濫読

最近本を読んでいない。これではいかんと系統立てずに手当り次第読む。


海と生きる作法 漁師から学ぶ災害観 川島秀一
本書の題名は「海に生きる」ではなく、「海と生きる」である。三陸のリアス式海岸は多くの魚が寄り来る天然の漁場であるが、その海岸は津波も寄り上がる地勢を有している。
津波に何度も来襲された三陸沿岸に生き続ける漁師は「海で生活」してきたのではなく、「海と生活」してきたのではないか。著者はそう考える。
海と対等に切り結ぶ関係を持っていなければ、今後もなお漁に出かけようとする心意気が生まれるはずがない。机上の高台移転計画や防潮堤の安全神話への根源的な批評でもある。


フクシマの荒廃 フランス人特派員が見た原発棄民たち アルノー・ヴォレラン
フランスの日刊紙特派員が福島事故の除染、廃炉作業に携わる労働者たちから原子力村の面々に至るまで、ナマの声をインタビューと取材でまとめたルポルタージュ。
廃炉現場に赴いた著者は「何も生産しない、何も建設しない」、引き算の労働を営々と続けねばならない無数の労働者に衝撃を受ける。
事故原因の解明さえ終わらぬうちに、再稼働と輸出を始めようとする日本の姿勢を批判する。


ゴーストマン 時限紙幣 ロジャー・ホッブズ
たまには文庫のミステリーをと「このミステリーがすごい!」で3位になった犯罪小説を読む。舞台はアトランテイックシテイ、シアトル、オレゴン、クアラルンプールと目まぐるしく、それに過去と現在が並行する。
最近ではカタカナの登場人物の名を覚えきれず、こいつは悪い奴か、いいやつだったかと何度も頁をひっくり返す。もうこのテの小説はムリだ。


騎手の一分 競馬界の真実 藤田伸二
当時まだ41歳、ダービージョッキーの藤田がなぜやめたんだろうと思っていたが、4年もたつと忘れていた。ところが平積みされた新書版を書店で見つけた。どうやら早々と引退した理由はエージェント制度を導入したJRAの体質に嫌気がさしたらしい。
いままでは、騎手自らが何とか強い馬に乗せてもらいたいと厩舎まわりをして、いつどの馬に乗るのか自分でスケジュールを管理していた。
そうした努力が実って馬主や調教師、厩務員、調教助手などと良好な関係を築いてきたのだが、エージェント(騎乗依頼仲介者、競馬専門紙の記者など)の登場によって、騎手と調教師の関係はすっかり希薄になってしまった。だから騎手は力のあるエージェントと契約を結ぶことが勝利の近道になってしまい、「馬七分人三分」と言われた世界が、いまや「エージェント十分」と言っても大袈裟でないと怒る。彼はエージェントに媚びて、頭を下げることなど真っ平だという。その他もろもろ、いまある問題を見て見ぬふりをするJRA がすべて悪いと決めつける。


唐牛伝 敗者の戦後漂流 佐野真一
60年安保闘争時の全学連委員長、唐牛健太郎の数奇な生涯を描くノンフイクション。

・1937年  函館生まれ
・1956年 北大教養部入学
・1959年 全学連委員長就任
・1960年 4月国会突入を謀り逮捕、北大除籍
6月樺美智子さん国会デモで死亡
・1962年~82年 田中清玄。堀江謙一。新橋「石狩」。与論島。紋別で漁師。徳洲会。
・1984年 47歳で死去

早すぎた死だが、我々世代のある種の英雄。樺さんが死亡した6月15日、彼は獄中にいたが、当時の我々立教生は先鋭的に対決する警官隊とデモ隊を遠巻きするような位置にいた。死者が出たというのは帰宅後、テレビで知った。あの頃は学校に行っても授業はなく、連日丸の内線の地下鉄で清水谷公園に行き、国会・銀座方面へのデモに参加していた。
新聞には慶応生や立教生までもデモに参加したと報じられたが、明治、早稲田、中央などの精鋭の前ではおとなしい存在であった。

佐野真一のノンフイクションは、『東電OL殺人事件』を畢生の名作と考えているが、数年前、橋本徹の人物論で一時挫折した。久しぶりの本作には、同時代の政治家、財界人、右翼、左翼、芸能人、マスコミ人が多数登場して飽きさせない。
(2017.8.2)

日本百低山

去年から8月11日は「山の日」という国民の祝日になっていたそうだ。学校も企業も夏休み真っ只中で、祝日が増えてトクしたという実感は薄いだろう。
「海の日」があるのだから、祝日のない8月に「山の日」を作ろうと、やたらこういう事にだけは熱心な、どこぞのお偉いさんたちの発案らしい。
しかし今や、こんな日をわざわざ作らずとも、身の丈知らずの中高年と山ガールが夏山にわんさと押しかけ、その内、事故のニュースが新聞を賑わすだろうと思っていた矢先、名著『日本百名山』ならぬ『日本百低山』(日本山岳ガイド協会編)の存在を知った。

「山は富士山やアルプスだけじゃない、高けりゃいいってもんじゃない。日本人はそれぞれが心にふるさとの山をもっている。」として、47都道府県にある1,000m内外の名低山100座を選び出した。
ざっと見ると、丹沢の大山や箱根の明神ケ岳、伊勢の朝熊山、京都の大文字山、広島の弥山など、登ったことも知っている山もあるが、いずれも気軽なハイキング気分で行ける山ではない。

そこで今回は、極め付き「日本一低い山」を紹介して、盛夏の清涼剤としていただくことにする。朋友、徳島の吉田正二くんからの情報である。
『徳島市南部の田圃の中にある弁天山(標高6.1m)が日本一の低い山である。宮城県の日和山(3m)、大阪の天保山(4.53m)が、こっちの方が低いと主張しているが、それらは人工の築山で、自然にできた山ではない』。
写真も付けられている。『道のわきの朱色の鳥居が登山口。登山口から歩いて10秒、走れば5秒で頂上に達し、そこに水の神である弁才天が祀られている。登山口の横のラーメン屋には登頂証明書が置かれていて、記念品やグッズも売られている。しかも弁天山保存会なるものが、この登頂証明書を発行していて、先年、登頂20万人を記念してセレモニーが開かれた。標高6.1mにちなんで、毎年6月1日には山開きがある。“日本にこれ以下はない。あとは昇るばかりでエンギがいい”と山頂結婚式まで行われている。』とある。
最寄り駅はJR牟岐線の地蔵橋駅だそうだ。信じ難い思いもあり、確かめに行きたいのだが、今のところその計画はない。 (2017.8.14)     

                                   

ダイアン・レインとミシェル・ウイリアムズ

ふたりの女優のその後の作品をまっていた。

ダイアン・レイン Diane Lane 初見は『ストリート オブ ファイヤー Streets of Fire』(1984年 監督:ウオルター・ヒル)、その時19歳。
蒼白いスポット・ライトを全身に浴びて、セクシーなボデイ・ラインを浮かびあがらせる~🎶 ロック女王に扮したダイアン・レインはとても美しく刺激的であった。

当時、関西出張が続くなか、谷間の日曜日、大阪の劇場で独りポツンと見た。
ステージが最高潮に達した頃、突然黒い制服に身を固めたストリート・ギャングが乱入して彼女をさらう。そこへ西部劇のヒーローを思わせる主人公が単身ふらりとやって来て、市街戦あり、決闘ありの後、彼女を救い出し何処へともなく町を去って行く…。
まさに副題(A Rock &Roll Fable)どおりの寓話である。

「暴力に支配された故郷の町に舞い戻った男が、悪を叩きのめして再び去って行く…」。これまで作られた凡百のアクション映画も西部劇も、これをテーマにするが、この作品はひと味違った。

ロックが響く中、夜の暗く濡れた舗道、所どころの水たまり、深夜のロック・コンサート場、エキサイトする観客、ライトを浴びて登場するロックの女王…、一瞬たりとも緊迫感を失わない無駄のない演出、ウオルター・ヒル監督のシャープな腕の冴え。この年のキネ旬外国映画部門の7位。
主人公はマイケル・パレ演じるヤサ男なのだが、ダイアン・レインがずっと気になっていた。その彼女が52歳になって、『ボンジュール、アン』に登場した。
夫の仕事仲間とカンヌからパリへ車で向かうことになったダイアン・レイン。7時間のドライブのはずだったが、美しい風景、おいしい食事とワイン、ユーモアあふれる会話、素敵な寄り道…。微妙に
変化を始めた女の気持ち。

30年以上も前に見たダイアン・レインは、我が長女に置き換えれば大学に入学したての一年生。それが今や自分の娘の結婚を考える女性に変貌している。だから30年ぶりに見たダイアン・レインには当時の面影はなく、額のしわ、目じり、口元の小皺に50代の普通の女性を感じる。その彼女が、“フランス男には気を付けろよ”の亭主の言いつけを守りながらも、二日間の旅で心は広がり、次第に惹かれるものを感じる。しかし最後まで何事もおこらない。
原題の『PARIS CAN WAIT』は”パリはほおっておいていい“と訳せるらしい。映画の惹句「人生って、まだまだステキ」が素直に同感できる羨ましい大人の関係。俺にもこんな機会があったらなあ。

ミシェル・ウイリアムズ Michelle Williams 1980年生まれ 37歳、
6年前に見た『マリリン7日間の恋 My Week with Marilyn』が忘れられない。
マリリン・モンローの秘めたる実話を演じたミシェル・ウイリアムズの美しさは比類がなかった。アルコールと処方薬への依存、情緒不安定と遅刻の常習者として芳しからぬ評判のモンローが、あるとき7日間だけ撮影中の助監督と郊外に旅へ出た。モンローはこの若く誠実な助監督の前では虚像を捨てて、純粋で本当に可愛い女になれる。
この年のゴールデングローブ主演女優賞の受賞も当然と思わせるモンローになりきった演技。うっとりするほど愛らしく美しいモンローの何処に世間から指弾されるところがあるのかと思えるほどであった。

そのミシェル・ウイリアムズが『マンチェスター・バイ・ザ・シー Manchester by the Sea』に出た。兄の遺言で16歳の甥の後見人となる主人公の元妻を演じるのだが、さすが女優、モンローの面影はなく難しい役どころを好演した。作品としては今年のアカデミー賞の脚本賞、主演男優賞を受賞した心地よい良心作で、ミシェル・ウイリアムズの輪郭のすっきりした美しい顔を再見できて極めて満足。
田谷英浩(2017.7.16)

米内義人さん逝去

P1020889

6月13日、教育映画作家米内義人さんが亡くなった。享年84歳。神鋼電機の広報時代、今も残る科学映画の名作『振動の世界』、『水と農業』の企画者とシナリオ・ライター、監督という立場で知り合った。
爾来45年、映画を語りあえる数少ない友人として交際を続けてきた。しかしトシには勝てなかったようで、春先の便りでは“盛り場へ出かけて映画見物などは夢のまた夢、専らDVDやテレビ放映の映画を見るだけの生活”とあった。しかし同封されていた「この一年で見た映画のリスト 題名と私の評価」には289本の作品名と評点が記されているから、映画好きといっても尋常ではない。根っからの映画人であった。

そして先日、既に用意されていたのだろう、父が生前に書き残しておりました手記を本にまとめましたとご長男から『映画と私』と題する160頁の小冊子が送られてきた。
それを読むと、彼の映画熱は中学一年の時に点火されたようで、「読書に濫読があるように、私は映画を見まくった。高校生になってからは、将来は映画をやるんだと決めて、映画にのめり込んだ。映画代に事欠いて昼飯代を流用し、それでも足りないので、映画館に頼み込んで看板絵を描かせてもらった。それで町の映画館の出入りが自由になった」。とあるから、ただの映画好きとはレベルが違っていた。

かくして日大映画科、学研視聴覚部、東映教育映画、桜映画、東京文映でキャリアを積み重ね、1980年以降はフリーの作家として、教育、文化映画の脚本家、演出家として名を成した。
この間、制作に携わった作品数は数百本、受賞作も数知れない業界の有名人であった。同書によれば、自身の代表作として1978年の『水車から電気へ』を挙げている。キネ旬は「日本が急速に近代化する過程を鮮やかに描き出して、文化の許容と消化という日本的な特色をとらえることに成功している」と評し、科学雑誌『自然』は「これ以上簡潔に産業動力の変遷を描くことは思いもよらない。ぐいぐい迫ってくる」と激賞した。この年は他に、地方病撲滅との闘いを描いた異色作が、日本の寄生虫医学史の感動の記録と絶賛され、科学映画祭において当時の皇太子から賞状を受けたとある。

短篇業界は劇映画に比べれば地味な世界であるが、彼のような優れた作家と一時期一緒に仕事ができ、その後もお付き合いが続けられたのは幸せであった。
まだ30代も前半の頃、企業PRの一環として、“後世に残る産業映画”を作るとトップを説き伏せて成功作を生んだことはサラリーマン時代最大の思い出である。この時の脚本・演出が米内義人さんで撮影は名カメラマンの故豊岡定夫氏であった。当時のことがこう書かれている。

スクリーンショット 2015-02-04 10.58.10
振動の世界 1971年
神鋼電機の大作が入った。自社の振動発生器のPRを超えて、振動の科学の現状を捉えようと東大生産技研の亘理先生を監修者に、その人脈で建築、鉄道、船舶、車両などにカメラを向けた科学映画という企画はたぶん田谷さんの発案だろう。
たまたま各所で大規模な振動実験が行われるという幸運に恵まれて、撮影対象は贅沢なものになった。撮影は豊岡氏。科学映画の撮影技法のすべてを活用して、振動を見事な映像に捉えて、その年の日本撮影協会の最優秀撮影賞を獲得した。科学映画祭では最高賞、教育映画コンクールで金賞、シカゴの科学映画祭で創造芸術賞、リオの産業映画祭では最優秀監督賞をもらった。産業映画祭で個人賞は前代未聞か。

水と農業
水と農業 1974年
神鋼電機のスプリンクラーのPR映画という枠をこえて、日本農業の伝統的な水使いの知恵と明日の農業の展開を描く大作。撮影、編集のどの段階でもトヨさんと大揉めした。私は文化史、トヨさんはミクロ。心配した田谷さんがしばしば銀座で二人を呑ませてくれたが、悪酔いばかり。しかしキネ旬は「ポイントを水に絞った狙いの面白さが、構成の巧さと素晴らしい画面によって明快に示されて、見事な成果を挙げた」と最大限に褒めてくれた。キネ旬の第4位、教育映画祭の文部大臣賞。俺の映画作りは間違っていなかった!得意の絶頂だった。

あれから45年、かつての仕事仲間がまた一人去った。
田谷英浩(2017.7.28)

信州須坂と稲荷山の旅

訪ねてみたい古い町並み、覗きこんでみたい横丁をリストアップしてある。出所は紀行本であったり、TVの旅番組であったり、友人からの情報であったりする。
今回はそのひとつ、信州須坂と稲荷山を訪ねることにした。幸い長野市郊外に最近セカンドハウスを構えた友人から再三遊びに来いと催促されている。

須坂 エッセイスト池内紀『ニッポン周遊紀 町の見つけ方、歩き方、つくり方』(青土社)には、あまりなじみのない30の町が登場する。その中でこれまでに行ったことのある町は長野県大町、新潟県村上、福島県棚倉などの8つの町。広島の因島土生や山口の周防大島などになると食指は動くが実現性に乏しい。

須坂はクリと葛飾北斎で有名な隣町小布施に知名度で劣るが、今も博物館として残る近世の豪商田中本家を見たかった。
旧須坂藩は一万二千石の小藩であったが、北信濃一円の繭がこの町に集められ、絹糸に生まれ変わり、街道伝いに高崎、横浜へ届けられた。だから近代シルクロード起点の町だと主張する。多分、江戸中期以降繭蔵をもつ町家が軒を並べていたのであろうが、その中から大商人が誕生した。そのNO1がいま豪商の館田中本家博物館として公開されている。

田中本家の敷地は3,000坪、100メートル四方を20の土蔵が取り囲んでいる。初代田中新八が穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業を始めたのは1733年。それが11代目の現当主まで屋台骨を守ってきたと言うのだから立派である。
土蔵を改装した展示館には、江戸中期から昭和までの田中本家代々の生活用品が整然と陳列されていて、日本文化を守り伝えてきたと言っても大袈裟ではない。東京の博物館並みの質と量である。

稲荷山 建築家で歴史的な町並みの保存運動に尽力した故吉田桂二の『なつかしい町並みの旅』(新潮文庫)には26の町並みが紹介されている。その中で行ったことのある町は、砺波平野の井波、丹後半島の伊根、中国山地の吹屋などの6か所。青森の黒石や天草の崎津などはリストにあげてあるが、果たせていない。

「路地や裏通りの蔵また蔵の連続に一驚した。」と同書にある。稲荷山には繭や生糸、絹織物を扱う商都の面影が色濃く残っているのであろう。それを見たかった。
しかしこの記述から35年、探し方が中途半端だったかもしれないが、
蔵の連なりは部分的なものに変貌しており、町の中央部を通り抜ける街道が途中で折れ曲がる「鍵の手」は確認できたものの、「伝統的建造物群保存地区」を認識するまでにはいたらなかった。

この後は姨捨の棚田「田毎の月」を地平から眺め、標高551mのJR姨捨駅ホームからは200m下方に広がる善光寺平の大景観を満喫した。
複雑に張り巡らされたスイッチバックのレールをうっとりと眺めたのは無論である。
田谷英浩(2017.7.10)

テクノWING大田とJAXA相模原キャンパス

頼れる大人の会の主催する「大人の社会科見学」が好評である。月例会の座学とは別に、年に数回大人、それもシニアの知的好奇心を満たせるところ、単独ではなかなか行きにくい場所を選び出し、会員に参加を呼びかける。
毎回30人前後の集まりがあり、見学後の懇親会も、その時の話題で大いに盛り上がる。一見女性には興味がなさそうに思える航空機のエンジン整備工場などにも元リケジョは押しかけて来て、男性陣たじたじの鋭い質問を浴びせたりもする。以下は今年に入って実施した2か所の報告。

テクノWING 大田 大田区立本羽田二丁目第二工場アパート
・地価の高い大田区では廃業した町工場の跡地はほとんどが戸建て住宅やマンションになってしまう。そのため行政指導で工場アパートを整備し、町工場の集積維持と工場の操業を守りながら、住宅とも共存できる環境づくりを進めてきた。
・テクノWING 太田は2000年に竣工、48ユニットの工場のほか住宅棟を併設する。
・大田区内の製造業事業所数はピーク時10,000社(1983年)に達したが、その後減少に転じ(バブル経済崩壊、後継者不足、海外展開など)、現在では約3,500社と言われる。
・大田区の町工場は従業員3人以下が半数を占めるが、一社ずつが専門分野に特化していて、高度な加工技術を獲得している。
・「ものづくり基盤技術」と呼ばれる切削加工、鍛造、鋳造、金型、めっき、熱処理、金属プレス、樹脂成型、溶接、溶射などの技術分野である。
・今回はスター精工業社(金属部品の精密加工)と宮崎製作所(合成樹脂の精密加工)の二社を見学した。

JAXA 相模原キャンパス Japan Aerospace exploration Agency
・JAXAは日本の航空宇宙開発政策をになう研究、開発機関で2003年10月1日、日本の航空宇宙3機関 宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団が統合され発足した。

宇宙科学研究所職員による解説付き見学ツアーに加わった。
・小惑星探査機「はやぶさ」の実物大模型(熱構造モデル)で種々の技術に触れる。
・日本の宇宙科学の先駆けとなるペンシルロケットの実物を見学する。
・展示室にずらり並ぶロケット、人工衛星の模型を見学する。
・M-3SⅡロケット(実物大模型)、M-Vロケット(実物)全長30.7m 直径2.5m 139tの見学。
・売店の宇宙食に人気集まる。
田谷英浩(2017.6.27)

母校の教壇に立つ

大仰な物言いだが、ゲストスピーカーとしてよばれたと言えば妥当だろうか。先ごろ、立教大学のコミュニテイ福祉学部の熊上助教から「朝霞の米軍基地返還から朝霞の森誕生に至る経緯」について学生に話をしてほしいという依頼があった。
「コミ福」と略されるホームページを覘くと、「コミュニテイ政策は政府や自治体だけでなく、企業、住民組織、NPOなどコミュニテイの総合力を結集してこそ実現できます。そんな福祉社会構築に貢献できる研究と人材の育成がこの学部の目標です。」とある。
我々がこの10年間取り組んできたことが認められ、お話しできるいい機会でもあり、お引き受けして6月29日、新座市の立教キャンパスに赴いた。このキャンパス内の図書館には我が家の古い文書が収蔵されているのだが、ここに足を踏み入れるのは、それを確認に来たとき以来の二度目である。

1945年 旧陸軍施設に米軍進駐(キャンプドレイク)
1974年 キャンプ朝霞の日本返還決定
2008年 基地跡地利用計画策定(国に提出)
2011年 国家公務員宿舎建設中止
2012年 国=市 管理委託契約により暫定利用
広場「朝霞の森」オープン

要約すれば大よそこうなる経緯をDVD、パワーポイントを使って説明する。教室内には35人ほどの男女の学生。居眠りや雑談もなく、最近の大学生ってこんなに素直で真面目なのかとやや意外な感じもする。「朝霞の森」実現向けて市民の係わり合いを語る大野さんにも力がこもる。

結果は大成功。大袈裟に言えば、隣の町で市民がこんなに頑張って国と戦い、ミドリを残し広場を獲得した! ある種の成功譚と受け取られたフシもあり、終了後提出された感想文を読むと少々面映ゆい。
その一部を紹介する。

□現代の日本で、ここまで素敵なコミュニテイがあることに感動した。
(2年女子)
□自分に子供が産まれたら是非ここで遊ばせたい。(3年女子)
□こんなにも素敵なアイデイアが詰まったシンボル的空間ができた事に誇りを持つ。(2年男子)
□子供がケガをしたら、その遊具を禁止し取り除く中で、ケガをしても自己責任。骨が折れてもやむを得ないと聞いて、そういう大人が増えてほしいと思った。(2年男子)
□署名活動に意味があるのかと疑問を抱いていたが、一人一人の声がしっかりと形になった事例を知った。(2年女子)
□市民活動、子供の遊び場、自己責任、今の社会から失われそうな問題に触れた。リスクを完全に除かれた遊び場、行政任せで市民参加の無い社会、知らない人を排除する人間関係、朝霞の事例をモデルに、全国に広がって欲しい。(4年男子)
□公務員宿舎建設予定地に市民がプレーパークを作った。その行動力と団結力は凄い。(3年男子)
□住民が熱心に会議に参加しているのに驚く。お年寄りは当然として、小学生もちゃんと参加している。住民意識の高さは他市に誇れるのではないか。(2年男子)
□自由に木登りできる、少し危険な遊びものびのびできる。こんな公園があるのを知ってとても嬉しい。(2年女子)
□将来は朝霞のような人々のつながりの密な町に住みたい。(2年男子)
田谷英浩三(2017.7.2)

脱原発韓国と再稼働日本

韓国の新大統領が「脱原発」を国家目標にすると宣言した。原発は開発途上国だった時期に選択したエネルギー政策で、経済水準が向上したいま、国民の生命と安全を守ることが最重要と考えるのは社会的合意であると明快である。
ただ韓国のエネルギー源はその22%を原発に依存しており、産業界は当然のように代替エネルギーの確保を不安視する。前政権は25基の原発を増設する計画であったが、新政権はこれを否定した。原発は安全でも低廉でも環境にやさしくもない。福島原発事故を教訓とする韓国新政権の理性と腕力に期待したい。

一方我が日本はどうか。原子力政策を見直すべき絶好の機会であったにも拘らず、政権は依然原発を「重要な基幹電源」と位置付ける。
いまなお8万人の避難生活者を生んだ福島の重大事故の反省は今後何処に生かされるのか。
深刻なのは発電後に出る使用済み核燃料の置き場所である。「日本において処分のメドをつけられると思う方が楽観的で、無責任すぎる。」とは首相の時に原発を推進し、いま過ちを改めた小泉純一郎氏の言である。これこそ無責任極まりないと思うのだが、我々世代は次世代以降にとんでもないものを残してしまった。

資源小国日本は使用済み核燃料のプルトニウムを再利用する必要がある とした「核燃料サイクル」、「もんじゅ」の論理は破綻した。ここにきてウランの埋蔵量はかつて考えられていたよりも多く、石油より供給は安定しているとさえ言われるようになった。
大手電力会社は等しく経営戦略として原発再稼働を力説するが、東芝、三菱重工の経営不振は明らかに原発事業に起因しており、日本は再生エネルギーの先進国を目指して今こそ国を挙げて取り組むべきである。先進技術が韓国、台湾発にならないためにも人類存亡の危機を脱するためにも。                     
田谷英浩(2017.7.1)


路面電車

鉄道ファンを自称する以上、路面電車にも触れておかねばならない。路面電車とは「道路上に敷設された軌道を走る電車」のことで、元々は馬車軌道を電化したものである。
日本では世界に遅れること15年、1895年に京都でまず開業した。最盛期、東京では総延長300㎞を超える都電が「ちんちん電車」の愛称のもとで走っていたが、戦後自動車の普及と共に邪魔者扱いされるようになり、次第に全国の都市から姿を消した。
現在全国に残るのは、18の事業者が経営する240㎞であるが、ここにきて都市再生の切り札として路面電車を見直す気運が高まってきた。かつてクルマ社会の到来と共に、交通渋滞の元凶で時代錯誤の乗物とされた路面電車が、今度は増えすぎたクルマが引き起こす渋滞の解消と環境問題を解決するものとして注目されるのだから、何とも皮肉なことである。
もちろん東京や大阪の街なかに往時のように路線網を張り巡らすなどというものではなく、あくまでクルマへの生活依存度が極度に高い地方都市における動きである。「クルマがなければ生活できない」とはよく聞かれるセリフであるが、高齢社会の進行とともに「クルマはあっても運転できない」、つまり公共交通しか使えない層が地方都市や地域に生まれつつあるということである。
こうした課題にいち早く取り組んだのが富山市で、低床式LRT車の導入を核にした交通システムは、新たなまちづくりのモデルケースとしていま全国の注目を集めている。

もとより本稿で路面電車を中核とする交通論や交通政策を論ずる積りは無いし、そんな専門知識も持ち合わせていない。あくまで18事業者と路線長を次表に示し、読者諸兄のご参考に供しようとするものである。
なお表中の網掛け部分は、これまでに乗ったことのある路面電車である。未乗路線が半分以上あるが、そのすべてに乗りに出かける積りは今のところない。

日本の路面電車

都市

事業者

路線長 ㎞

系統

札幌

市交通局

8.9

函館

市交通局

10.9

東京

都交通局

12.2

東京

東急電鉄

5.0

富山

富山LRT

7.6

高岡

万葉線

8.0

福井

福井鉄道

20.9

豊橋

豊橋鉄道

5.4

大津

京阪電鉄

21.6

2

京都

京福電鉄

11.0

大阪

阪堺電軌

18.5

岡山

岡山電軌

4.7

広島

広電

35.0

高知

土佐電鉄

25.3

松山

伊予鉄

6.9

長崎

長崎電軌

11.5

熊本

市交通局

12.2

鹿児島

市交通局

13.1

幸手(さって)モデルとはなにか

地域活動に足を踏み入れたのは、13年前の「地域福祉計画策定委員会」に加わってからである。この委員会は今では「地域福祉を考える市民の会」と改組し、行政の主催から市民グループの運営にと姿を変えている。
当初の社会福祉法の制定に伴う“策定せねばならぬ”段階から、当面する朝霞の問題を具体的に考えて提言するグループにステップアップしたというわけだ。
構成するメンバーは19人。一般市民、市議会議員に、現役の介護福祉士、訪問看護士、作業療法士、OBの教員や元ヘルパーなども加わって誠に多彩。月一回の定例会では「在り方論」から具体的事例に基づく提案、提言に至るまでレベルの高い議論が繰り返されている。
年に一度の市民向けシンポジウムも定着し、昨年は老年学の泰斗、我が長田久雄教授を招き、「老いるとはどういう事か」の講演をお願いした。

さて6月10日、今回はテーマを「地域包括ケアシステムの作り方」と決め、講師に埼玉県東部の幸手市・杉戸町で「幸手モデル」と言われるシステムを構築した中野智紀医師をお招きした。

講演抜粋
1) 地域包括ケアシステムとは、2025年度を目途に、重度の要介護状態になっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるシステムを構築することである。
2) 地域の住民、専門職、行政など、あらゆる資源を緩やかに繋げ、住民の生活価値の向上の実現を目指して協働していくための組織づくりである。
3) 幸手団地の健康と暮らし支え合い協議会では、重症化予防により健康推進へと繋ぐ、自立した生活への支援へと繋ぐ、コミュニテイ再生と見守りによる孤立防止 を目的にしている。
4) システムのポイントは国ベースではなく、自治体ベースの取り組みである。

幸手モデル」は「生きてゆく困難をいかに社会で支えて行くか」という難題に先進的に取り組み、成果を挙げつつあるシステムとして、この業界で注目を集め始めているらしい。そして重要なのはその中心に医師がいることで、行政だけでも、市民だけでも成立しえないもののように思われる。
当日は中野医師の知名度の高さもあって、近隣市を含め多くの行政職、専門職がつどい、会場は超満員、立見の出る盛況であった。
田谷英浩 (2017.6.14)

川奈ホテル富士コース

P1020852川奈でゴルフ、というのは依然ある種のステータスである。
ホテルの開業は1936年、経営が大倉財閥から西武系に代わり、2つのゴルフ場は会員制からパブリック制に転換しているとはいえ、橋本-エリツインの日ロ首脳会談(川奈会談)開催地であり、毎年、プロのゴルフトーナメントが行われる伊豆の景勝地である。

ゴルフコースの距離はさほど長いとは言えないが、自然そのままのフェアウエイ、砲台グリーンを取り囲むアリソン・バンカー群、海から吹き付ける風。太平洋に面したインコースの美しさは世界のゴルフ場のトップテンに入るという評価もある。我々には容易に50を切れない難易度の高いゴルフ場である。
それにもまして我々を寄せ付けないのはプレー料金の高さ。ゴルフコースがあくまでホテルの付属施設であるため、宿泊者以外のプレーはできない。従って料金は高額にならざるをえない。バブル期、泊まって、呑んでプレーして10万円とも言われていた。幸いにして、現役時代には一時期ここでプレーすることのできる境遇にあったが、退役後は当然ご無沙汰だった。

ところが春先になって、ここでプレーしないかという果報者が現れた。聞くと高額の遺産を相続したとかで、これまで世話になった友人たちを川奈に招待したいのだが、どうかという。一も二も無く本人の気の変わらない内にと計画を急ピッチで進めた。
6月初旬、二泊三日の川奈ゴルフに招かれたのは、「陸京会」4人と準会員2人の6人、全員70歳超。これが2組に分かれてプレーすることになったが、コースの難しさが昔のままで、腕前が年々落ちているとなるとスコアはとても公表したくないレベル。
しかし好天に恵まれた上に、昔の仲間とプレーすることの気軽さ、川奈でプレーしているという優越感、費用負担の無い開放感などが相まって、皆うきうき和気藹々。友達っていいなと当たり前の感想を漏らしつつ、こうした境遇に感謝する。メンバーからは“来年も”という声も上がったが、主催する本人は“そればかりはご勘弁”と渋い顔。
田谷英浩 (2017.6.12)
Kawana_Hotel_Golf_Course_Aerial_photograph.1976

映画監督と時代

早稲田・大隈小講堂で開催された映画監督が「映画と時代」を語るシンポジウムを覘く(4月22日)。
木下恵介の『陸軍』(1944年松竹)の上映後、パネラーに森達也、ジャーナリストの野中章弘、切通理作、ロックミュージシャンPANTA氏らが登壇する。国策に沿った映画しか作ることが許されなかった時代に木下恵介はどのように自分の作品と向き合ったのか。日本が戦争のできる普通の国になりつつある今、映画監督はどのように時代と向き合うべきなのかを考えようというわけだ。
早稲田大学ジャーナリズム研究所が主催するシンポなのに、会場に学生の姿が見当たらない。早大生にしてからがこうなのかと些かがっかりするが、会場を埋める高齢者からは安倍政権の露骨な右傾化を指摘する声が相次ぎ、束の間連帯を意識する。
昨年の同じ会では、小栗康平、荒井晴彦両監督が“反戦映画であっても、戦闘シーンはアクション映画になるから僕らは撮らない。非戦の日常を撮りたい”と言うのを聞いてなるほどと思った。
今年は、日本映画は被害者の視点から作られたものが多いが、ドイツ映画は加害者の視点で描いたものが多いという森達也監督の指摘になるほどそうだったのかと認識を新たにする。

折から、池袋・文芸坐では「映画に刻まれたナチスの爪痕」シリーズと銘打ったドイツ映画が上映されていた。未見の二本を見る。


手紙は憶えている
Remember 2015年 カナダ・ドイツ アトム・エゴヤン
家族を殺したナチスへの復讐の旅にでる90歳の老人。50年前サウンド・オブ・ミュージックでトラップ大佐を演じたクリストファー・プラマーの演技は芝居か地か。


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男
Der Staat Gegen Fritz Bauer 2015年 ドイツ ラース・クラウメ
過去の清算に消極的な政府と旧ナチ党員の妨害の中で、孤高の検事長フリッツ・バウアーはどのようにアイヒマンを追い詰めたか。

二作品とも記憶に残る質の高いサスペンス映画であった。
田谷英浩(2017.6.6)

国連特別報告者

耳馴れない言葉が登場した。フリー百科事典ウイキペデイアによると、国連の人権理事会から任命され、特定の国やテーマ別に人権侵害がないか調査・監視・報告・勧告を行う専門家(special rapporteur)であるという。
そのジョセフ・ケナタッチ氏が「共謀罪」法案はプライバシー侵害や恣意的な適用の恐れがあるとする書簡を安倍首相に送った。また同デービット・ケイ氏は、日本における表現の自由の現状について、政府・与党による報道関係者への圧力を指摘した。「報道の自由度世界ランク」において、日本は年々順位を下げ、昨年は180か国中の72位、G7で最下位もむべなるかなである。
これに対し日本政府は「個人の報告で国連の立場を反映していない」と反論している。しかし同氏らは「書簡は国連の特別報告者として送ったもので、個人としてではない」と応酬。調査の結果に法的効力は無いようだが、報告が6月から始まる国連人権理事会で採択されれば、「日本は報道の自由のない監視社会?」と世界から見なされる恐れもあり、結果が注目される。

さて安倍一強体制と与党の無気力、野党のふがいなさについてはもう書くことも喋ることも嫌だが、これだけは言っておきたい。
森友学園問題も加計学園問題も忖度どころか総理側の直接主導、介入であることは自明である。かねて総理は「私や妻が関係していたことになれば首相も国会議員も辞める」と明言している。いかに油断ならない人物とはいえ、まさかこの言葉を記憶にないとか、言った覚えはないとは言うまい。
国会答弁の中で、自分の考えの詳細は読売新聞を読めと一企業の宣伝をするような非常識で驕り高ぶる首相を反安倍勢力はどうして徹底的に追い詰めないのか。実に歯がゆい。憲法問題も重大であるが、危

険水域に入った米国大統領の番犬的スタンスも日本にとって心配である。
さて読売新聞。首相贔屓の読売の朝刊販売数は現在約900万部。以下朝日650万、毎日300万、日経270万、サンケイ150万部である。
新聞業界は読売1,000万、朝日800万の時代が終わって、軒並み深刻な部数減に陥っている。要因はインターネットの普及、電子版へのシフト、新聞に対する信頼感の喪失、新聞を購読しない世代の増加などであるが、「押し紙」などという新聞業界独特の販売促進用の部数を差し引くと、実態は公表されている数字の80%という説もある。

たまに乗る通勤時間帯の電車内を見回しても、新聞を広げている人は少ない。我々の時代は立錐の余地なき満員電車の中で、新聞を四つにたたみ、八つにたたんで経済記事も社会面も渡辺淳一も読んだものだ。それが今では老いも若きも、男性も女性も親指でスマホからニュースをえている。
あんな小さな画面から解説記事や論評を読み取る事は多分難しいのではないか。必然、人間の思考は単純なものにならざるをえない。〇か×か。しかも戦争を知らない世代が社会の大半を占め、その彼らが社会を動かす時代になった。しかし政治的関心は低い。だから、「共謀罪」は戦前の治安維持法の再来と説いても、戦争そのものを知らない世代には説得力がない。

最後に「共謀罪」衆院通過を5紙はどう報じたか、5月24日の朝刊で比較する。

読売 
「テロ準備罪 衆院通過」 自公維賛成今国会で成立へ
・不安あおらず冷静な議論を
・一般人は捜査対象になりえない
朝日 
「共謀罪」衆院通過 自公維賛成 参院へ29日審議入り今期内成立厳しく
・捜査機関が権限を乱用し、一般市民への監視を強めるのではないか
・一般人とは何か
・何が罪に問われるのか分からない
毎日 
「共謀罪」法案衆院通過 参院審議29日以降に
日経
「共謀罪」法案が衆院通過 29日にも参院審議入り
・国際組織犯罪防止条約に入るために同法案の成立が必要
・東京五輪に向けたテロ対策を強化できる
サンケイ 
テロ準備罪衆院通過 参院審議入り29日以降
・法案を共謀罪と呼び、一般人の内心の自由を侵す 一億総監視社会になると不安をあおったと野党を批難
・野党や朝日が不安をあおりながら、今は容認、定着している事例は多い

政府のスポークスマン的メデイアと批判メデイアの姿勢が露骨である。貴方はどっち派?
田谷英浩(2017.5.30)

伏見稲荷大社の喧騒

観光目的で日本に来る中国人に、日本のどこに行きたいかと聞くと、「中国人がいないところ」と答える人が増えたという。
大いに笑える話である。バブル最盛期、世界の何処に行っても日本人だらけの頃があった。そんな時、ことさら同邦を無視するかのような態度を取る人がいた。もともと人間には“自分だけ”といういやらしいところがあるので、ホテルのエレベータの中で、プイと横をむかれたり、ツンと済ましている人間が確かにいたように思う。ともかく人間の本性にはいやしいところがあるのだ。

観光立国日本を宣言いらい、訪日外国人旅行者が急増して、昨年は2,400万人に達したという。その25%が中国人。大声で話す、うるさい、ところかまわず写真を撮る、あまり彼らの評判は良くない。
そんな彼らが大挙して観光都市・京都に押し寄せる。宗教にあまり興味のない彼らは、お寺の建物と庭だけを見て足早に去る。奈良では大仏より奈良公園の鹿に人気があるそうだ。
道路は観光バスで大渋滞、市内バスはスーツケースに占拠され、住民は大迷惑。儲かっているのは民泊とドラッグストアだけちゃう?と京都人はぼやいている。
従って古都の歴史と文化、静寂を期待する日本人の足は遠のく。昔は修学旅行シーズンと紅葉の季節だけは外そうとしたが、今は何時もダメ、当分京都は止めにしたという友人も多い。

こちらも京都好きでは人後に落ちない。卒業後、勤務地の「鳥羽」を鳥羽伏見の戦いの鳥羽と思い込んでいて、三重県の鳥羽と分かったときは、大いに落胆したものだ。
爾来50余年、京都市内の有名寺社、仏閣はあらかた廻り、サラリーマン生活後半には、祇園や先斗町の落着いた横丁も馴染になった。

それでも積み残しはいくつもあり、その一つが伏見稲荷であった。
願いごと万事OKのお稲荷さまが目的ではなく、真っ赤な鳥居が延々と続く風景を見たかったのである。

3月の平日、しかしこれは見事に裏切られた。ここが三年連続、外国人に人気の日本の観光スポットであることを知らなかった。
JR奈良線の稲荷駅から本殿に至る道も、稲荷山への参道も脇道も、初詣の浅草寺か明治神宮を思わせる人人人の波。それも聞こえるのはアジア系外国語ばかりで、日本語は全く聞かれない。
千本鳥居どころか数万本はありそうな真っ赤な鳥居のトンネルも、上り下りのすれ違いの人と、立ち止まって写真を撮る群衆で身動きできない。まったく前へ進めない。しばしたたずんだあと、ほうほうの体で退散する。これは信仰の世界ではなく、まさしく観光、それもレベルの低い。

こんなところに押し寄せる外人観光客の気持ちが分からない。こんなところの何処が面白いのだろうか。何処に興味をひかれるのだろうか。真っ赤な鳥居が延々と続くことが日本的なのか、拝観料不要、閉門時間なしが魅力的なのか。摩訶不思議の世界である。

京都駅バス乗り場の雑踏といい、延々長蛇の列に並ばざるをえないレストラン、食堂といい、いずれも我慢の限界を超えている。
それでも大気汚染のひどい北京からやって来た人からは、風光明媚な日本を中国のリゾート地にしたいという恐ろしい声も挙がっているという。クールジャパンなどと浮かれていると、観光日本を丸ごと乗っ取られるかもしれない。
田谷英浩(2017.5.15)

AIとBI

一見、語呂合わせのようだが、これが違うのだ。
AIは言わずと知れた人工知能:Artificial Intelligenceの略で、BIは「生活に最低限必要なお金を国民全員に一律に給付するベーシック・インカム制度」:Basic Incomeの略である。どうしてこんな事を議論することになったのか。
囲碁や将棋の世界で、AIがプロを負かす例はもう珍しくない。AIはすでに難関私大合格レベルに達していると言うし、2021年に東大合格をめざす「東ロボくん」プロジェクトも急ピッチで進んでいる。

我々は新しい技術が絶えず人間の仕事を奪ってきた過去の歴史を知っている。だから2030年にはホワイトカラーの半分がAIに代替されるという予測もあながち誇大とは思わない。しかしそうなった時、人間に残された仕事とは何なのか。多くの人間が既存の職を失う可能性があるとなると、これまでとは異なった概念の社会システムを構築しないと、経済・社会が成り立たなくなる恐れがある。
AIやロボットなどの生産手段を持っている者には莫大なお金が入り、職を奪われた人たちにはお金が入らない。貧困や格差はいま以上に広がるに違いない。

そこで考えられるひとつの政策がBIである。今の諸々の社会保障制度は複雑で不公平感が否めない。ところがBIはすべての国民に一律に給付するので、行政コストがかからず、公正で不正受給も起こらない。
ただし問題もある。財源をどうするのか。働かなくてもお金が入ってくるユートピアみたいなことがありうるのか。
BIは人間の労働に対する倫理観など人間と社会の係わり方において本質的な問題を含んでいる。しかし来るべき社会が安定的に成り立つためには、BIの導入こそが問題解決の切り札であり、財政的にも十分可能だと主張する学者も登場している。

3月、自由時間倶楽部は15年間の活動を終了し、我々は「頼れる大人の会」を今後自主運営することにした。その第一回の勉強会がこれであった。コーデイネータを畏友野瀬隆平氏にお願いし、「来るべきAI社会にどう対処するのが最善か」を、参加者で語りあった。新しい出発に相応しいテーマになった。
田谷英浩(2017.5.10)                                        

こんな映画こそ大ヒットしてほしい

一日に3本、立て続けに話題の新作を見た。旧作を名画座系でまとめて見ることはあっても、新作3本は貴重な初体験。


人生タクシー TAXI 2015年イラン
監督 ジャファル・パナヒ
ジャファル・パナヒは20年間の映画監督禁止令を受けながらも、自らタクシー運転手に扮して街を流す。そして情報統制下のテヘランの街で暮らす乗客たちの人生模様を描き出す。
タクシーのダッシュボードに置かれたカメラを通して見せられるのは、
死刑制度について議論する教師と強盗、海賊版レンタルビデオ業者、交通事故にあった夫と泣き叫ぶ妻、金魚鉢を手にして急ぐ二人の老婆、強盗に襲われた幼なじみ、政府から停職処分をうけた弁護士など、まあ普通の人びととの日常的な会話。
なかで学校の実習で映画を撮影中の小学生、監督の姪が面白い。“本当のことを撮るのが映画なのに、なぜ本当のことを撮ると上映できなくなっちゃうの?”とあどけなく語らせる。
女性弁護士とのやりとりや、この姪に体制批判を語らせ、他の乗客にはイランの息苦しい日常を語らせる。勇気とユーモアにあふれた作品だが、当然の如くイランでは上映禁止とか。

なお本編上映の前に、森達也制作の「これは映画か映像か」という共謀罪を念頭においた短編が上映された。日本の作家も発言を始めた。


午後8時の訪問者 La Fille Inconnue 2016年ベルギー/フランス
監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ、 リュック・ダルデンヌ
この邦題からは、これがサスペンス映画であることを予告される。
しかし原題は、直訳すると『未知の女の子』。観客を騙すあざとい手口かと邪推したが、そうではなかった。
診療時間を過ぎて鳴ったドアのチャイムを無視した若い女医は、翌日発見された身元不明の少女の遺体が前夜助けを求めた少女であることを知らされる。少女の死は事故なのか、事件なのか。ドアホンに応じなかった女医は自身の良心や正義に葛藤する。はじめは医師を恨む復讐劇の傑作『眼には眼を』の系列の作品かと思ったが、医師を追い詰めるのは犯人ではなく、誰にもある自責の念。
そしてオーソドックスな人間ドラマがサスペンス風に展開されるなかで、次第に真相が明らかになる。ダルデンヌ兄弟という監督は「天才」と言われる人らしい。誇大な演技も大袈裟な音響もなく、たんたんとストーリーが展開される。映画ってこれでいいんだよな と思わずつぶやく。
ハリウッド製CG満載の騒々しい映画の対極にある傑作と言えよう。

蛇足:邦題はごくありきたりだが、多分これでよかったのだろう。
先年大ヒットした『アナと雪の女王』の原題は、Frozen、つまり凍結。このままだったらあれほどの観客を動員できまい。ついでに過去の名作の成功例を挙げておく。
Waterloo Bridge→哀愁
Summertime→旅情
My Darling Clementine→荒野の決闘


わたしは、ダニエル・ブレイク I Daniel Blake 2016年イギリス
監督 ケン・ローチ
2年前の『ジミー、野を駆ける伝説』で引退を表明していたケン・ローチ監督80歳の最新作。労働者階級に焦点を当てた作品を作りつづけてきた老監督は、待てよ、最後にこれだけは言っておきたいと再びメガホンを取ったのだろう。

初老の失業した大工の視点でイギリス社会の現状を告発する。雇用支援を受けようとする側への役所の形式的な対応と煩雑な手続き、パソコン社会に順応できない老人たちへの無理解、貧困に追い詰められる弱者の恐怖、ゆりかごから墓場までといわれた英国の社会保障はどうなっているのか。いまの日本にも通じることばかり。終盤、ダニエル・ブレイクは小さな行動を起こす。時の権力にはあまりに無力だが、いま各地で散発する共謀罪反対デモにも似て切ない。
働けど貧しい、だが屈しない。人としての尊厳を失ったら終わりだとケン・ローチはダニエルに語らせる。本コラムのタイトル「こんな映画こそ大ヒットしてほしい」はこの作品に対する山田洋次のメッセージ。
みなさん、これは必見ですぞ!
田谷英浩(2017.5.1)

赤穂線

JR赤穂線は兵庫県の相生駅と岡山県の東岡山駅を、瀬戸内海に沿って結ぶ57.4㎞のローカル線である。
相生と東岡山の両端で山陽本線に接続していて、この区間は「選択乗車」が可能、つまりどちらを通ってもいい事になっている。難しく言うと、「旅客営業規則第4章第15条乗車券類の効力」でそうなっている。
この区間、山陽本線は山陽道に沿って建設されたため、船坂峠という難所を克服せねばならず、当初赤穂線は山陽本線の輸送力を補うバイパス線として建設された。しかし山陽本線の複線電化による輸送力の増強が実現すると、単線一部非電化の赤穂線の位置づけは、地域住民のためのローカル線に転落した。

そんな赤穂線に久しぶりに乗った。ノートを繰ると初乗りは1977年10月28日、40年前である。国鉄全線乗車に燃えていた頃で、津山線、姫新線、伯備線、因美線、播但線を乗りつぶす一環にあった。
当時のノートによれば、早朝神戸三ノ宮を出て、姫路から赤穂線を経由して岡山に向かっているのだが、このローカル線沿線の記憶が全くない。地図上では海岸線近くを走るのに、実際に車窓から海が見えるところは非常に少なく、日生(ひなせ)駅付近でチラッと見えただけであった。しかし、この沿線は日本三大奇才・はだか祭の西大寺、刀剣の産地・長船、備前焼の本場・伊部、忠臣蔵の赤穂と観光資源に事欠かない。

3月15日、高松からの帰途に乗った岡山発13:55の電車は、停車の度に岡山市内での買物客を降ろし、終点の播州赤穂駅が近づく頃には車内はガラ空きであった。新幹線なら岡山―姫路間は30分、わざわざ在来線、それもローカル線に乗る客は地元民しかいそうにないが、海は少し遠いとはいえ、風光明媚の地、JR西日本はこれを生かさぬ手はない。宝の持ち腐れで勿体ない。

時刻表ファンから「赤穂線」を見ると、面白いことに気づく。全線を直通する列車が無いこと。播州赤穂駅を境に、東は京都・大阪・神戸へ向かう新快速列車の出発駅であること。西は岡山・三原・福山へ向かう山陽本線の直通列車と、驚くことに伯備線を経由して備中高梁・新見へ直通する列車の始発駅になっていること。沿線人口の動態がこうした運行形態を実現させたのであろう。
田谷英浩(2017.4.27)

西山聖君の挑戦

畏友西山聖君が陶磁器に関心を持ち始めたのは、いったいいつ頃なのだろうか。美濃出身の奥さんの影響か、勤務地を転々とする中で、九谷焼に出会い、或は伊万里や有田の陶器市でその魅力に取りつかれたからだろうか。
いずれにせよ我々が、ゴルフ、麻雀、カラオケに興じているころ、陶器の勉強をこつこつ始めていたらしい。
最後の勤務地大阪時代になると、休日は陶芸教室に通い、出来上がった作品を友人らに配り始めた。だが、その頃のものはやや肉厚で武骨のぐい呑みが多く、有難く頂戴はしたものの、その器で毎晩晩酌とはならなかった。

そうした彼から、サラリーマンを卒業した昨年、本格的に陶芸の道に挑戦するという便りが届いた。陶芸教室には飽き足らず、自分の窯を設置し作品を創るのだという。
趣味人西山聖君の面目躍如である。賭け事やゴルフに距離をおき、日本全国の名所旧跡、うまいもの、うまい酒に詳しく、一緒に旅をしていて、この人ほどウマの合う男はいない。
そんな高尚な趣味を持つ彼が、いよいよ本格的に陶芸を始める。他人事ながら大いに期待する。こちらの浅薄な知識は、丹波篠山辺りに登り窯を設置するのかと早とちりしたが、いくら何でもそこまではということで、自宅を作業場に大改造した西山窯の運転開始を待つことになった。

unnamed-13月某日、住宅兼作業場(工房)に改装された北千里のマンションを訪ねる。マンションはコンクリートの箱、改造は意のままなのだという。へえーそんなものかとまず感心する。
工房にはロクロが設置されていて、既に素焼きの成形品がところせましと並んでいる。ぐい呑み、徳利、小皿、こばち、ビアマグ、長方皿、片口、丼鉢、花瓶…。
サラリーマン時代の人の良さそうな面影が消えて、バンダナ、前
掛け姿はいっぱしの陶芸家風で、こちらの言葉遣いも改まる。
“センセイ などと言ったら嫌味だろうな、しかし西山君では失礼かな”。

まず簡単なレクチュアを受ける。
●ロクロは回転テーブルをまわし、粘土を成形するものである。足蹴り式、手回し式、電動式があるが、電動式でも回転が滑らかで静粛なDDモーター式を採用した。(ホホウ)

●陶器は「土もの」と言われ、粘土からできている。粘土は全国さまざまな土地で採取され名前が付けられている。その土地の成分の違いが焼き上がりの違いとして現れる。(フムフム)

●代表的粘土として、信楽の赤土・白土、美濃の志野土・もぐさ土、御影土、半磁器土などがある。そのほか焼き物産地と土地固有の粘土として、
益子土―益子焼、備前土―備前焼、萩土―萩焼、唐津土―唐津焼
朱泥土―常滑焼、磁器土―九谷焼・有田焼などが著名である。(ナルホド ナルホド)

次いでロクロを回しながらの実演に移る。観光地などで見かけることはあるが、今までとは表情の違う友人に見入る。

〇下準備として作業机の上に、粘土の塊を取り出し、まず均一の固さにならす「荒練」、粘土に入り込んでいる空気を押し出す「菊練」を行う。
〇次にロクロに粘土を乗せ指先で加工する。水をかけた粘土の塊を両方の手のひらで挟み、持ち上げたり、下げたりする。粘土の分子を均一に揃え、中心を出すためだそうだ。(土殺し)。

意外にもこれはかなりの力仕事。
まだ3月、外気は冷たいのに作業場に汗が滴り落ちる。

〇中心を出した粘土を、夏蜜柑ほどの大きさに抑えた指で印しをつける(玉どり)。そこに親指で穴をあけ、穴を広げながら両手の指で粘土を挟み、底から上へ引き上げる。この作業を何度か繰り
返し、作家の目指す作品の高さと厚みを作りだす。
〇それまではただの土の塊だったものが、魔法のように花瓶の形に成長し、コーヒーカップの原型に変身する。
やがて、納得したらしい、ウンと肯いて成形された作品の下方に糸を巻き付けてカットする。そして赤児を抱き上げるかのような、やさしい手つきでそっと切り離す。ロクロ作業はここまで。

作品の良し悪しは多分ここまでで決まりそうだ。この後、いくら高級な上薬(釉薬)をかけたとしても、素材がダメなら女の厚化粧見たいなもので世間には通用すまい。必要とされるのはセンスだ。
ここまで一連の作業工程を見て感ずるのは、意外にもこれは力仕事であると同時に非常に細やかな指使いと繊細な神経が要求されること。
優秀なプロゴルファーが腕力と下半身でボールを遠くへ飛ばし、女性を撫でるようなタッチでパッテイングするのとよく似ている。

さて、第二幕はロクロを置いた作業場から15分ほど離れた第二の工房に移る。岐阜県多治見製の電気窯(200V20A4㎾ 1,280℃)を設置するには電気容量の関係で別棟を用意しなければならなかった。そして次なる工程は、

●成形品を一日から二日、乾燥させる →余分な粘土をそぎ落とし、高台を加工して狙いの形に仕上げる →水分が抜けるまで二、三日乾燥させる →電気窯で8時間、800℃で焼成する(素焼き)
→12時間以上冷ましたのち、下絵付けをし好みの釉薬を全体にかける →1230℃で本焼きを12時間行う →18時間窯の中で自然冷却する →窯出し

●成形品をロクロから切り離してから、実に一週間の長丁場。電気窯の置かれた第二工房には泊まりこみのためのベッドも用意されていて、時には寝ずの番をすると言う。
対面した作品が気に入らず、叩き割ることもあろう。しかしまずは、釉薬の付着具合、流れを見て思い通りと判断するのか、失敗作とするのか。或は予想外の釉薬の反応にほくそ笑むのか。
作品として残すもの、他人に進呈するものがこの段階で選別されるのだろう。注文が来るまでになれば別だが、多くの趣味人は出来上がった作品の処分に困るとも聞く。
だが彼のウデはかなり上がっている。現に今使っているぐい呑みやビールジョッキは彼の作品である。

釉薬というものに、こんなに多くの種類があるとは知らなかった。ずらり並んだ棚には、「自分なりに釉薬の濃度を落ち着かせ、安定した発色を得られるよう何度も試し焼きを行う」と作業心得が貼りだされている。
その一覧表を見ると、商品ごとに、購入日付、品名、推奨濃度、測定値、燃焼温度、注意事項などがこまごまとかかれている。
もはや玄人の世界。二、三抜き書きすると

・酸化志野釉 1200~1250℃ 光沢あり 安定して焼成幅広い
・鉄赤釉   1200~1230℃ 酸化、還元ともによい
口縁が焦げ茶に変色
1230℃以上は黒ずむので注意
・飴釉    1180~1200℃ 安定して焼成幅広い

などとある。
もはや彼の顔には、会社の業績に一喜一憂し、人事に心を配る心配顔はない。これまでとは違う別の世界を歩み始めた自信と風格が漂う。
やきものの楽しみは、目で味わい、掌でめでることにあるという。 こうした高みにまで達するか否かは今後の精進次第だが、国宝級の茶碗の真贋を見極めるレベルを期待したい。(でもここまでは無理かな。)
いずれにせよ趣味の世界とは言え、広く、浅く、飽きっぽい、我が人生に比較して、ここまでやれば立派!ただただ脱帽するのみ。
田谷英浩(2017.4.15)

二つの鉄道博物館

神田万世橋にあった「交通博物館」が閉館したのは、11年前の2006年5月。それに替る施設として東では大宮に「鉄道博物館」が、西では京都に「京都鉄道博物館」が誕生した。今週はこの二つを訪ねたレポート。

鉄道博物館(さいたま市)
「交通博物館」閉館後、順次展示物の移送を行い、2007年10月14日「鉄道の日」に開館した。運営はJR東日本。所在地は浦和電車区の車両解体場跡地で、それ以前は川越線気動車の留置線。
鉄道分野に特化した展示構成になっていて、鉄道以外の交通分野に関する収蔵品は大阪の「交通科学博物館」(1962~2014年)に移された。

子供の頃、父親は上野の科学博物館へ行くことを薦めたが、足は神田の交通博物館に向かった。のちに「テツ」と称される、趣味が鉄道というような人間になろうとは思いもよらなかったが、学生時代、社会人生活を通して、鉄道の呪縛から逃れられなかった。

さて鉄道に特化したここ大宮の博物館には、自動車、船舶、航空機などの姿はなく、あくまで鉄道一本槍。昔は「パノラマ模型運転場」と言っていたように思うが、今はジオラマの名でミニチュア列車が走り回り、子供たちの目は釘づけ。一方我々高齢鉄道ファンは「ヒストリーゾーン」の実物展示車両が懐かしい。
なかで、国の重要文化財に指定されることになった大正期製造の通勤型電車ナデ6110系式に注目する。全長16m、ロングシート、片側3か所の乗降扉、と現在の通勤型車両の原型になったものである。集電装置としての屋根上の2本のトロリーポールが異彩を放っている。

京都鉄道博物館
昨年4月開館、まだ一年経っていない。運営はJR西日本。
前出、大阪の交通科学博物館収蔵品の一部と2015年8月に閉館した梅小路蒸気機関車館の収蔵品を展示するほか、つい先だってまで走っていた500系新幹線やボンネット型特急電車が待っている。しかし目玉は鉄道ファンなら一度は訪れたい梅小路機関区の扇型車庫と20両のSL、そして転車台。日本最古の木造2階建て和風駅舎旧二条駅舎も美しい。
とりわけ扇型車庫の一つ一つから頭をのぞかせていて、今にも走りだしそうなSL群が圧巻。SLの代名詞にもなったデゴイチも、全国のローカル線を駆けずり回ったハチロクもいる。この光景にうっとり。時間の経つのを忘れる。

梅小路機関区にて

梅小路蒸気機関車館はSLの動態保存を目的とした施設で、当初は東京に近い栃木県小山機関区が有力候補であったという。しかし日本の中央部に立地している、集客力の大きい名所旧跡がある、大型SLの保守実績がある、SL運転可能な路線が近くにあるなどの観点から梅小路が保存機関区に選定された。

昭和13年生まれのD51 筆者と同年齢

春休み、「大宮」は孫テツと、「京都」は大阪の友人と訪れたが、共通するのは押し寄せる入館者の大群。それも性別、年齢を超えた幅広さ、京都には外人の姿も多い。鉄道ファンってこんなに沢山いたの?と呆れるような賑わい。聞き耳を立てるとチビッ子たちの専門用語も聞こえてくる。乗り鉄、撮り鉄、鉄女とテツの世界も広がったが、「車両派」という確固たるジャンルがある。この子たちはその予備軍なのだろうか。

今年は国鉄が民営化されて30年。鉄道旅としては邪道と思える豪華列車運行の話題とは裏腹に、地方鉄道網の維持が大きな課題になってきた。鉄路の行く先を考え続けたい。
田谷英浩(2017.4.6)

怒り

終の棲家を神戸に定めた友人が怒っている。“いくら号泣議員の本場、兵庫県とは言えこれは許せない、酷すぎる”という。
何をそんなにと聞くと、昂奮醒めやらぬ口調で、まずこれを見よとチラシを手渡された。
チラシには「おじさんは怒った!素人のおじさんが立ち上げた議会改革神戸」とあり、気力はあるけど、体力のない4人のおじさんが怒って作った集団とある。
一時の激情に駆られてか、という気もするが、我が友人のこれまでの行動を総括すると、何時まで続くかと思われた市民運動や地域活動が気づく頃には定着して、一定の役割を果たしている。従って、これが過激派の衝動的行動とは考えにくい。

チラシをながめると、神戸市会議員の年間勤務日数は57日で、勤務時間は平均2時間15分。特別委員会や各種委員会出席のために、仮に自宅で準備する時間を含めても僅か74日にすぎない。年収をこれで割ると、1日3時間弱の勤務で、日給28万円という途方もない数字になる。これは法外、異常ではないかが第一点。

第二点は神戸には市議が多すぎる。一人の議員に対する有権者の数を横浜と同じにすれば35人でいい。69人も必要ない。
第三は議員が市政に対する問題意識を全くもっていない。議会が近づくと、行政側職員が「センセイ、今度は何を質問しはりますか」と聴きに行き、答弁する方が質問を作ることもしばしば。使命感も倫理観もない議員が多すぎる、というわけだ。

その他いろいろ怒っているが、要は市民一人では何もできないなんて言わずに一人でもやる! やれる!を信念に神戸市を変えようではないか! 変える力は怒りであり、手段は投票である!と訴えている。
さすが我が友人、今後も年齢を忘れて頑張ってもらいたい。

翻って最近の我が行動はどうか。加齢と共に情熱とエネルギーを若干失いつつあるが、問題意識を失わずもう少し頑張らねばと自省している。
朝霞市では米軍基地跡地の国家公務員宿舎建設問題にノーを突きつけ勝利して以来、国、県、市と決定的に対峙する大きな問題はない。最近では市と手を携えた協調路線に終始している。なにもことを荒立てる必要はないが、一朝事あるとき市民は結集しなくてはならない。

昨今の風潮からは怒りの対象を国に向けるべきなのだが、安倍一強体制に骨抜きにされたマスコミも野党も無力で、マインドコントロールされた国民は、60%以上の支持を現内閣に与える。
以前なら内閣総辞職、解散総選挙並みの問題も、TV、週刊誌のゴシップを賑わす程度で一週間もするとたちまち忘れ去られる。

ある一日の新聞見出しを羅列するだけで、一年の重大ニュースが出来上がりそうだが、これも鮮度の落ちた豊洲問題のようで、解決の目処のたたないまま時間だけは経過する。
・高浜原発再稼働容認    ・核兵器禁止条約日本不参加
・森友問題 政権打消し躍起 ・共謀罪かテロ準備罪か
・教育勅語肯定の動き    ・民進 陰る改憲阻止   

これを書いている最中にも、
・シリアにミサイル攻撃 日本、米の決意支持 という日本にとり危険極まりないニュースが飛び込んでくる。我がコラムを含め、無力のおじさん達は怒りを表す場を持たずただブツブツ呟くのみ。
朝日歌壇から、
園児らが教育勅語を諳んずる戦前ですらなかりし異景 諏訪兼位
戦中派われもまさかと目をみはる幼ら誦しゐる教育勅語 黒沼智
本年度「私人・公人」ノミネート「流行語大賞難解部門」 今出公志                     
田谷英浩(2017.4.9)