとめましたとご長男から『映画と私』と題する160頁の小冊子が送られてきた。
それを読むと、彼の映画熱は中学一年の時に点火されたようで、「読書に濫読があるように、私は映画を見まくった。高校生になってからは、将来は映画をやるんだと決めて、映画にのめり込んだ。映画代に事欠いて昼飯代を流用し、それでも足りないので、映画館に頼み込んで看板絵を描かせてもらった。それで町の映画館の出入りが自由になった」。とあるから、ただの映画好きとはレベルが違っていた。

かくして日大映画科、学研視聴覚部、東映教育映画、桜映画、東京文映でキャリアを積み重ね、1980年以降はフリーの作家として、教育、文化映画の脚本家、演出家として名を成した。
この間、制作に携わった作品数は数百本、受賞作も数知れない業界の有名人であった。同書によれば、自身の代表作として1978年の『水車から電気へ』を挙げている。キネ旬は「日本が急速に近代化する過程を鮮やかに描き出して、文化の許容と消化という日本的な特色をとらえることに成功している」と評し、科学雑誌『自然』は「これ以上簡潔に産業動力の変遷を描くことは思いもよらない。ぐいぐい迫ってくる」と激賞した。この年は他に、地方病撲滅との闘いを描いた異色作が、日本の寄生虫医学史の感動の記録と絶賛され、科学映画祭において当時の皇太子から賞状を受けたとある。

短篇業界は劇映画に比べれば地味な世界であるが、彼のような優れた作家と一時期一緒に仕事ができ、その後もお付き合いが続けられたのは幸せであった。
まだ30代も前半の頃、企業PRの一環として、“後世に残る産業映画”を作るとトップを説き伏せて成功作を生んだことはサラリーマン時代最大の思い出である。この時の脚本・演出が米内義人さんで撮影は名カメラマンの故豊岡定夫氏であった。当時のことがこう書かれている。

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振動の世界 1971年
神鋼電機の大作が入った。自社の振動発生器のPRを超えて、振動の科学の現状を捉えようと東大生産技研の亘理先生を監修者に、その人脈で建築、鉄道、船舶、車両などにカメラを向けた科学映画という企画はたぶん田谷さんの発案だろう。
たまたま各所で大規模な振動実験が行われるという幸運に恵まれて、撮影対象は贅沢なものになった。撮影は豊岡氏。科学映画の撮影技法のすべてを活用して、振動を見事な映像に捉えて、その年の日本撮影協会の最優秀撮影賞を獲得した。科学映画祭では最高賞、教育映画コンクールで金賞、シカゴの科学映画祭で創造芸術賞、リオの産業映画祭では最優秀監督賞をもらった。産業映画祭で個人賞は前代未聞か。

水と農業
水と農業 1974年
神鋼電機のスプリンクラーのPR映画という枠をこえて、日本農業の伝統的な水使いの知恵と明日の農業の展開を描く大作。撮影、編集のどの段階でもトヨさんと大揉めした。私は文化史、トヨさんはミクロ。心配した田谷さんがしばしば銀座で二人を呑ませてくれたが、悪酔いばかり。しかしキネ旬は「ポイントを水に絞った狙いの面白さが、構成の巧さと素晴らしい画面によって明快に示されて、見事な成果を挙げた」と最大限に褒めてくれた。キネ旬の第4位、教育映画祭の文部大臣賞。俺の映画作りは間違っていなかった!得意の絶頂だった。

あれから45年、かつての仕事仲間がまた一人去った。
田谷英浩(2017.7.28)

信州須坂と稲荷山の旅

訪ねてみたい古い町並み、覗きこんでみたい横丁をリストアップしてある。出所は紀行本であったり、TVの旅番組であったり、友人からの情報であったりする。
今回はそのひとつ、信州須坂と稲荷山を訪ねることにした。幸い長野市郊外に最近セカンドハウスを構えた友人から再三遊びに来いと催促されている。

須坂 エッセイスト池内紀『ニッポン周遊紀 町の見つけ方、歩き方、つくり方』(青土社)には、あまりなじみのない30の町が登場する。その中でこれまでに行ったことのある町は長野県大町、新潟県村上、福島県棚倉などの8つの町。広島の因島土生や山口の周防大島などになると食指は動くが実現性に乏しい。

須坂はクリと葛飾北斎で有名な隣町小布施に知名度で劣るが、今も博物館として残る近世の豪商田中本家を見たかった。
旧須坂藩は一万二千石の小藩であったが、北信濃一円の繭がこの町に集められ、絹糸に生まれ変わり、街道伝いに高崎、横浜へ届けられた。だから近代シルクロード起点の町だと主張する。多分、江戸中期以降繭蔵をもつ町家が軒を並べていたのであろうが、その中から大商人が誕生した。そのNO1がいま豪商の館田中本家博物館として公開されている。

田中本家の敷地は3,000坪、100メートル四方を20の土蔵が取り囲んでいる。初代田中新八が穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業を始めたのは1733年。それが11代目の現当主まで屋台骨を守ってきたと言うのだから立派である。
土蔵を改装した展示館には、江戸中期から昭和までの田中本家代々の生活用品が整然と陳列されていて、日本文化を守り伝えてきたと言っても大袈裟ではない。東京の博物館並みの質と量である。

稲荷山 建築家で歴史的な町並みの保存運動に尽力した故吉田桂二の『なつかしい町並みの旅』(新潮文庫)には26の町並みが紹介されている。その中で行ったことのある町は、砺波平野の井波、丹後半島の伊根、中国山地の吹屋などの6か所。青森の黒石や天草の崎津などはリストにあげてあるが、果たせていない。

「路地や裏通りの蔵また蔵の連続に一驚した。」と同書にある。稲荷山には繭や生糸、絹織物を扱う商都の面影が色濃く残っているのであろう。それを見たかった。
しかしこの記述から35年、探し方が中途半端だったかもしれないが、
蔵の連なりは部分的なものに変貌しており、町の中央部を通り抜ける街道が途中で折れ曲がる「鍵の手」は確認できたものの、「伝統的建造物群保存地区」を認識するまでにはいたらなかった。

この後は姨捨の棚田「田毎の月」を地平から眺め、標高551mのJR姨捨駅ホームからは200m下方に広がる善光寺平の大景観を満喫した。
複雑に張り巡らされたスイッチバックのレールをうっとりと眺めたのは無論である。
田谷英浩(2017.7.10)

テクノWING大田とJAXA相模原キャンパス

頼れる大人の会の主催する「大人の社会科見学」が好評である。月例会の座学とは別に、年に数回大人、それもシニアの知的好奇心を満たせるところ、単独ではなかなか行きにくい場所を選び出し、会員に参加を呼びかける。
毎回30人前後の集まりがあり、見学後の懇親会も、その時の話題で大いに盛り上がる。一見女性には興味がなさそうに思える航空機のエンジン整備工場などにも元リケジョは押しかけて来て、男性陣たじたじの鋭い質問を浴びせたりもする。以下は今年に入って実施した2か所の報告。

テクノWING 大田 大田区立本羽田二丁目第二工場アパート
・地価の高い大田区では廃業した町工場の跡地はほとんどが戸建て住宅やマンションになってしまう。そのため行政指導で工場アパートを整備し、町工場の集積維持と工場の操業を守りながら、住宅とも共存できる環境づくりを進めてきた。
・テクノWING 太田は2000年に竣工、48ユニットの工場のほか住宅棟を併設する。
・大田区内の製造業事業所数はピーク時10,000社(1983年)に達したが、その後減少に転じ(バブル経済崩壊、後継者不足、海外展開など)、現在では約3,500社と言われる。
・大田区の町工場は従業員3人以下が半数を占めるが、一社ずつが専門分野に特化していて、高度な加工技術を獲得している。
・「ものづくり基盤技術」と呼ばれる切削加工、鍛造、鋳造、金型、めっき、熱処理、金属プレス、樹脂成型、溶接、溶射などの技術分野である。
・今回はスター精工業社(金属部品の精密加工)と宮崎製作所(合成樹脂の精密加工)の二社を見学した。

JAXA 相模原キャンパス Japan Aerospace exploration Agency
・JAXAは日本の航空宇宙開発政策をになう研究、開発機関で2003年10月1日、日本の航空宇宙3機関 宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団が統合され発足した。

宇宙科学研究所職員による解説付き見学ツアーに加わった。
・小惑星探査機「はやぶさ」の実物大模型(熱構造モデル)で種々の技術に触れる。
・日本の宇宙科学の先駆けとなるペンシルロケットの実物を見学する。
・展示室にずらり並ぶロケット、人工衛星の模型を見学する。
・M-3SⅡロケット(実物大模型)、M-Vロケット(実物)全長30.7m 直径2.5m 139tの見学。
・売店の宇宙食に人気集まる。
田谷英浩(2017.6.27)

母校の教壇に立つ

大仰な物言いだが、ゲストスピーカーとしてよばれたと言えば妥当だろうか。先ごろ、立教大学のコミュニテイ福祉学部の熊上助教から「朝霞の米軍基地返還から朝霞の森誕生に至る経緯」について学生に話をしてほしいという依頼があった。
「コミ福」と略されるホームページを覘くと、「コミュニテイ政策は政府や自治体だけでなく、企業、住民組織、NPOなどコミュニテイの総合力を結集してこそ実現できます。そんな福祉社会構築に貢献できる研究と人材の育成がこの学部の目標です。」とある。
我々がこの10年間取り組んできたことが認められ、お話しできるいい機会でもあり、お引き受けして6月29日、新座市の立教キャンパスに赴いた。このキャンパス内の図書館には我が家の古い文書が収蔵されているのだが、ここに足を踏み入れるのは、それを確認に来たとき以来の二度目である。

1945年 旧陸軍施設に米軍進駐(キャンプドレイク)
1974年 キャンプ朝霞の日本返還決定
2008年 基地跡地利用計画策定(国に提出)
2011年 国家公務員宿舎建設中止
2012年 国=市 管理委託契約により暫定利用
広場「朝霞の森」オープン

要約すれば大よそこうなる経緯をDVD、パワーポイントを使って説明する。教室内には35人ほどの男女の学生。居眠りや雑談もなく、最近の大学生ってこんなに素直で真面目なのかとやや意外な感じもする。「朝霞の森」実現向けて市民の係わり合いを語る大野さんにも力がこもる。

結果は大成功。大袈裟に言えば、隣の町で市民がこんなに頑張って国と戦い、ミドリを残し広場を獲得した! ある種の成功譚と受け取られたフシもあり、終了後提出された感想文を読むと少々面映ゆい。
その一部を紹介する。

□現代の日本で、ここまで素敵なコミュニテイがあることに感動した。
(2年女子)
□自分に子供が産まれたら是非ここで遊ばせたい。(3年女子)
□こんなにも素敵なアイデイアが詰まったシンボル的空間ができた事に誇りを持つ。(2年男子)
□子供がケガをしたら、その遊具を禁止し取り除く中で、ケガをしても自己責任。骨が折れてもやむを得ないと聞いて、そういう大人が増えてほしいと思った。(2年男子)
□署名活動に意味があるのかと疑問を抱いていたが、一人一人の声がしっかりと形になった事例を知った。(2年女子)
□市民活動、子供の遊び場、自己責任、今の社会から失われそうな問題に触れた。リスクを完全に除かれた遊び場、行政任せで市民参加の無い社会、知らない人を排除する人間関係、朝霞の事例をモデルに、全国に広がって欲しい。(4年男子)
□公務員宿舎建設予定地に市民がプレーパークを作った。その行動力と団結力は凄い。(3年男子)
□住民が熱心に会議に参加しているのに驚く。お年寄りは当然として、小学生もちゃんと参加している。住民意識の高さは他市に誇れるのではないか。(2年男子)
□自由に木登りできる、少し危険な遊びものびのびできる。こんな公園があるのを知ってとても嬉しい。(2年女子)
□将来は朝霞のような人々のつながりの密な町に住みたい。(2年男子)
田谷英浩三(2017.7.2)

脱原発韓国と再稼働日本

韓国の新大統領が「脱原発」を国家目標にすると宣言した。原発は開発途上国だった時期に選択したエネルギー政策で、経済水準が向上したいま、国民の生命と安全を守ることが最重要と考えるのは社会的合意であると明快である。
ただ韓国のエネルギー源はその22%を原発に依存しており、産業界は当然のように代替エネルギーの確保を不安視する。前政権は25基の原発を増設する計画であったが、新政権はこれを否定した。原発は安全でも低廉でも環境にやさしくもない。福島原発事故を教訓とする韓国新政権の理性と腕力に期待したい。

一方我が日本はどうか。原子力政策を見直すべき絶好の機会であったにも拘らず、政権は依然原発を「重要な基幹電源」と位置付ける。
いまなお8万人の避難生活者を生んだ福島の重大事故の反省は今後何処に生かされるのか。
深刻なのは発電後に出る使用済み核燃料の置き場所である。「日本において処分のメドをつけられると思う方が楽観的で、無責任すぎる。」とは首相の時に原発を推進し、いま過ちを改めた小泉純一郎氏の言である。これこそ無責任極まりないと思うのだが、我々世代は次世代以降にとんでもないものを残してしまった。

資源小国日本は使用済み核燃料のプルトニウムを再利用する必要がある とした「核燃料サイクル」、「もんじゅ」の論理は破綻した。ここにきてウランの埋蔵量はかつて考えられていたよりも多く、石油より供給は安定しているとさえ言われるようになった。
大手電力会社は等しく経営戦略として原発再稼働を力説するが、東芝、三菱重工の経営不振は明らかに原発事業に起因しており、日本は再生エネルギーの先進国を目指して今こそ国を挙げて取り組むべきである。先進技術が韓国、台湾発にならないためにも人類存亡の危機を脱するためにも。                     
田谷英浩(2017.7.1)


路面電車

鉄道ファンを自称する以上、路面電車にも触れておかねばならない。路面電車とは「道路上に敷設された軌道を走る電車」のことで、元々は馬車軌道を電化したものである。
日本では世界に遅れること15年、1895年に京都でまず開業した。最盛期、東京では総延長300㎞を超える都電が「ちんちん電車」の愛称のもとで走っていたが、戦後自動車の普及と共に邪魔者扱いされるようになり、次第に全国の都市から姿を消した。
現在全国に残るのは、18の事業者が経営する240㎞であるが、ここにきて都市再生の切り札として路面電車を見直す気運が高まってきた。かつてクルマ社会の到来と共に、交通渋滞の元凶で時代錯誤の乗物とされた路面電車が、今度は増えすぎたクルマが引き起こす渋滞の解消と環境問題を解決するものとして注目されるのだから、何とも皮肉なことである。
もちろん東京や大阪の街なかに往時のように路線網を張り巡らすなどというものではなく、あくまでクルマへの生活依存度が極度に高い地方都市における動きである。「クルマがなければ生活できない」とはよく聞かれるセリフであるが、高齢社会の進行とともに「クルマはあっても運転できない」、つまり公共交通しか使えない層が地方都市や地域に生まれつつあるということである。
こうした課題にいち早く取り組んだのが富山市で、低床式LRT車の導入を核にした交通システムは、新たなまちづくりのモデルケースとしていま全国の注目を集めている。

もとより本稿で路面電車を中核とする交通論や交通政策を論ずる積りは無いし、そんな専門知識も持ち合わせていない。あくまで18事業者と路線長を次表に示し、読者諸兄のご参考に供しようとするものである。
なお表中の網掛け部分は、これまでに乗ったことのある路面電車である。未乗路線が半分以上あるが、そのすべてに乗りに出かける積りは今のところない。

日本の路面電車

都市

事業者

路線長 ㎞

系統

札幌

市交通局

8.9

函館

市交通局

10.9

東京

都交通局

12.2

東京

東急電鉄

5.0

富山

富山LRT

7.6

高岡

万葉線

8.0

福井

福井鉄道

20.9

豊橋

豊橋鉄道

5.4

大津

京阪電鉄

21.6

2

京都

京福電鉄

11.0

大阪

阪堺電軌

18.5

岡山

岡山電軌

4.7

広島

広電

35.0

高知

土佐電鉄

25.3

松山

伊予鉄

6.9

長崎

長崎電軌

11.5

熊本

市交通局

12.2

鹿児島

市交通局

13.1

幸手(さって)モデルとはなにか

地域活動に足を踏み入れたのは、13年前の「地域福祉計画策定委員会」に加わってからである。この委員会は今では「地域福祉を考える市民の会」と改組し、行政の主催から市民グループの運営にと姿を変えている。
当初の社会福祉法の制定に伴う“策定せねばならぬ”段階から、当面する朝霞の問題を具体的に考えて提言するグループにステップアップしたというわけだ。
構成するメンバーは19人。一般市民、市議会議員に、現役の介護福祉士、訪問看護士、作業療法士、OBの教員や元ヘルパーなども加わって誠に多彩。月一回の定例会では「在り方論」から具体的事例に基づく提案、提言に至るまでレベルの高い議論が繰り返されている。
年に一度の市民向けシンポジウムも定着し、昨年は老年学の泰斗、我が長田久雄教授を招き、「老いるとはどういう事か」の講演をお願いした。

さて6月10日、今回はテーマを「地域包括ケアシステムの作り方」と決め、講師に埼玉県東部の幸手市・杉戸町で「幸手モデル」と言われるシステムを構築した中野智紀医師をお招きした。

講演抜粋
1) 地域包括ケアシステムとは、2025年度を目途に、重度の要介護状態になっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるシステムを構築することである。
2) 地域の住民、専門職、行政など、あらゆる資源を緩やかに繋げ、住民の生活価値の向上の実現を目指して協働していくための組織づくりである。
3) 幸手団地の健康と暮らし支え合い協議会では、重症化予防により健康推進へと繋ぐ、自立した生活への支援へと繋ぐ、コミュニテイ再生と見守りによる孤立防止 を目的にしている。
4) システムのポイントは国ベースではなく、自治体ベースの取り組みである。

幸手モデル」は「生きてゆく困難をいかに社会で支えて行くか」という難題に先進的に取り組み、成果を挙げつつあるシステムとして、この業界で注目を集め始めているらしい。そして重要なのはその中心に医師がいることで、行政だけでも、市民だけでも成立しえないもののように思われる。
当日は中野医師の知名度の高さもあって、近隣市を含め多くの行政職、専門職がつどい、会場は超満員、立見の出る盛況であった。
田谷英浩 (2017.6.14)

川奈ホテル富士コース

P1020852川奈でゴルフ、というのは依然ある種のステータスである。
ホテルの開業は1936年、経営が大倉財閥から西武系に代わり、2つのゴルフ場は会員制からパブリック制に転換しているとはいえ、橋本-エリツインの日ロ首脳会談(川奈会談)開催地であり、毎年、プロのゴルフトーナメントが行われる伊豆の景勝地である。

ゴルフコースの距離はさほど長いとは言えないが、自然そのままのフェアウエイ、砲台グリーンを取り囲むアリソン・バンカー群、海から吹き付ける風。太平洋に面したインコースの美しさは世界のゴルフ場のトップテンに入るという評価もある。我々には容易に50を切れない難易度の高いゴルフ場である。
それにもまして我々を寄せ付けないのはプレー料金の高さ。ゴルフコースがあくまでホテルの付属施設であるため、宿泊者以外のプレーはできない。従って料金は高額にならざるをえない。バブル期、泊まって、呑んでプレーして10万円とも言われていた。幸いにして、現役時代には一時期ここでプレーすることのできる境遇にあったが、退役後は当然ご無沙汰だった。

ところが春先になって、ここでプレーしないかという果報者が現れた。聞くと高額の遺産を相続したとかで、これまで世話になった友人たちを川奈に招待したいのだが、どうかという。一も二も無く本人の気の変わらない内にと計画を急ピッチで進めた。
6月初旬、二泊三日の川奈ゴルフに招かれたのは、「陸京会」4人と準会員2人の6人、全員70歳超。これが2組に分かれてプレーすることになったが、コースの難しさが昔のままで、腕前が年々落ちているとなるとスコアはとても公表したくないレベル。
しかし好天に恵まれた上に、昔の仲間とプレーすることの気軽さ、川奈でプレーしているという優越感、費用負担の無い開放感などが相まって、皆うきうき和気藹々。友達っていいなと当たり前の感想を漏らしつつ、こうした境遇に感謝する。メンバーからは“来年も”という声も上がったが、主催する本人は“そればかりはご勘弁”と渋い顔。
田谷英浩 (2017.6.12)
Kawana_Hotel_Golf_Course_Aerial_photograph.1976

映画監督と時代

早稲田・大隈小講堂で開催された映画監督が「映画と時代」を語るシンポジウムを覘く(4月22日)。
木下恵介の『陸軍』(1944年松竹)の上映後、パネラーに森達也、ジャーナリストの野中章弘、切通理作、ロックミュージシャンPANTA氏らが登壇する。国策に沿った映画しか作ることが許されなかった時代に木下恵介はどのように自分の作品と向き合ったのか。日本が戦争のできる普通の国になりつつある今、映画監督はどのように時代と向き合うべきなのかを考えようというわけだ。
早稲田大学ジャーナリズム研究所が主催するシンポなのに、会場に学生の姿が見当たらない。早大生にしてからがこうなのかと些かがっかりするが、会場を埋める高齢者からは安倍政権の露骨な右傾化を指摘する声が相次ぎ、束の間連帯を意識する。
昨年の同じ会では、小栗康平、荒井晴彦両監督が“反戦映画であっても、戦闘シーンはアクション映画になるから僕らは撮らない。非戦の日常を撮りたい”と言うのを聞いてなるほどと思った。
今年は、日本映画は被害者の視点から作られたものが多いが、ドイツ映画は加害者の視点で描いたものが多いという森達也監督の指摘になるほどそうだったのかと認識を新たにする。

折から、池袋・文芸坐では「映画に刻まれたナチスの爪痕」シリーズと銘打ったドイツ映画が上映されていた。未見の二本を見る。


手紙は憶えている
Remember 2015年 カナダ・ドイツ アトム・エゴヤン
家族を殺したナチスへの復讐の旅にでる90歳の老人。50年前サウンド・オブ・ミュージックでトラップ大佐を演じたクリストファー・プラマーの演技は芝居か地か。


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男
Der Staat Gegen Fritz Bauer 2015年 ドイツ ラース・クラウメ
過去の清算に消極的な政府と旧ナチ党員の妨害の中で、孤高の検事長フリッツ・バウアーはどのようにアイヒマンを追い詰めたか。

二作品とも記憶に残る質の高いサスペンス映画であった。
田谷英浩(2017.6.6)

国連特別報告者

耳馴れない言葉が登場した。フリー百科事典ウイキペデイアによると、国連の人権理事会から任命され、特定の国やテーマ別に人権侵害がないか調査・監視・報告・勧告を行う専門家(special rapporteur)であるという。
そのジョセフ・ケナタッチ氏が「共謀罪」法案はプライバシー侵害や恣意的な適用の恐れがあるとする書簡を安倍首相に送った。また同デービット・ケイ氏は、日本における表現の自由の現状について、政府・与党による報道関係者への圧力を指摘した。「報道の自由度世界ランク」において、日本は年々順位を下げ、昨年は180か国中の72位、G7で最下位もむべなるかなである。
これに対し日本政府は「個人の報告で国連の立場を反映していない」と反論している。しかし同氏らは「書簡は国連の特別報告者として送ったもので、個人としてではない」と応酬。調査の結果に法的効力は無いようだが、報告が6月から始まる国連人権理事会で採択されれば、「日本は報道の自由のない監視社会?」と世界から見なされる恐れもあり、結果が注目される。

さて安倍一強体制と与党の無気力、野党のふがいなさについてはもう書くことも喋ることも嫌だが、これだけは言っておきたい。
森友学園問題も加計学園問題も忖度どころか総理側の直接主導、介入であることは自明である。かねて総理は「私や妻が関係していたことになれば首相も国会議員も辞める」と明言している。いかに油断ならない人物とはいえ、まさかこの言葉を記憶にないとか、言った覚えはないとは言うまい。
国会答弁の中で、自分の考えの詳細は読売新聞を読めと一企業の宣伝をするような非常識で驕り高ぶる首相を反安倍勢力はどうして徹底的に追い詰めないのか。実に歯がゆい。憲法問題も重大であるが、危

険水域に入った米国大統領の番犬的スタンスも日本にとって心配である。
さて読売新聞。首相贔屓の読売の朝刊販売数は現在約900万部。以下朝日650万、毎日300万、日経270万、サンケイ150万部である。
新聞業界は読売1,000万、朝日800万の時代が終わって、軒並み深刻な部数減に陥っている。要因はインターネットの普及、電子版へのシフト、新聞に対する信頼感の喪失、新聞を購読しない世代の増加などであるが、「押し紙」などという新聞業界独特の販売促進用の部数を差し引くと、実態は公表されている数字の80%という説もある。

たまに乗る通勤時間帯の電車内を見回しても、新聞を広げている人は少ない。我々の時代は立錐の余地なき満員電車の中で、新聞を四つにたたみ、八つにたたんで経済記事も社会面も渡辺淳一も読んだものだ。それが今では老いも若きも、男性も女性も親指でスマホからニュースをえている。
あんな小さな画面から解説記事や論評を読み取る事は多分難しいのではないか。必然、人間の思考は単純なものにならざるをえない。〇か×か。しかも戦争を知らない世代が社会の大半を占め、その彼らが社会を動かす時代になった。しかし政治的関心は低い。だから、「共謀罪」は戦前の治安維持法の再来と説いても、戦争そのものを知らない世代には説得力がない。

最後に「共謀罪」衆院通過を5紙はどう報じたか、5月24日の朝刊で比較する。

読売 
「テロ準備罪 衆院通過」 自公維賛成今国会で成立へ
・不安あおらず冷静な議論を
・一般人は捜査対象になりえない
朝日 
「共謀罪」衆院通過 自公維賛成 参院へ29日審議入り今期内成立厳しく
・捜査機関が権限を乱用し、一般市民への監視を強めるのではないか
・一般人とは何か
・何が罪に問われるのか分からない
毎日 
「共謀罪」法案衆院通過 参院審議29日以降に
日経
「共謀罪」法案が衆院通過 29日にも参院審議入り
・国際組織犯罪防止条約に入るために同法案の成立が必要
・東京五輪に向けたテロ対策を強化できる
サンケイ 
テロ準備罪衆院通過 参院審議入り29日以降
・法案を共謀罪と呼び、一般人の内心の自由を侵す 一億総監視社会になると不安をあおったと野党を批難
・野党や朝日が不安をあおりながら、今は容認、定着している事例は多い

政府のスポークスマン的メデイアと批判メデイアの姿勢が露骨である。貴方はどっち派?
田谷英浩(2017.5.30)