企業博物館めぐり

シニアの好奇心はとどまることを知らない。世界文化遺産に富岡製糸場の登録が決まるや、あの面白くもない操業停止状態のままの工場に人々が殺到する。上州の寒々として、トイレもない、駐車場もないところに人が溢れる。『手すき和紙』も美濃や埼玉県小川町で同じことが起きているのであろう。長崎の『軍艦島』も最近人気が出てきたようだが、大騒ぎする以前に見ている者はこうした「にわか人種」を内心軽蔑している。産業遺産を見て廻ることは結構なことだが、観光と紙一重のところは止めて、地味だが生活に密着している歴史や技術を学ぶべきである。
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東芝未来科学館 今年1月にオープンした企業博物館。前身は昭和2年のマツダ照明学校。最先端の未来技術に驚き、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機など東芝製1号機を見て、60年前はこういう時代だったよなと肯きながら往時を懐かしむ。
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横浜開港資料館 名建築と言われるものが横浜には多いが、これもそのひとつ。元英国総領事館で開港資料館としては1981年に開館された。横浜の歴史、文化を伝える25万点の資料が所蔵されている。横浜を描くアマチュア画家のスポットでもある。
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印刷博物館 トッパン印刷博物館と思っていたが、冠は無い。新しい印刷技術が日本に到来した最大目的は紙幣の製造。イタリア人エドアルド・キョッソーネが日本の紙幣印刷の基礎を築いた。お雇い外国人が二人いたことを知る。
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東京都水道歴史館 大江戸100万人の上水はいかにして確保されたのか。家康の開幕いらい今に至る東京の上水道建設の歴史。明治以降の近現代水道施設もさることながら、江戸時代の木樋や継手など当時の技術を実物で見る。非常に有益で面白い。
(2014.12.5

奥能登プラス4_終着駅

終着駅(Terminal)の語感は心淋しい。ターミナル・ケアという用語もある。しかしターミナル・ビルとなると主要駅の駅本屋を意味するし、空港では旅客機が発着する中心的機能を果たす建物のことになる。だがここでは能登周辺の元・現の寂しい三つの終着駅を取り上げる。


元JR能登線 のち三セクのと鉄道能登線「蛸島駅
奥能登の穴水から九十九湾沿いを走る風光明媚な路線(61.0㎞)であったが、車社会と過疎化には勝てず、全線開通(1964年)から24年後の1988年に廃止された。
その後、三セク化されて地域の足として頑張ったものの、17年後の2005年4月には遂に廃業、全線開通で奥能登が湧きかえってから、41年後にはひっそりと引退。我がサラリーマン人生にも似ていて感慨深い。
例によってアルバムを繰ると S61.8.14蛸島駅の入場券とJR廃止直前に乗りに行った合田の小父や又従姉妹たちの嬉しそうな写真がある。デイーゼルカ―のサボは金沢←→蛸島である。
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珠洲焼資料館を見学ののち、国道沿いにまだ残っているという蛸島駅の駅舎を探す。
えっこれが駅だったの? 駅名看板がかろうじて残っているのでそれと分かるが、通行する車からは壊れた倉庫跡としか見えない。10年間放置するとこうなってしまうのか。荒れ果て、壊れ果てた片面ホーム、レールや枕木も伸び放題の雑草の隙間から見える。なんとも悲しい光景である。日本全国どこでも同じだが、鉄道の長い線路跡は、サイクリングロードにでも変身させない限り使い道がない。犬釘を一本拾い記念に持ち帰る。

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JR氷見線「氷見駅
高岡-氷見(16.5㎞)の終着駅である。この路線は途中に雨晴海岸という義経伝説で有名な観光名所があって知る人は多い。
氷見の番屋街を訪ね、鰤の大きさと値段に驚き、越中名物大門素麺を求める。折角来たのだからと寿司屋で昼食をとるが、これがべらぼうに高い。ブリ一貫480円也、新鮮この上ないが、回転寿司の昼食で5,000円は痛い。

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JR城端線「城端駅
高岡-城端(29.9㎞)の終着駅である。チューリップで名高い砺波平野を縦貫する路線で、合掌造り集落白川郷の入口でもある。しかしこの駅から世界遺産を訪ねる人はいない。前出の氷見線と直通運転させてはどうだろうかと思うが、そんなことは一部の鉄道マニアが面白半分に唱えるだけで、閑散とした駅周辺は、いずれ廃線の運命を予感させる。
そんなことより目的は井波に行くことにあった。旅好きの友人たちからも、あそこは必見と言われていた。
井波彫刻の粋を集めたと言われる「瑞泉寺」と木彫りの里を主張する「その門前町・八日町通り」を見なくては。

北陸随一という浄土真宗瑞泉寺の大伽藍は、永平寺や総持寺に匹敵し見応え十分。そして山門から通りの両側に連なる100軒以上の彫刻工房、彫刻刀の店、工芸品の店が圧巻。
通りから覗きこむと工房では欄間、山車、寺社彫刻、置物、仏像、衝立などの作業に国宝級の職人がノミを揮っている。
さて置物のひとつでも買うかなと手を出したが、値段が一桁違っていた。(2014.12.1)

奥能登プラス4_十日町市博物館と小坂遺跡

十日町市博物館小坂遺跡
旧石器発掘捏造事件の主役藤村新一と、考古学界の非科学的体質に言及した『石の虚塔(上原善広著)』を読んだ。巻末の参考文献一覧に相沢忠洋氏の『岩宿の発見』をはじめ数多の論文、報告書が紹介される中に、『岡本勇 その人の学問』という追悼文集のあることを発見した。
へえー、この人こんな学績のある人だったのかと当時を思い返す。半世紀以上も前のことであるが、岡本さんは我々大学生の兄貴みたいな存在だった。酒癖が悪くて有名な中川茂夫教授の下で、コツコツ何かやっていた印象がある。
『石の虚塔』を読む限り、中川さんはあまり登場せず、岡本さんの名が再三出てくるから、業績としては彼が上だったのだろうと推測する。そんな先生がたの指導の下で、1959年(昭和34年)8月、十日町市教育委員会の主催で発掘調査が実施された。
趣味で入った大学のサークル活動は、「考古学」というより「土方作業」であったが、長期間の合宿生活は仲間を作り、酒を覚え、その後の人生に限りなく好影響を与えてくれた。
そしてのちに「小坂遺跡」と名付けられた55年前の発掘現場はいまどうなっているのだろうか。予てから気になり出かけてみたいと考えていた。
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JR十日町駅からほど近い十日町市博物館を訪ねる。文化財課主任の肩書の学芸員阿部敬氏が出土品の並ぶ館内を案内してくれる。国宝笹山遺跡出土品として、火焔型土器がドーンと陳列される脇に、申し訳けなさそうに我が小坂遺跡の出土品が数点並べられていた。
たしかあの時はリンゴ箱で25箱くらいを夏休みの校内に運び込み、連日水洗いと整理、復元に明け暮れたことを思い出す。
教育委員会が発行した文化財調査報告書「小坂遺跡」の数ページをコピーしてもらう。
これによると「中川が担当者になり、岡本および加藤が立教大学生を指導して発掘調査を実施した。(中略)発掘に、あとの長い間の遺物整理に協力された立教大学史学研究会の学生諸君に対して深甚の謝意を表する。」とあり、発掘参加者名が記載されている。一作業員に過ぎなかったとはいえ、自分の名前を学術報告書の中に発見することは嬉しいことだ。早逝した廿楽清君の名前も見える。

次いで報告書の地図を頼りに発掘現場を探しに出かける。
博物館員は鳩首会議を開いてくれたが、地図上に現場を特定できなかった。駅前で客待ち中の年輩のタクシー運転手に地図を示し、ここへ連れて行ってくれと頼む。運転手はあまり自信無さそうであったが、行ってみましょう、途中に公民館もあるから分かるかもしれないと車を発進させる。
信濃川を渡り、丘陵地を上り、ここら辺だがなという地点に達する。農作業中のお年寄りに尋ねてみる。“むかしこの辺りで学生がたくさん来て、発掘をやった記憶はありませんか”“ああそれならこの上の畑だ”。
意外にも簡単に55年前の現場が分かった。信濃川の河岸段丘の上260mと資料にあるが、背景の杉林に見覚えあるようにも思えるが定かでない。一帯は水田、畑になっていて、発掘現場の痕跡は留めない。
しかし長期間、宿舎に使わせてもらった鐙島小学校の廃校を見つけ、ここの体育館で寝起きし、地元婦人会の人たちに食事の面倒を見てもらったことを思いだす。作業終了の日、BC3世紀頃の集落址と炉を囲んで地元青年団の人たちと茶碗酒を酌み交わしたことが鮮やかに甦って来た。あのころの青年団も多分80歳台、さっきのお年寄りもその時のひとりであったかもしれない。

奥能登プラス4_赤字ローカル線

赤字ローカル線
金沢への往路飯山線、復路只見線を旅程に組み入れた。勿論既に乗っているのだが、それも遠い昔になった。久しぶりに乗りたい。

飯山線(越後川口-豊野 96.7㎞)
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直通する列車は日に一、二本。来春の北陸新幹線の開業でさらにどんな影響を受けるのか。
飯山線は大正5年、飯山鉄道により豊野側から線路が敷かれ、昭和4年全線開通、同19年国鉄が買収した。長野-新潟を結ぶ最短路線であるが、信濃川の蛇行に忠実に寄り添う線路はスピードを出せず、今でも96.7㎞を走るのに4時間以上を要している。

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キハ110系列車は小さな曲線と勾配の連続する線路を、キイキイ、チイチイとフランジ音を響かせながらノロノロ進む。速度計の針は25㎞~40㎞/Hを指したまま。飯田線ほどではないが、駅間距離も3㎞程と短く、豪雪期間ならともかく、特に見るべき景観もなく退屈極まりない。最近は何処にでも出没する鉄ちゃんもさすがにここでは見かけない。
と突然、巨大な構造物が目に飛び込んできた。北陸新幹線の「飯山駅」である。超過疎の村々を行くのんびりムード一転、東京のど真ん中に引き戻されたような違和感を覚える。前の座席に投げ出していた足を思わず引っ込め、居住まいを正さざるを得ない様な気分にさせられる。
赤錆びた非電化線路の上を跨ぐ新幹線の高架と駅舎の途方もない大きさ。数十年前、岩日線(現錦川鉄道)をやり、新岩国で山陽新幹線に乗り換えたときに感じた気分を思い出した。
北陸新幹線はこの先、信越本線の脇野田駅を「上越妙高」と駅名を変更し、直江津を無視して糸魚川に向かう。突如姿を現した要塞のような新幹線仕様の駅舎と、軒先に渋柿がぶら下がる農村風景、なにやら過去と未来が混在しているようでもある。

只見線(小出-会津若松 135.2㎞)
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只見線は紅葉の美しさと雪景色の見事さで常に鉄道路線の上位にランクされている。しかし2011年7月の新潟・福島豪雨災害により多くの橋梁、路盤が流され、只見-会津川口間27.6㎞はいまだに不通で、復旧にはこれから4年、85億円かかるとの試算もある。今この区間は代行バスで接続されている。
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周辺人口からすれば廃線になってもおかしくないのだが、鉄道に並行する国道は冬季通行止めになるため、新潟県の魚沼地区と福島県の只見地区を結ぶ唯一の交通手段として生き残っている。

小出駅を13時10分に発車したキハ40系列車は、標高760mの六十里峠に挑むためにエネルギーを温存するかのようにノロノロ進む。やがて晴れていた空があっという間に曇って、粉雪が舞い始め、本降りの雪となる。数日前から降っていたのであろう、雪下ろしをする農家も散見される。ここは日本有数の豪雪地帯なのだ。車窓の右に左に展開される雪山が美しい。やがて在来線では5番目の長さだという6,400mの六十里越トンネルに入る。
大白川-只見間の駅間距離は20.8㎞、山手線をゆうに半周する長さである。それを31分かけて走る。そして只見駅。慌ただしく代行バスに走り込む。
今夏乗った山陰本線の代行バスはJR中国が用意した立派なハイデッカーバスであったが、ここではどこかの福祉施設から借りてきたような20人乗りのマイクロバス。そんな侘しいバスに乗客は5人。一様に押し黙ったまま一時間後、会津川口駅に到着。
5分後に発車する会津若松行き列車に急き立てられる。駅周辺を撮ったり、見回す余裕もない。
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ここからは雪景色一転、山々にまだ紅葉が残る美しい奥会津の景観となった。もともと田子倉ダムなどを建設するために引かれた線路で、災害の危険とは隣り合わせだったのだ。
新潟側に比べるといくらか増えた乗客を乗せて、列車は17時20分会津若松駅着。135㎞4時間の旅であった。

奥能登プラス4_荒天の奥能登と金沢香林坊

深夜プラス1』(Midnight Plus One ギャビン・ライアル著)というミステリーの名作がある。これを読んだきっかけは題名が洒落ているから。
週報を書きはじめて17年、いつかこれをもじって、タイトルにしたいと考えていた。
能登には墓参に、観光に、親戚の法事に、と数えきれないほど足を運んでいて、美しい風景も、触れたい人情も、美味い魚や野菜についても書き尽してしまった。もう報告すべきことがない。
そこで題名でおやっと思わせ、気を惹こうとする最後の手段である。加えて旅の名人を自称し、駄文を披露するからには、単なる墓参報告で済ませたくない。ご先祖様には申し訳けないが、一工夫した旅行記としてお読みいただきたい。

今回の奥能登には朋友西山聖君が全日程同行してくれた。
昼は運転手兼観光ガイド、夜は呑み役に徹してくれて楽しい上に心強い。かつて北陸支店長を任じていた人物で、奥能登の地理や歴史につては、地元出身を名乗る自分よりも詳しいのだから嫌になる。
“こっちを廻った方が近い、美味いのはあの店、あそこの民宿の嫁は…”という具合である。先年の名画『最強のふたり』みたいで、足らずところを補い合いながらの二人旅となった。
彼の博識と陶芸に代表される趣味の良さ、それに美食家の面目がいかんなく発揮され、帰宅後家人は、“よくそんなに長く、男二人でいられたわね”と嫌味ともつかない感想を漏らしていたが、女には分からないのだ!
こうして11月11日、5日間の旅が始まった。

荒天の奥能登と金沢香林坊
行く季節にもよろうが、こんなに荒れた能登は久しぶりであった。日本海は轟々と吼えるし、輪島の朝市は早々に店仕舞いした。
こうなると目玉は曽々木海岸の「波の花」になる。もちろん知ってはいたが、こんな盛大に歓迎されたのは初めてである。
海水中に浮遊する植物性プランクトンの粘液が岩にぶつかるたびに、空気を含んで白い泡状になる。その泡のことを「波の花」と言うのだそうだが、強い風に煽られて雪のように舞い海岸を覆う。能登の冬の風物詩と言われるものを、初めて本格的に見た。強風で開かない車のドアをやっとの思いで押し開け海岸に立つ。吹き飛ばされないように身体を支えながら、カメラを構えるのだが、黄色味をおびた泡が烈風に煽られ、全身にまとわりつく。
カメラもたっぷり塩分を浴びる。早々に車内に戻り、乾いたタオルで拭う。こんな天候にならないと現れないのなら、「波の花」見物は観光資源にはなり難いが、しかしいいものを見た。
その足で「揚げ浜塩田」に立ち寄り何時ものように「塩」を求めるが、五代目角花豊さんに元気がない。聞くと今年奥さんを亡くしたそうだ。強風吹きすさぶ日本海の古民家のような家でひとり冬を越す。最古の製塩法を守る人と言われるが、なにか悲しい。

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金沢の繁華街、香林坊を訪ねるのも定番コースである。
今回は『日本の居酒屋文化』(マイク・モラスキー著)が褒めまくっている「いたる」で呑ろうと決めていた。けばけばしいネオンやいかがわしい看板、提灯とは無縁の横丁にあり、この店はなかなかにいい雰囲気を醸していた。これなら間違いあるまいと入りかけると、“ご予約のお客さまですか”と問われる。えっ予約が要るのと一瞬たじろぐ。

小料理、割烹を名乗るならともかく、居酒屋に予約はないよなと思うのだが、空席の目立つカウンターに入れてくれない。
こちらは一見の客、問答していても仕方ないので、じゃやっぱり何時もの「五郎八」にしようと向かうのだが、この日の金沢に何があるのか知らないが、知っている店はどこも満員。
結局はじめての店に入ったが、居心地の悪いまま、まずい酒と肴で二人とも不機嫌。“居酒屋なら予約など取らず、来る客を次々入れるべきだ。”と西山君はまだ怒っている。
兼六園の紅葉かアベノミクスか知らないが、繁華街に賑わいを取り戻したのは大いに結構だが、我々は面白くない。
こうした気分は三晩目の輪島「どんぶらこ」で解消するまで続いた。呑み屋の怨念は恐ろしい。
ここでは店主の心のこもった料理とうまい酒、女房のような存在という女将との会話も楽しく能登の良さを再確認した。
ただし酔った勢いで来年また来るなどと約束したのは何時ものことながら、軽はずみであった。

その後の福島原発行動隊

福島原発行動隊は2011・3・11事故発生のひと月後に発足した。「若ものの被曝を老人が肩代わりする」、つまり原発事故の収束作業に当たる若い世代の放射能被曝を軽減するため、被曝の影響が少ない高齢の退役技術者、技能者が過去の経験、能力を生かし、現場に赴いて作業することを目的にしている。
現在行動隊員700名、賛助会員700名が登録しており、自分は賛助会員の末席に加わっている。しかし残念ながら当局からお呼びはかからない。
そこで行動隊は脱原発派、推進派を問わず専ら「福島第一」の事故収束に向けて啓蒙活動を展開している。

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9月27日(土)早稲田キャンパス15号館でシンポジウム「福島原発の収束・廃炉を考える~私たち(特に年寄り)に何ができるか」が開催された。異色のパネリストが登場して興味深かった。

毎日新聞:岸井成格氏
翌朝のTV 番組で「福島の収束・廃炉について勉強し、その困難さを改めて思い知った」と述べた。著名なジャーナリストでさえ、この程度の認識レベルかと聊か驚く。

福一廃炉推進カンパニー社長:増田尚宏氏
事故発生当時は福島第二原発所長。勝俣、武黒、武藤ら東電元幹部の責任追及がなされる中で、「情の吉田、理の増田」と言われ、のちに「チーム増田」が福島第二原発を救ったとされるヒーロー増田氏、その人が登場した。質問も彼に集中したが、情報を隠す気は全く無さそうで、東電の立場を保ちつつも廃炉カンパニーの長としての実態と悩みを語る。発言に誠意が感じられ、いまこの時点でも防護服に身を包んで収束作業に当たっている7,000人ともいわれる作業者に感謝しなくてはいけないそんな気持ちにさせられた。

東北エンタープライズ会長:名嘉幸照
GE 出身の同氏が1980年に設立した原発の保守管理を請負う一次下請け企業の現会長。福一に係わり続けてきた技術者としての無念を語ったように聞こえた。

元政府事故調委員:吉岡斉
御用学者18年、その後ゼロを唱えると自ら語る。脱原発を進めるにしろ、原発を動かし続けるにせよ古くなった原発の廃炉は避けられない。

この日共通して指摘されたのは、
・過酷な作業現場で働いている人たちのプライドを支え、サポートすること、モチベーションの維持が重要であること。
・廃炉技術を確立して輸出されるべきであること。
・廃棄物こそイノベーション。後始末はものを作るより上位の概念であるべきこと。
・これらすべてが国のプロジェクトであるべきこと。
などであった。(2014.11.7)

小鷹信光×田口俊樹トークイベント

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の新訳が出たのを機に、代官山の蔦屋書店で新旧二人の翻訳者によるトークイベントがあった(10月3日19時)。蔦屋の「本屋」というより図書館かカフェのような造りにも驚いたが、金曜日の夕刻、こんなに大勢の若い男女が店内を埋めていることにもっと驚いた。東京の山の手には健全なサラリーマン、OL、学生がまだ沢山いるのだと妙に安心する。

目当てのトークイベントは期待に違わず面白かったが、旧知とはいえ、ここ数年お会いしていない小鷹さんがこちらを覚えてくれているかが心配でもあった。しかし案に相違して、“どこかで見た顔がいると思っていたよ”と終了後話し掛けてきた。
今は亡き須永氏の紹介により、図書館のような所沢のご自宅を訪ね所属するサークルの講師をお願いすること二度、三度。
紀伊国屋などでの講演会でもお目にかかったりして、サイン本も数冊所蔵している。ご自慢のペイパーバック類は早川に寄贈したそうだが、“まだまだ元気だよ”と笑顔の78歳。
名訳? それとも誤訳? 翻訳という仕事の難しさ、面白さを改めてたっぷり語ってくれた90分であった。

この日は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の新潮文庫新訳版6頁後ろから4行目の翻訳の比較をして締めくくった。

“Hokay、fillm up”
田口俊樹訳  あいよ、たらふくやりな
小鷹信光訳  ほいよ、満タンにしな
飯島正訳   よろしい。いくらでも食べなさい。
田中西二郎訳 ようがすよ。まあたっぷり詰め込みなさい
田中小実昌訳 ホーケー。腹いっぱい食べて
中田耕治訳  ま、いいやな。腹ごしらえをすることだ
池田真紀子訳 いいよ。食べな。         (2014.10.27)

音楽の秋

コンサートにもいろいろある。義理で行く、義務で行く、チケットを予約してその日を待つ、さまざまである。

女性合唱団・マロニエ定期演奏会 8月24日 小金井市民交流センター
メンバーの加齢に反比例するかのように、年々ハーモニーが向上する。夏休み後半の日曜日とあって、会場もかなりの入り。“いつまで続けられるだろうか”の声も聞いていたので、内緒で家人の兄弟を招く。
姉、兄、弟は妹の歌のレベルと衣装に吃驚仰天。まさか来ているとは知らない本人も唖然。演出成功、ただし終了後は大散財。

セッテンブリーニ2014 9月15日 大泉学園ゆめりあホール
曰く因縁を知らないが、桐朋の孫・芙由花がシューマンの「ことづて」とプッチーニの「私が街を歩けば」を熱唱するという。
舞台の袖から笑みを浮かべながらカツカツと出てきて一礼するポーズもサマになっている。へえー!あの娘が と成長ぶりに驚く。もっとも既に成人式を終え、間もなく教育実習の教壇に立つのだそうだ。板橋の西台中学で教生をやったのが、つい先だってのように思いだされる。あれから55年も経ったのだ。

学習院OB合唱団合同演奏会 9月28日 練馬文化センター
朋友のテナー根岸氏の所属する合唱団を聴く。さすが学習院OB、それらしき人相、風体、物腰の紳士、淑女で大ホールはほぼ満員。思わず口ずさむような曲は無いが、終了後を楽しみに約二時間拝聴する。

花岡詠二スイング・コンサート 10月15日 亀戸カメリアホール
聴衆の高齢化にあわせるようにスタンダードナンバーのオンパレード。外タレを含むベテラン奏者の中で、初参加の二井田ひとみ(武蔵野音大 26歳)が凄いトランペットを聴かせ、一心に注目を浴びる。
(2014.10.27)

正気か 成長戦略の目玉が賭博産業とは

安倍首相の唱える「美しい日本」と成長戦略の目玉「カジノ誘致」とはどう結びつくのか。日本には競馬、競輪、競艇、サッカーくじ、パチンコ、パチスロと、ギャンブル・賭事には事欠かず、世界の賭博機の実に三分の二が集中している。この上カジノまで必要なのか。
カジノは社会風俗を乱すとして禁じられている「賭博」の合法化だ。賭博には多くの敗者・犠牲者が出る。依存症となり、人生を棒に振る人も出るだろう。多くの人を不幸に陥れても、目先の利益に飛びつくのは、まとも政治とはいえまい。
「美しい日本」とは豊かな四季の景観の中、人情と思いやりを重んじ、少子高齢化社会でも多くの人が幸せを感じる国をつくることではないのか。外国人観光客を呼び込むのは、こうした「美しい日本」であるべきで、カジノでの観光誘致は論外だ。

「21世紀のあかり」を持ち出すまでもなく、日本人技術者には地球規模での省エネルギー、新エネルギー、環境破壊防止システム等を開発する知恵と技術があるはずだ。例えば原発の廃炉技術を確立すれば、有力な成長産業になりえよう。
一方で日本の大学の世界ランクは年々下落傾向で、理工系学生の減少も憂慮される。こうした抜本的課題を棚上げしたまま、カジノが雇用の拡大になる等と喧伝するのは、前途有為な若者に対する冒涜でしかない。            (2014.10.18)

*朝日新聞読者投稿欄「声」に投稿したが掲載されなかった。
3日後の同紙「オピニオン」面に思想家内田樹氏の『カジノで考える民主主義』が全頁で掲載された。
そこでは賭博のビジネス化、国民の不幸で受益、白昼堂々の無自覚が糾弾され、金より大切なものがある。それは民の安寧であることを飽きるほど言い続ける必要があると指摘していた。

ネット文化の翳

大災害となった木曽の御嶽山と東急・池上線の御嶽山駅の関連をネットで検索していたら、非常に不快なサイトを発見した。曰く『御嶽山で亡くなった人達の職業』。
匿名で攻撃できるネットという手段はいま問題になっているヘイトスピーチ(憎悪表現)を一段とたちの悪いものにしているようだが、ここに書かれているレベルの低い日本語はともかくとして、こんな遣り取りが日常的に交わされていることに呆れる。
高性能のPCを持ちながらも、その機能の1/10も使っていないと自認していて、大きなことは言えないが、ともかくこの種のサイトを今まで見たことがなかった。想像するに、薄暗いアパートの片隅で、ネチネチとこんな遣り取りをしている連中が大勢いると思うと情けない。
・山登りはブルジョアの趣味だって、はっきりわかったね。
・派遣や貧乏人が山登る理由、無いからね。
・普段からヘトヘトに働いていて、そんなに体力残ってないからな。
・他人の不幸にこの上ない喜びを感じるよ。



こんな遣り取りが延々と続く。こんなものに付き合っていると、こちらまで馬鹿になってしまいそうで、早々にPCを閉じる。

精神科医の片田珠美氏は指摘する。
『将来に希望が持てず、貧困の足音もひたひたと聞こえる。不安や閉塞感が広がり勝ち組への妬みはものすごい。成功して幸福そうな人が我慢ならないのだ。』
インターネット上には「売国奴」、「国賊」、「反日」などという言葉が飛び交い、週刊誌は売らんがために扇情的なタイトルと記事で偏った国家ナショナリズムを煽る。
本来は権力を監視するはずのメデイアも歴史に逆行する政府の動きを阻止できず、十分にその役割をはたしていない。我々はいまこそ冷静に、ことの本質を見極めた上で、世の中の動きを注視しなければならない。
(2014.10.10)

木曽御嶽山

御嶽山に登ろうとしたのは何時頃だったろう。アルバムのINDEXから年月を探り当て、当時の手帳を引っ張り出す。ありました!ありました! 1976年の7月30日から8月3日まで、御嶽山麓王滝口の民宿「住吉荘」に二泊、開田高原の「ロッジ開田」に一泊している。今から38年も前のことである。
三女奈津子はまだ二歳、そんな家族五人に、友人家族二世帯が加わり、総勢13名で一応山頂を目指した。
でも本気だったのだろうか。写真を見ても全員ハイキング程度の軽装で、誰ひとり登山の格好をしていない。
むろん、噴火の恐れのある火山であるといった知識を持ち合わせていなかった。実に無謀なことを考えたものだ。
写真を見ながら当時の記憶を辿る・・・。思い出したぞ! 目的は既にいない家人の両親が信仰した御嶽講の霊神碑を御参りすることにあった。神仏の世界に疎い自分は、家人に言われるがまま夏休み旅行の行程に御嶽山を組み込んだのだ。
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「林道黒石線」という有料道路を走り、7号目の「田の原天然公園」(2,180m)に車を置いた。そこから山頂(3,067m)までは指呼の間に思えた。むずかる奈っちゃんを背負って、ここまで来たのだからと歩き出した。まだ若かった。
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ところがここは山岳信仰の山。深田久弥は『日本百名山』の中で、道が白く見えるくらい白衣装束の信者が続くと書いているが、将にその通り。今で言う高齢者集団―爺さん、婆さんが続々と狭い山道を下ってくる。山は上り優先だなどと喚きたいところだが、登山に趣味があるとは思えない人たちに、そんな言葉を投げつけるわけにも行かず、しばしばというか頻繁に立ち止まる。
標高差800mの上りの一本道、すれ違いのためにしょっちゅう立ち止まるのは辛い。さっぱりペースがつかめない。やっと8合目に達する頃は気温も下がり始め、ビーチが似合うこんな恰好では危険だ、引き返そうという常識も働き7合目の駐車場に下りた。天候が変われば、13人の命が危険に晒されたかもしれない。
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今回の噴火による火山活動の歴史を見ると、3年後の1979年には大規模な水蒸気爆発があった。(2014.10.10)

俊平クンの野球

孫の成長を2006年11月と5年後の2011年11月にこのコラムで書いている。それから3年、総領孫芙由花を筆頭に七人の孫はみな順調に成長している。
孫の母親たる三人娘が等しく40歳を超える年齢になり、それも当たり前と言えば当たり前だが、特に中学二年生俊平クンの成長が著しい。
見るたびに背丈が伸びて、今では180㎝。声変わりした低音で“こんちわ”と言いながら首をすくめて入ってくる。つい先だってまでは横に並んで、背丈を競い合っていたが、最近ではもはや勝負は明白と並ぶ気配も見せない。
その俊平クンが少年野球を経て、今では中学校のピッチャーで三番バッターだという。どうせ軟式野球と思いつつも、その雄姿を見るべく所沢のグラウンドに出かけた。
両翼90m、センター100mの立派なグラウンドの中にひときわ目立つ長身の俊平クンがウオーミングアップをしている。へえーとこれだけで感心する。スパイクを履いた俊平投手はさらに大きく見え、投球フォームもきれいで落ち着き払っている。身体の大きさだけならTVで見る大リーグの投手にひけをとらないし、相手チームのヤジに怯むこともなく堂々としている。(爺バカの極み)
試合は投手のコントロールにやや難があり、捕手も弱肩だったため苦戦していたが、最後は見事逆転勝ち。応援に駆けつけている母親たちの歓声、嬌声が凄い。夕闇迫る頃には驚いたことに照明が灯きナイターになった。勝敗は別として、こんな施設でプレーできる中学生は幸せだ。自分にこんな経験はない。せいぜい思い出すのは、疎開から引き揚げた滝野川(北区)でオフクロ手縫いのグローブらしきものをはめ、焼け野原の片隅で町の子らと三角ベースの野球をやったことくらいである。
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母親美奈子は、こんなデカイのが土、日ウチでウロウロさては家族が迷惑。野球をやってくれて本当によかったと酷いことを言っているが、それでも俊平クンが四球を連発したり、打席に立つと心配で見ていられないらしく眼をつぶり顔を伏せている。
息子に対する母親ってこんなものなのかと、戦中戦後の厳しい時代、あまり母親の愛情を感じることなく育った世代としては少々怨めしくもある。(2014.10.9)

異色の洋画三作品

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めぐり逢わせのお弁当 The Lunch Box 2013 インド 監督 リテーシュ・バトラ
かつての小津安二郎か成瀬巳喜男の映画を彷彿とさせるインド映画。まず驚くのはダッバーワーラーと呼ばれる弁当配達人の存在。お昼時、大都市ムンバイ(ボンベイ)のオフィス街は、各家庭や食堂から弁当を届けるこの配達人たちで溢れる。彼らは旦那の出勤後、家庭の玄関先に置かれた出来立ての弁当箱をヒョイとつかみ上げ、数えきれないほどの数の弁当箱を両肩にかけ、両腕に持ち、バイクで、車で、列車で旦那の待つ職場へ急行する。その数600万個という。ドキュメンタリー・タッチで描かれるこの一部始終が面白い。
この配達システムは正確無比、英国女王から表彰された等というセリフも飛び出すほどで、彼ら配達人の誇りでもあるようだ。
だがそうは言ってもたまには誤りもある。映画は誤って届いた弁当箱を介して手紙のやり取りを始めた男女の物語。微笑ましく、優しく、美しく、素敵としか言いようのない必見のインド映画。

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NO ノー 2012 チリ 監督 パブロ・ラライン
チリについては南米の共和国であるという以外に、政治についても経済についても知識がない。ただ軍事独裁政権が反対派を徹底的に弾圧してきたこと、独裁者の名前がピノチェトであることは聞いたことがある。
1988年、この独裁者の信認を問う国民投票が行われ、「NO」のテレビ・キャンペーンが独裁政権を倒すのに重要な役割を果たしたという。周辺国が次々と民主化する中で、孤立するチリ。独裁反対派の活動家たちの地道な活動、民主化を求める国民の意識が巨大なマグマとなって民主化を実現したのであって、テレビ・キャンペーンが引導を渡したとは信じ難いが、事実なのだから凄い。
ここに登場する若き広告マンはNO派幹部の声を押し切って、意表をつくキャンペーン番組を作り上げた。最初は歯牙にもかけなかったYES派も世論の変化に気づき焦り始める。当然のようにこの広告マンは軍事政権側から身の危険に晒されるほどの、執拗な嫌がらせを受けるのだが、その都度なんとか切り抜ける。ドキュメンタリー・タッチのサスペンス映画風でもある。
結果、国民投票で勝つのだが、当時実際に放送されたという両派のキャンペーン番組も沢山出てきて面白い。いくら独裁政権が脆くなっていたとはいえ、CMで倒せるとは?の疑問もわくが、元同業者としては快挙として記憶にとどめたい。

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プロミスト・ランド Promised Land 2012米 監督 ガス・ヴァン・サント
アメリカという国の懐の深さを改めて知る。既に2年前、シェールガスを告発する娯楽映画が完成していたのだ。原発の代替エネルギーとしても、中東からの原油依存度を下げるためにも、シェールガスはアメリカの救世主のように見えるのだが。
この映画の主人公は大手エネルギー会社のエリート社員。経済的恩恵から見放された農村を訪れ、シェールガス採掘権の借り上げ契約を次々結んでゆく。そこに現れる環境問題の活動家。水質汚染や土壌枯渇などのキャンペーンを張り、小さな村はやがて二分される。現代社会は発電エネルギーを貧しい地方に押し付ける。全く同じ構造が世界中で起きている。
主人公を演じるマット・デイモンのエリート・サラリーマンに共感する。そしてこんな深刻なテーマを上質な娯楽映画に仕立て上げるアメリカはやはり凄い。
日本にもかつては山本薩夫(白い巨塔、金環触、不毛地帯)のような反権力の社会派監督がいたのだがなあ。(2014.9.18)

朝霞のいまと課題

国家公務員宿舎建設問題の結着いらい、いま行政と市民の間に目立った緊張関係はない。しかしそうは言っても13万人の人間が住む町である。次から次へ、すぐにでも解決されるべきテーマ、将来のために検討すべき課題が生まれてくる。
現に今も市役所の防災無線は、発生以来六か月もの間、行方不明になったままの女子中学生に関する情報提供を求めている。

市は現在、朝霞のこれからの10年を決める総合振興計画の策定に入っている。そしてすべての計画に市民参加は必須のこととして、7月の土日5回、のべ10時間を使って、分野別に市民懇談会を開催した。総務、教育、健康福祉、環境、都市建設の5分野のすべてに参加し、自説を述べてきたが、へエーそうだったの!やっぱりそうだったか?と初めて知ったことも多く結構面白く、勉強にもなった。
紙幅の都合上、ここにその一つ一つを紹介することはできないが、「学校教育と生涯学習」を議論しているとき、こんな発言があった。“地域に根ざした学校を目指すなら、第一、第二、第三のような設立順の番号では学校が何処にあるかさえ分からない。こんな名称を止めて、膝折小学校とか溝沼小学校とか歴史ある町名を冠むせるべきである”と。これなんか傾聴に値する。

市町村合併によって、変てこな名前が登場し、災害発生時に住民サービスが行き届かなかったという話をよく聞く。尾張町→銀座4丁目の例を持ち出すまでもなく、地域に愛情を持つためには、地名の由って来たる所を理解してもっと大切にする必要がある。

従来の地域活動に加えて、最近ではこの他、景観計画の策定や自治基本条例を考える市民の会だとかにも引っ張り出される。「朝霞の森」2周年も近づいてきた。
さらに2020年の東京五輪も単純に喜んでばかりはいられないようだ。都心上空を通過する羽田発着新ルートは、朝霞の根岸台、栄町2丁目、つまり我が家の上空900mを通過することになるという。周辺市には国から既に説明があり、反対論を表明する自治体もあるようだが、朝霞はこれからどうするか。新たな課題に発展する可能性もなくはない。 (2014.9.17)

続・読売vs朝日

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6月5日付の本稿で、三か月後に両紙の比較を論評すると大見得を切った。はなはだ気は重いが何かを書かねばならない。
しかし両紙の立ち位置については巷間すでに評価は定まっていて、与党系の人に野党の理を唱えても、その反対のケースでも、投票行動すら変わらないのと同じで、拡販以外の要素で新聞は変わらないことをこの三か月で実感した。
ただし少数派には、我が房総(暴走)老人会K氏のように『これまで数紙を取ってきたが、最近になって俺の主張にピッタリ、これこそ俺の意見だという新聞に辿りついた』という人もいる。
それがサンケイなのである。こうなると生活心情からから来るものか、歴史観が違うのか、世界観なのか、朝日派とは大いに違ってくるが、友情を壊さないために“呑むときは政治の話しはしない”という協定を結んでいる。
これなんかは稀な例かもしれないが、もの心ついた時分から、“うちは朝日だった”“読売だった”という要素が新聞を決めている最大の理由のように思え、その後の生活環境の激変とか、人生哲学・理念を変えざるを得ないような局面に直面しない限り、多くの人は、一度取った購読紙を変えていないように思う。

マスコミ、とりわけ新聞による意識形成の大きさは自明であるので、そうするといま圧倒的な発行部数を持つ読売、朝日両紙の論調が長い時間をかけて国民の意識に刷り込まれ、体制派と体制批判派を生み出してきたといえる。
欧米の新聞のように、発行部数を競わず、与党系、野党系を鮮明に打ち出す時期に日本も来ているのではないか。数年前の民主党政権の誕生をこぞって切望し、あげく全紙で叩きのめすというのは論外だが、読売は既に、「権力を監視する」というマスコミ本来の役割を放棄し、今や安倍政権の応援団になっている。
日本にはいま憲法問題、安全保障問題、原発問題、農業問題 財政問題、人口問題など声高に論じられるべき課題が山積している。他紙は中立を保つという従来の曖昧な姿勢を止めて、堂々と自説を主張すべきではないか。
原発について言えば読売、サンケイは再稼働についても、輸出についても明確にGOサインを出している。
他紙はひるむことなく、原発廃棄物処理の膨大な具体策に取り組むと同時に、自然エネルギーを主体とする新しい日本の国造り案を主張し、それを明確に展開すべきである。
今のままでは原子力科学者も政府関係者も自治体も、基本問題から目をそらし、負の遺産を将来に送るだけで躍起になっている。これでは日本に将来は無い。

現役当時、新聞の発行部数に非常な関心があった。新聞に出す広告料のコストをはじくためである。仮に100万部発行している新聞に前頁(一面)広告を出すとする。そしてその広告料が100万円だと仮定すると、新聞一紙当りの広告料は1円になる。
日本新聞協会にはABC協会という公的機関があって発行部数を管理している。しかしどうも最近怪しいらしい。つまり「発行部数」には、文字通りの発行部数と販売部数と配達部数の三種があるのだという。よく「押し紙」という言葉を耳にするが、これが曲者。大量の景品を付けて期間限定で拡販する、タダでもいいのだそうだ。現実にそんな人を知っているが、それを各紙ともやっているというのだから恐れ入る。
ネット上には「毎朝、配達部数を2、3割超える新聞が届く。週末にはトラックを用意して古紙として廃却する」という販売店主の声もある。発行部数がいい加減ということは、スポンサーサイドは詐欺にあっていることに等しい。従軍慰安婦、両吉田証言をめぐる異常とも思える朝日タタキの裏側には熾烈な販売競争の側面があることも否定できない。      (2014.9.10)

夏の甲子園

High_school_baseball_in_Yokohama_Stadium_Japan_2007-9正月の箱根駅伝と夏の甲子園は主催新聞社の顔をこえて日本の行事となった。
特に全国高校野球は選手の出身地の詮索はさておいて、すべての国民の郷土意識を目覚めさせるから、意外な人が意外な高校を応援することを知ることにもなって面白い。
我が家でも、東京生まれ、東京育ちの家人は当然のように東京といま住む埼玉県を熱烈に応援し、そういう事に割と冷淡を装う自分は密かに石川県を応援するという図式になっている。
しかし応援の対象校が次々と敗退するにつれ、親戚の住む県、旅行で行った先、心情的に応援したい県と対象が変わってゆく。
今年も中盤以降は、長女の嫁ぎ先宮城県、原発被災の福島県、沖縄戦を忘れてはいけないと沖縄県に肩入れする。
結果、大阪の高校が優勝して終わったが、この間に吃驚したことがあった。それは家人が“甲子園に行かない?”と言いだしたことである。大の野球好きは知っているが、そこまで言うとは。
今春の『吉野の桜・独り旅』でひとりでの行動に自信ができたらしく、こちらがノーでも行きかねない。
埼玉県が決勝に残ったらが、石川県になり、沖縄県になり、結局実現はしなかったものの、決して冗談話でなく、一時は本気で考えたフシがある。幸か不幸か春日部共栄高校は二回戦で姿を消したが、万一勝ち進んでいたら、夜行バスで甲子園を往復する強行軍に付き合わされた可能性がある。おそろしい!

孫にも手がかからなくなり、今のところ亭主の健康にも不安がない。旅行会社の『おひとり様の旅』の企みが功を奏して、これからも何を言い出すか油断ならない。     (2014.8.30)

ヴァイブラフォン ジャズナイト

リハビリ中の出口辰治さん復帰ライブを荻窪・ルースターで聴く(8/22)。演奏旅行先の長野県伊那市で脳梗塞により倒れてから6年、執念のリハビリのかいもあって、左手一本でヴァイブを叩くまでに回復した。
トレードマークの赤いベストを着けて、魔術師のような手さばきを披露する最盛期の頃には及ばないが、これまで組んでいたカルテットが彼を舞台前面に押し出し、バックで演奏する。
ピアノ:吉田佳一、べース:大表秀具、ドラムス:高橋徹のトリオ。聴衆は出口さんの一日も早い復活を願うファンの面々。東村山市の病院/リハビリセンターでお見かけした顔も見える。
出口辰治さんは金沢出身の62歳。金大工学部に在籍中、軽音楽部に所属し、部室の片隅で埃をかぶっていたヴァイブを叩いたのがきっかけでプロになったという変わり種。
もっともこんなことは、のちに六本木や浅草のライブハウスの休憩時間中に、同郷であることを共通項にして話すうちに知ったことである。
この人は、博覧強記の人で、話題は豊富、文章もユーモアとウイットに富み非常に上手い。かつて10年間に20号まで発行した同人誌『倶楽部』の執筆者に加わってもらったこともある。
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あるとき、「金名鉄道」って知っているかと問われた。また何時もの冗談か、多分からかいだろうと思ったが、彼は大真面目。
調べて見ると遠縁にあたる人が、大正4年に金沢と名古屋を結ぶという壮大な夢を持ち、金策に走り回り、「金名鉄道」という会社をともかく設立した。一時は白山の麓から鶴来町まで開通させたことも分かった。「その内廃線めぐりでもやろうよ」と言ったのを思い出す。
彼の回復が早いか、こちらのお迎えが早いか。  (2014.8.28)

「頼れる大人の会」頑張る

設立十三年目を迎えた「頼れる大人の会」、今年に入ってめっきり参加者が少なくなった。講師陣に魅力がないのか、運営方法に問題があるのか。世話役7人が集まって侃侃諤諤の議論を繰り返すが、原因が分からない。
しかし設立当初800人ほどいたJJC会員が今では1/2ほどに減り、高齢化と相まって、どのサークルも参加者減に陥っているのは事実である。
いきおい我がサークルの最重要課題も毎月の講師探しから、参加者の確保に重点が移った。こうなると何のために、誰のためにやっているのか分からないような気持にもなり、そろそろ潮時、店仕舞いしようかとの発言も出始める。
だがそうは言っても自由時間倶楽部発足時からの歴史ある看板サークルの自負もあり、おいそれと止めたくないのも本音。
年に一度の「止めるか?」、「やっぱり続けよう」の議論も定例化してしまったが、これからも講師の発掘と受講者の確保に汗をかくことが続きそうである。

こんな背景の中で、9月の講師に鈴木隆敏さんをお願いした。
同氏とはいまだ面識はないが、暴走(房総)老人の会の線で辿りついた。こんな経緯である。
今春、房総の山中、児玉山荘に滞在していた時、偶然40年前、丸の内で発生した「三菱重工爆破事件」のドキュメンタリーを読んだ。この本に登場するのが鈴木隆敏氏で、事件当時は産経新聞社会部の記者で、のちに犯行グループ逮捕をスクープした人である。この鈴木氏と山荘の主、児玉さんとは九段高校時代からの親友だと知る。
いまや何処にいても講師探しが念頭から離れない習性になっている身として、このチャンスを逃すテはない。早速紹介の労を取ってもらおうと持ち掛けたが、「タカちゃんなら大丈夫だよ」とご本人のスケジュールを確認しないまま、親友が引き受けてくれた。有難い。

帰宅後、挨拶状をお送りし、快諾していただいたが、驚いたのはご本人の経歴。元ではあるが、産経新聞常務、夕刊フジ代表のジャーナリストとしての肩書、彫刻の森美術館長、上野の森美術館長など要職のほか、日本の伝統芸能にも造詣の深いかなりの有名人であることが分かった。「タカちゃん」などと気安く言っていたので、気軽にお願いしたが、これは相当手強い講師である。
講演内容についても、数度の遣り取りがあって以下のように決まった。
ただしひと月前に書いた講演概要が、そのひと月後には書き直さねばならないような激動の時代である。
9月25日、どんなお話をしていただけるか興味津々である。
(2014.8.27)
(講演内容)
この国のかたちを考える-安倍政権の行方とメデイアの功罪

安倍政権への評価について国内メデイアは二分されていますが、海外諸国や外国メデイアは中国と韓国を除くと総じて高い評価です。国内の常識と海外の常識の間にかなりの乖離があるようです。
旧ソ連内部の諸問題、中東やアフリカの諸課題は、米国オバマ政権の内向き志向と影響力の大幅ダウンが起因しています。
そうした中で日本は何処へ行くのか。みなさんとともに考えてみたいと思います。            (鈴木隆敏)
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編集者の役割とはなにか

名編集長と言われた「中央公論」の粕谷一希氏、「群像」の大久保房男氏が相次いで亡くなった。
駄文書きの端くれとして、両氏の名前は知っている。書棚から『作家が死ぬと時代が変わる』(粕谷一希)、『終戦後文壇見聞記』(大久保房男)を引っ張り出し再読する。
粕谷氏は中央公論が言論界に大きな影響力を持った時期の編集者だけに作家、学者、政治家らとの交流は広く、この本一冊で戦後日本の論壇、文壇、学界の勢力図が理解できる。
特に思想的対立が鮮明な昭和三十年代、天皇制批判をよく載せた「中央公論」に対し、皇室記事で部数を伸ばした「文芸春秋」の対比などは、今に至る文春ジャーナリズム、新潮ジャーナリズム誕生に繋がるもので面白い。

一方、大久保房男氏は講談社が左翼から戦犯出版社と言われたころ創刊された「群像」の編集者。“私たちの先輩文学者が日本の大きな力によって弾圧され、殺された者もいる。その大きな力を背景にして講談社は大きくなった。だから講談社の屋根のあるものには一切書かない”。こういう作家がいたことを知る。
作家や文士がいかに戦争責任論やマルクス主義と対峙したか。その中で「群像」の果たした役割はなんであったか。
こうした文学史もさることながら、“鬼の大久保”と呼ばれた編集長だけあって、意外なゴシップめいた話も披露する。
<吉川英治より活字が小さいのが嫌で連載を止めた伊藤整>
<丹羽文雄より下じゃだめだよと稿料の念押しする船橋聖一>
などなど。
(2014.8.12)

邦画ドキュメンタリーを中心に

“人類史上最高のアトラクション!”“衝撃と興奮、想像を絶する感動!”“今日、歴史が変わる!” こけおどしの惹句と騒々しい予告編にうんざりする。だから本編開始までは目をつぶっていて、本編開始とともにおもむろに遠視用眼鏡を取り出し、スクリーンに正対することにしている。映画製作者への礼儀でもある。
旅客機がミサイルで撃墜され、昨日まであった街が跡形もなく破壊され尽くす。作り物を超える現実の凄まじさを日夜テレビ画面で見る時代である。作り物はもうたくさん、ドキュメンタリーかドキュメンタリー・タッチの作品を見たい。
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旅する映写機 2013 森田恵子
デジタル化で消えつつある映画館のフィルム映写機と映写技師、メンテ技術者を追った記録映画。映写機が映画館から映画館に譲られる道程を「旅」とした。川越スカラ座で見た。埼玉県に残った最古の映画館だそうで、地元NPOが運営している。観光客が溢れる蔵づくりの街並み/時の鐘の路地を曲がったところに、今どきこんな姿でと思うような外観で建つ。
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坑道の記憶 2013 RKB毎日放送
炭坑夫・故山本作兵衛の『画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録』には衝撃を受けたが、この作品は九州のテレビ局が制作したドキュメンタリー。かつて炭鉱映画というジャンルがあり、悲惨な炭鉱生活を問題視するものが多かったようだが、ここで描かれる山本作兵衛は人情味ある一坑夫。ただしこの老坑夫の隠居仕事が「アンネの日記」、「ベートーヴェンの第九草稿」とともにユネスコの世界記憶遺産に登録された。ポレポレ東中野「映像の中の炭鉱」で見る。
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春を背負って 2014 木村大作
立山連峰を舞台にした山岳映画。父の急逝により、一流会社のサラリーマンを辞めて、3,000mの高地にある山小屋を引き継ぐ男とそれを支える仲間たち。登場人物は善人ばかり。ゆったり清々しい気分で木村大作の山の世界に浸る。
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パークランド ケネデイ暗殺 真実の4日間
2013米 ピーター・ランデスマン
51年前のケネデイ暗殺事件。ケネデイは誰になぜ殺されたのか。この真相を探るために設立されたウオーレン委員会の調査スタッフは「122の憶測と噂」があるとしている。
本作の題名は大統領が救急搬送された記念病院の名。暗殺に始まる4日間をドキュメンタリー・タッチで再現した息もつかせぬ迫真のドラマ。切迫した救命医療シーンの演出が特に素晴らしい。
なぜ今また、と思うがアメリカでこの題材は永遠のテーマなのであろう。
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黄金のメロデイ マッスル・ショールズ 2013米
アラバマ州の田舎町マッスル・ショールズ。ここはソウルミュージックの聖地と呼ばれるそうだ。豊かな自然に囲まれた録音スタジオが魅惑的な音を生み出してゆく。スタジオ創設者もセッションプレーヤーたちも白人なのだが、才能ある黒人歌手をバックアップし、次々ヒットさせる。ミック・ジャガー、キース・リチャーズなども登場する。音楽は人種問題を超える。
(2014.8.11)