大規模災害と鉄道貨物輸送の重要性

「平成30年7月豪雨」と命名された先ごろの集中豪雨は、西日本の鉄道各線に甚大な被害を与え、復旧に一か月以上要する路線は10路線、800㎞を超えた。
とくに中国山地の山間部を走る芸備線、木次線などは復旧に一年以上かかるとも言われ、今年3月に営業運転を終了した三江線に次いで廃線の噂も出始めた。鉄道ファンとしては、そんなことにならないことを祈るが、深刻なのは物流の大動脈・山陽本線の寸断である。
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子供御輿

1953年(昭和28年)戦後初めての駅前富士見地区の夏祭り。
御輿も山車も無く浅草の御輿屋から借りることになりました。大人の神輿は賃料が高く、仕方なしに子供御輿一基を借り受けました。
今は女性も御輿に肩を入れますが、此の頃は男だけに限られていました。
男勝りの女ターザン・みちえちゃんですら担がせては貰えなかったのです。
いつの間にやら「せいや、せいや」がかけ声になっていますが、昔は「わっしょい」以外はありません。
ガキ大将を中心に子供たちは商店を巡り寄付を募ります。
店構えは立派でもびっくりする程の小額の店もあり、そんなところへは先棒の中学生が御輿を、うまく誘導し店内に突っ込み御輿を何回転かさせ、商品を蹴散らしました。大人の世話役連も口では「やめろ、やめんか!」を連発するものの子供御輿の好きにさせていました。
「景気をつけろ、塩まいておくれ!わっしょい、わっしょい!」僕も担ぎ棒につかまって店内のあれこれを、踏んずけたり蹴飛ばしたり…しちゃいました。

津軽の旅━❻青函航路と北海道新幹線

青函連絡船の最終運航からすでに30年。津軽海峡を最も長く往復した八甲田丸(8,313トン 全長132m)がメモリアルシップとして、青森第二岸壁に繋留されている。最後に乗船したのが、この船だったかどうか記憶は定かでないがとても懐かしい。 続きを読む: 津軽の旅━❻青函航路と北海道新幹線

工作

夏休みに入ると2.3日で宿題帳「夏休みの友」を終わらせ、絵日記も嘘っぱちをせっせと描き、一週間もすると工作を残して宿題は片付けました。あとは絵日記の天気と気温の書き込みですが、5.6年生になると平気でデタラメを書いていたのです。1クラス45人分の絵日記を先生が1ページ1ページ確かめる事など決してない事を知っていたからです。
遊びに遊び、夏休みも終わり近くなり工作のモーターボートに取り掛りました。一進堂書店で馬糞紙と呼ぶ黄土色の5円の工作用ボール紙と10円の黄色いチューブのセメダインを買いました。馬糞紙は色付けしても綺麗な発色が叶わず、空いた菓子箱を利用しました。絵の具を厚くぬり、その上に防水にローソクを溶かして塗るのです。夏休みの宿題工作展でこのボートは銀賞を頂きましたが、同じようなボートを出したS君が去年に続き金賞でした。その違いはスクリューがあるか無いかです。「あいつ、兄ちゃんが手伝ったに決まってるぜ!」たしかに僕もスクリューに挑戦したのですが、手に負えませんでした。
ボートの名は黒人兵トニーのオンリーさんの名前を取り「ベリー号」です。僕はトニーとベリーさんが大好き!それに船には女の名がふさわしいと、トニーが教えてくれたからです。

津軽の旅━❺無人の五能線

秋田県の東能代駅と青森県の川部駅を結ぶ147.2㎞の地方交通線、つまりローカル線である。土・日・祭日には「リゾートしらかみ」なる観光列車も走っているのだが、平日は直通する列車も日に一、二本の超閑散線である。しかし単線・非電化のこの線は、それ故に鉄道ファンには人気が高い。 続きを読む: 津軽の旅━❺無人の五能線

おきどり君

敵のピッチャーは色白の背高のっぽで「女かよぉ」と誰かが言った程の長髪で、一投ごとに帽子を飛ばし、その都度鼻までも隠す前髪をすくいあげ、帽子をかぶり直すのを女子はウットリとした目で見ています。
「助平なやつだな」誰かが言う程、今迄に見たことも無い「かっこつけやろう」でした。
相手チームは引又の小学校チームです、どんないきさつで試合をすることになったか全く記憶にありません。
一行はオート三輪車三台に分乗してやってきました。
ぼくが試合に行く時は、どんなに遠くても歩いて行くので現地についたときはクタクタで、そのためとは言わないけれど(言ってます)連戦連敗だった。
ところがこの日、僕たちは大差で勝利したのです。というのはこの気取りやピッチャーと来たら投球ホームばかり気にして、あまりまともなボールが投げられずフォアボールの連続でした。
僕らは自作の丸太ン棒バットを担いでいればいいのでした。押し出しの連続です、それでもピッチャーは平気のへいざで投げつずけ全く動じません。
後で耳にしたことですが彼の家は川越までよそ様の土地を踏まずに行ける財産家の子供でした。
僕たちはユニホームもそろわぬ下駄履きの、布製ぼろぼろグローブでしたが何もかも完璧にそろった敵に勝利し気を良くしていました。
「またやろうぜ」気取り屋が言った時、誰かが言いました。「野球って恰好じゃねえよな」。
聞こえ無かったか彼は耳のあたりの長い髪を手の甲で後ろに跳ね上げ、オート三輪に乗せられ帰って行きました。
「なんだ、あいつら?」「わかんねー」彼らのチーム名も気取りやピッチャーの名も覚えていませんが、女子たちはしばらく「かっこ良かったね!」なんて話してました。昭和24年、ぼくが小学4年生の出来事です。

津軽の旅━❹弘前城と西洋館

新緑の津軽十万石弘前城に入る。桜で埋め尽くされるという日本屈指の名所もこの日は閑散。人待ち顔の人力車も手持ちぶさた。しかし城内に5,000本というソメイヨシノなどが一斉に咲き誇る頃を想像すると、ここが日本でも指折りの桜の名所であることを合点する。
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津軽の旅━❸酒田の山居倉庫と比内地鶏

なんど来てもいいところはいい。山居倉庫もその一つ。最上川の支流、新井田川に面し酒田港へ米を積み出す米蔵である。観光ポスターにもなっている庄内のシンボルで、12棟の倉庫群とケヤキ並木が連なる景観はとても美しい。 続きを読む: 津軽の旅━❸酒田の山居倉庫と比内地鶏

女学生M子

M子は中学に進むと同時に父母の一杯飲み屋を手伝い始め、三年生になった頃には看板娘になっていました。
取り立てて姿形が良い訳ではありません、酔客には愛嬌ある歯に衣を着せぬ言葉が好まれたらしく別の言い方をすれば、単なるスレッカラシだったということです。
この頃は中学を卒えると、家業の手伝いか町工場に働きに出ることが大半でしたが、M子は店が繁盛して景気も良かったのでしょうS女学校へ進みました。
ある日彼女は行方不明になりました。警察も新聞も誘拐事件と大騒ぎになり二週間後、町内根岸の農家U家の物置に男と隠れ住んでいるのを見つけられました。男は店の客の三十代のヤクザで、M子が計った狂言誘拐事件であったことが判明したのです。
警察に保護された時の彼女の言葉は「母だって遊んでいた、あたしがなぜ悪い!」に町は騒然でした。M子の母もこのヤクザとは親しい関係にあったことをM子は知っての事だったのでしょう。昭和25年の事です。

津軽の旅━ ❷黒石のこみせ通り

町並みに沿って道路側に付けられた屋根のある通路を、越後では「がんぎ」と呼ぶ。同じものを津軽では「こみせ」と呼ぶ。
冬の吹雪、積雪、夏の日照から人を守るための木造りアーケード状の通路、それを見たかった。
そんなものを見て何になるのかと 続きを読む: 津軽の旅━ ❷黒石のこみせ通り

デンタカとポン中の竹

電気工事人タカちゃんがデンタカ、遊び人の竹ちやんはポン中の竹と呼ばれ、僕ん家にも出入りしてました。
二人は20代半ばで幼馴染み。デンタカは腕の良い電気工事人で、かなりいい給料はを取っているとの噂ですが、竹ちやんは根っからの怠け者の遊び人でした。
賭け事とポン引きで食べてますが、手にした金はヒロポンという覚醒剤に注ぎ込み、青白い顔に血走った目をしていました。
そしてヒロボンが切れると僕ん家のお風呂場に駆け込み、肘の辺りに生ゴムの紐を巻き、血管を浮きあがらせ自分で注射して「飯のかわりさ」と言ってました。
しかし、その飯代にもピーピーしていてデンタカにたかってました。デンタカも殆どアル中ですがいい男で、、、竹ちやんの金ずるでした。
赤提灯おかめはヤクザ、ポン引き、パンパン、不良少年の溜まり場で真面目な勤め人が暖簾をくぐることはありませんでした。

津軽の旅━ ❶階段国道と龍飛崎

今回は津軽への独り旅。熱心な太宰ファンでもないし、傘寿の祝いをひっそりと津軽海峡で迎えようと感傷的になったわけでもない。ただ列車に乗り継ぐだけの阿呆旅行に付き合う仲間がいなかっただけだ。
そうなると真に気楽なひとり旅。地元の人に道を尋ね、気ままに横丁を覗き込み、
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新聞配達

子供達に新聞配りが流行ったことがありました。きっかけは小3のM子ちゃん。
新聞配りで家計を助けている親孝行が評判になり、僕も、あたしも、褒められたいと「細野新聞専売所」に押しかけたのでした。
そんなわけで其れまでの子供達が配っていた5,60軒分を3,4人でわけあう事となったのですが、ひと月もすると1人やめ、2人やめしてM子ちゃんの他3人が残るだけになりました。
僕もその流れに流された1人で、早起きは辛いからと夕刊にしたのですが、半月とつづきませんでした。
犬が恐い、を理由にやめたんですが新聞屋のおじさんは「駄賃」だと30円をくれました。
そのお金はその足で紅梅キャラメルを買いにはしりました。
「野球は巨人、キャラメルは紅梅」だからです。

イザベラ・バード(Isabella L Bird)と菅江眞澄

ドイツ文学者にしてエッセイスト池内紀氏の講演『イザベラ・バードの見た明治の日本』を聞く。主催は山形県生まれの知人、NPO元気・まちネットの矢口正武さん。
10年来の友である彼は、バード、芭蕉、義経を最上川の三賢人と名付け、山形県の活性化に努めているある種の変わり者である。
その彼が池内紀さんを呼ぶというのだから、これは外せない。
池内さんの著書『ニッポン周遊記』はのっけから、バードが北海道・森町、青森県・黒石市で見たもの、聞いたことから始まる。
バードの『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks ㏌ Japan)は明治維新後10年、文明開化には程遠い東北、蝦夷地の姿をリアルに記録した旅行記である。日本の近代化の変化を知る上で、貴重な本として評価は定着している。

浅学寡聞を思い知らされたのはバード(1831~1904)と菅江眞澄(1754~1829)の業績を対比したことである。動機も目的も異なるが、菅江眞澄はバードに先立つこと100年、東北と北海道の各地をくまなく巡り歩き、庶民の生活、風俗習慣、口承伝説、年中行事などを克明な記録として残した。その生涯は謎につつまれているようだが、柳田国男は民俗学の先駆者と評価している。

知人に大月和彦さんという「企業OBペンクラブ」に所属する人がいる。この人の書く随筆、評論の類は、そのすべてが菅江眞澄がらみ。菅江の足跡を辿って、津軽、下北、北海道を常時旅しているのだから本物である。
この講演会の会場にも、バードの歩いた道を北上中という人や、殆ど何も残っていない新潟で、バードの足取りを探索中という熱心なファンもいたから、日本人の好奇心はまだまだ健在である。
(2018.7.3)

のぼり竹

校庭の西側の氷川神社の参道沿いにのぼり竹があって、皆は猿の如くスイスイ登って天辺に着くと、手足の力を抜きシューっと急降下します。
中には体を反転、頭を下にしてのサーカスまがいの急降下もいましたが、僕は雲梯と同じく不得手で裸足になって足指も使って登ることも教えてられたがだめで、とうとう一度も天辺に到達することは叶いませんでした。
僕たちはのぼり竹と呼んでましたが、正式にはハント棒(よじ登る)ということです。

三角ベースとあんぱん屋

三角ベースでも野球は野球。キャツチヤーの後ろにはちゃんとあんぱん屋が立っています。しかし自分より喧嘩の強い奴とか勉強のできる理屈っぽい奴には、誰が見ても真ん真ん中のストライクでも「ボール!」の判定でした。
僕はなんであんぱん屋なのかが分からなかった。僕ん家の家業、せんべい屋ではいけないのか?それが「アンパイア」と知ったのは黒人兵、チョコレートボーイのトニーとキャツチボールをした時、四年生になってすぐの頃。だったろうか?今考えりゃわかる事、パン屋やせんべい屋が審判員として立つ訳は無いもんね!
浅草の従兄から貰った本革のグローブはワセリンという油を塗り、大事にしていました。外に持ってでたその日に盗まれてしまいましたが、何故かお母ちゃんが型紙を写していてくれ、毛布やフエルトで試行錯誤で作ってくれました。本革のグローブのように、すっぽりと球は収まってくれず、キャツチした時のピシャ!もしくはパシッ!の音が無いのが不満でした。
「少年クラブ」付録のグローブやミットの型紙を持っていましたが、布製ではいくら綿をあんこに詰め込んでも無駄でした。
三角ベースは適当にあやしげな二等辺三角形を引いて始めますが、別にルールにはこだわりません。正式なルールを知る奴だっていませんから、見よう見まねです。あんぱん屋だってストライクとボールの判定があるだけですが、それでも結構楽しかったんです。
背番号16は読売巨人軍赤バットのホームラン王、川上哲治で誰もが背番号は16です。もちろん、僕もです。

推進、反対両面から八ッ場ダムを検証する

八ッ場(やんば)ダムは民主党政権の誕生時にいったん建設が中止されたものの、その後復活した曰く付きの大型公共工事で、今は多くの問題を抱えながらも2020年3月の完成を目指して着々と工事は進んでいる。 続きを読む: 推進、反対両面から八ッ場ダムを検証する

マネキン人形、白日夢

志木駅から浦和へ向かう途上、新河岸川にかかる栄橋を渡り左に折れると水谷村水子のおぢいちゃん家への道。
左右は白鷺の舞う田んぼと溜め池のちらばる凸凹の砂利道です。
そこを300mほどいくとマネキン人形工場があり、くりくり頭の裸の女が何十人も並び、のっぺらぼうの顔を一斉に僕に向けたのです。そばには首の無い腕の外れた胴体が転がっていて、道との境に張られたネットの下から白い腕がぬっ!と飛び出している気色の悪さです。
(ここは、さんじょうめ、と呼ばれた現在の水谷東3丁目のモード工芸社でしょうか?)
加えて白昼なのに人通りもなく、僕は一人で怖くて顔を背け通り抜けようとしました。すると、「坊ちゃん、どこいくの?」「お汁粉飲んできなよ!」マネキン人形が話しかけてきたのです。恐怖のあまり夢中で逃げたのですが、野良犬が追いかけできます。僕と駆けっこでもしてるつもりなのか無我夢中で逃げて、おぢいちゃんの家に駆け込むと同時に失神したらしいのです。
気づいた僕の耳におぢいちゃんの声。「お化け、お化けって、トシヲは臆病者だからな」この晩、僕は熱を出しメメズを煎じ飲まされたのでした。

図書館と文庫本

かねて「文庫は出版社の収益の柱。図書館での文庫の貸し出しをやめて欲しい。」という大手出版社社長の主張の是非を論じようと考えていた。しかしこれに関する肯定派、否定派の熱心な意見を知る内に自分の論拠のいい加減さと曖昧さに気づき、ここはまず出版不況と図書館の関係から論ずべきだと思い至った。 続きを読む: 図書館と文庫本