推進、反対両面から八ッ場ダムを検証する

八ッ場(やんば)ダムは民主党政権の誕生時にいったん建設が中止されたものの、その後復活した曰く付きの大型公共工事で、今は多くの問題を抱えながらも2020年3月の完成を目指して着々と工事は進んでいる。 続きを読む: 推進、反対両面から八ッ場ダムを検証する

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マネキン人形、白日夢

志木駅から浦和へ向かう途上、新河岸川にかかる栄橋を渡り左に折れると水谷村水子のおぢいちゃん家への道。
左右は白鷺の舞う田んぼと溜め池のちらばる凸凹の砂利道です。
そこを300mほどいくとマネキン人形工場があり、くりくり頭の裸の女が何十人も並び、のっぺらぼうの顔を一斉に僕に向けたのです。そばには首の無い腕の外れた胴体が転がっていて、道との境に張られたネットの下から白い腕がぬっ!と飛び出している気色の悪さです。
(ここは、さんじょうめ、と呼ばれた現在の水谷東3丁目のモード工芸社でしょうか?)
加えて白昼なのに人通りもなく、僕は一人で怖くて顔を背け通り抜けようとしました。すると、「坊ちゃん、どこいくの?」「お汁粉飲んできなよ!」マネキン人形が話しかけてきたのです。恐怖のあまり夢中で逃げたのですが、野良犬が追いかけできます。僕と駆けっこでもしてるつもりなのか無我夢中で逃げて、おぢいちゃんの家に駆け込むと同時に失神したらしいのです。
気づいた僕の耳におぢいちゃんの声。「お化け、お化けって、トシヲは臆病者だからな」この晩、僕は熱を出しメメズを煎じ飲まされたのでした。

図書館と文庫本

かねて「文庫は出版社の収益の柱。図書館での文庫の貸し出しをやめて欲しい。」という大手出版社社長の主張の是非を論じようと考えていた。しかしこれに関する肯定派、否定派の熱心な意見を知る内に自分の論拠のいい加減さと曖昧さに気づき、ここはまず出版不況と図書館の関係から論ずべきだと思い至った。 続きを読む: 図書館と文庫本

アメ車

駅前通りの大店岡田屋雑貨店の裏には「大林の広場」と呼ぶ大手建設会社、大林組の資材置き場がありました。
塀も柵も無く出入りは自由で草地のままなので、子供たちの格好の遊び場ばかりではなく、サーカスや大相撲が来たり、お祭りや盆踊りの会場にもなりました。
ここへ僕んちに居たオンリーの冴子さんの彼氏のニールさんは「アメ車」と呼ばれたアメリカのでっかい乗用車を駐めていました。
ある日「アメ車」が物色されました。工具まで使って部品を外され、外形だけ残してわずか二日間で全てを持ち去られました。中学生の不良グループの仕業とされましたが工具まで持ち出しての所業は大人としか思えません。
そしてニールさんの「アメ車」は火を放たれ黒こげになったのです。結局犯人はわかりませんでした。
僕たちにスイカ泥棒を押し付けようとしたのも2人組のおばさんでした。

曹長ニールさん

アメリカ兵のニールさんは日本語の会話はもちろんのこと、読み書きもとても上手でした。
それも日本に進駐してから僅か3年で習得という事です。
「わたしは、職業軍人です。進級を望む事当たり前、だから、お勉強した!」
それゆえか日本食も、刺身にワサビ、おでんに辛子、納豆、くさや、なんでもいけました。
父とは浴衣がけで正座して将棋を指し、囲碁を打ちました。
休日には成増にあった日本拳法の道場にも通っていたほどの日本びいきです。
日本人と結婚し奥さんとの間にリサという2歳の青い目の可愛い女の子がいました。
近くの広場で彼の真っ赤なアメ車が放火された話は「アメ車」で詳しく書きました。

天城越え

テレビを見ていたら南伊豆・河津辺りに住む土地の古老の喋っていることが気になった。“むかしは天城峠を越えて三嶋大社に行くのが大変だった”。つまりこの老人の「天城越え」とは伊豆半島を南から北に向かう人の前に立ちはだかる天城峠を越えることで、下田街道最大の難所であったというのである。

我々は漢字の読み違いを含め、長い間そう思い込み、信じ込んでいる事柄は多い。この例がそれで少なくとも自分にとっての「天城越え」は修善寺あたりから天城トンネルを抜けて下田に至る北から南に下るルートのことであった。 川端康成『伊豆の踊子』の主人公も修善寺、湯ヶ島から天城峠を越えて湯ケ野、下田へ向かう旅芸人の踊子と道連れになっている。 東京周辺に住む我々の多くは天城山を越えて下田や石廊崎に向かうルートを「天城越え」と呼ぶものと思っていて、下田から北上するルートをそう呼ぶことには若干違和感を持つ。

まあどちらでもいいことなのだが、間違いなら知識を修正しておかねば気持ちが悪い。そこら辺のことをちょっと調べる。

❒天城山が伊豆半島を南北に分断していて、古来物資の輸送は海運に依存していた。
❒東海道三島宿の三嶋大社を起点に、天城峠を越えて下田に至る十七里は下田路と呼ばれていた。
❒1857年 米国領事タウンゼント・ハリスは日米修好通商条約折衝のため下田から天城の峠を越えて江戸に向かう。
❒1905年 旧天城トンネル(正式名称:天城山隧道 446m)完成。 2001年日本初の石造り道路トンネルとして、国の重要文化財に指定。
❒1924年 駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道駿豆線)三島-修善寺開業。
❒1927年 川端康成『伊豆の踊子』発表。
❒1933年 伊東-下田間の東海岸道路開通。
❒1961年 伊豆急行 伊東-下田間開業。
❒1970年 新天城トンネル(800m)開通。

ところで我が「天城越え」の初体験は何時の頃だったか。 古いアルバムを繰ると1959年11月にそれはあった。大学二年の頃で、のちに歴史家として名を成す友人と二人で伊東からバスで下田へ。その頃伊豆急はまだ無かった。翌日の東海バスは下田-修善寺約50㎞に3時間半を要している。時速20㎞以下の超鈍足。「くねくねと曲がる悪路を走り、車酔いと戦いながら」とあるから当時の道路状況が偲ばれる。

それからは何度も家族旅行や友人とのゴルフで天城越えをしているが、何時も南下するルートばかりで、帰途は東海岸か西海岸を通って帰っている。
結局正しい「天城越え」を北上するルートであるとするならば、60年前のこの時だけということになる。
(2018.5.29)

床屋の小夜ちゃん

「そお、、、おめでと]そう言って小夜ちゃんが涙を落としたのを鏡の中にみた。
其のときこうして小夜ちゃんに頭を刈って貰うのは最後かもしれない、
とそんな気がしたのは小学校卒業の前日のこと。
生まれてすぐ、僕は東都雑司ヶ谷の鬼子母神に弟子入りしたので常に髪は短く、坊主頭がよしとされていたのですが床屋嫌いの僕は何処の床屋もてこずらせとうとう態よくことわられたそうな。
そんなとき駅前の長島女床場に居た見習い中の小夜ちゃんだけには大人しくバリカンを当てさせたらしい。
小学生になると小夜ちゃんは頭頂部を丸や三角四角に残して、僕をからかった。
アメリカ軍が進駐してからは星の形に残したりもして、大笑いしたこともあった。
昭和29年3月26日小学校卒業式前日、この日も「インデアン刈りにしたよ]うとうとしていた僕を驚かせ、おかめのよ  うな顔で一人大笑いをしていた。
その後独立し、隣町志木に店を持ったが中学に進んだ僕の足は遠のいてしまったのでした。
今思うと僕の頭にバリカンを当てたのは、虎刈り名人の父といたずら好きの小夜ちゃんだけだった。
小夜ちゃんの店は今もありますが、大好きだった小夜ちゃんは、とうの昔に黄泉の人である。

大縄跳び

休み時間や放課後は白墨程の太さの縄で縄跳びをしました。
縄は地面に当たるとピッシピッシ音がする程早く強く回されるので、僕はなかな飛び込めません。
タイミングを計ればはかる程難しく成り、いざ飛び込むと決まって足や首に引っかかり、しばしば中断され皆からは「へたくそやろう」ってな顔をされました。
使い込まれた縄は汚れに汚れ、ニッキ棒とか牛蒡のような色で当たるとかなりの痛さです。
一度、顔に受けてしまい鼻の皮をベロリとむいてしまいました。
以後怖くて大縄跳びには参加しませんでした。かといって一人の縄跳びも下手くそで縄跳び競争は転倒の連続、勿論二重飛びや三重飛び、後ろ飛びなどは全く叶いませんでした。縄跳びは苦手です

大人のユニバーサル・ファッションを考える

こんなテーマで「頼れる大人の会」4月の講演会を開催した。
AIからマジックの世界に至るまで、あらゆるルートとツテを頼って講師を探して講演会を開いてきたが、今回のテーマはオジサンたちには最も遠い世界の話しである。
会も設立して16年にもなると、自身はもとより世話役周辺の知人友人の人脈もあらかた尽きてしまい、今後はこれまで手つかずになっていたルートの開拓に挑戦せざるをえない。折も折、友人のひとりからファッション・デザイナーを紹介しようかという耳寄りな提案があった。
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ニワトリ泥ぼう

ある朝、鶏小屋から5羽の雌鶏と毎朝7.8個は生んであるはずのたまごが盗まれていた。
3日後、駅前派出所の巡査により犯人は広沢の池の観音堂をねぐらにするハニーさん達の仕業と判明したものの、鶏やたまごは彼女達の腹の中で戻ってくることはありませんでした。
それならば家で食えばよかったと父は無事だった雄鶏を絞め、隣組のみんなを呼んで鍋で宴会になりました。誰もが「美味え、うめえ!」と箸をつけていますが僕は駄目でした。だってさっきまで僕の下駄の足をチヨンチヨンと突きによってきた、可愛いやつらだっのですから。
お巡りさんによればハニーさん達は雌鶏の肉はやわらかいことを知っていて雄鶏は残していったそうです。地方出身の田舎のお姉さんが多かったから鶏を鳴き声を上げさせず盗み出す術を知っていての犯行でした。

話題のドイツ映画『女は二度決断する』を考える


原題はAUS DEM NICHTS。外国語に堪能な友人が、英訳ならFROM THE NOTHING、日本語にするなら「何もないところから」とでも言うのかなと教えてくれる。
しかしこれがどうして『女は二度決断する』になるのか。
数々の受賞をした話題作であることを承知はしていても未見だった彼からは、このNOTHINGにどういう意味が込められているのか?
映画を観てじっくり考える。それから議論しようという嬉しい答えが返ってきた。
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広沢田んぼ

ここは広沢の観音池から東に、東上線にぶつかる手前の湿地で田んぼの体裁は整えていますが、米を作っているのをみたことはありません。
上の流れは観音池の湧き水のきれいな小川でしたが、CampDrakeから流される汚水で黒く、茶色く、白く濁り異臭を放っています。
左手の建物は名高い「越戸のパンパンハウス」で六畳一間に割られた部屋が五つ六つある長屋です。
田んぼは季節を問わず子供たちの遊び場で、今日はオタマジャクシを捕りにきました。でも僕は素手でつかめません。あのヌルヌルがとても耐えられないのです。ましてや皆の様に寒天状の卵を持つことなどなおさらのことです。
駅前通りt電気店のkちゃんはこの卵を飲み込むことができ、調子に乗ると、特に女の子の前では太ったオタマジャクシまでもごっくんとやり、さらにはミミズも泥も…何でも食べたんです。
女の子みたいに優しい可愛い男の子だのにです。「癇の虫の仕業」だと言われていましたが、Kちゃんはヤモリ、おけら、芋虫も食べちゃいました。癇の虫ってどんなんだろう。

原発が地域経済に貢献は神話だった ―新潟日報社の調査報道―

「国策も時に誤るという考えに立ち、自治体もチェック機能を果たすべきだ」と主張していた新潟県知事米山隆一氏が女性問題で辞職した。東電柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な革新系知事を推進派が嵌めた?と邪推したくなるが、当否はともかく原発再稼働が喫緊の重要課題であることに違いはない。 続きを読む: 原発が地域経済に貢献は神話だった ―新潟日報社の調査報道―

安倍政権下での公文書廃棄、隠蔽、改ざん

財務省の決裁文書改ざん、防衛省の自衛隊PKO日報隠蔽、文科省の加計問題、厚労省のずさんデータ管理・・・、もううんざり。
誰がどう擁護しても“自分や妻が関係していた”のは明らかなのだから、潔く“総理も国会議員も辞め”て然るべきなのに、厚顔無恥のシンゾーはトランプの庇護をいいことに居座る気配である。 続きを読む: 安倍政権下での公文書廃棄、隠蔽、改ざん

駅前ひろば

白昼だと言うにMPのジープはライト煌々、モウモウの土煙をあげ、小砂利を弾き飛ばし横滑りする程の急ブレーキで駅前ひろばに突っ込んできた。
土煙の中から現れたのは大人たちが鬼畜と慄く(おののく)仁王様そのままのMP2人、後部座席には必ず日本人のお巡りさんが一緒だった。
ガソリン臭を吐きブルルンブルルン武者震いするジープに、子供は飛びつきチヨコレートをねだり、パンパンのお姉さんはお仕事の約束を取り付けるに一生懸命です。
普段なら威張り腐ってる巡査もMPと一緒に居るからでしょうか僕たちにもパンパンにも愛想がいいのでした。
子供たちが貰ったアメリカたばこは無言でとりあげました。そして自分のシガレットケースに詰め替え、コッソリ吸っているのを僕たちはちゃんと知っていました。

アドミュージアム東京

カレッタ汐留の中に広告とマーケテイングの博物館があることを知らなかった。サラリーマン生活を広報・宣伝部門からスタートした者としてははなはだ迂闊であった。
電通の第四代社長故吉田秀雄氏の生誕100年を記念して開館したとあるから既に20年、江戸時代から今に至る日本の広告の歴史が展示されている。 続きを読む: アドミュージアム東京

まんぢゅう屋

越戸のパンパンハウスの近くに桜の古木があり、その根方にお稲荷さんが祀られ、いつも紅白の幟がはためいています。其の先の小高い場所に同級生Wくん家、まんぢゅう屋があるのですが小売店ではなく製造卸です。
膝折の喜楽屋や駅前の銀霞堂と違い一段下の駄餅屋向け専門です。僕たちはにとっては高級品であろが無かろうが、まんぢゅうはまんぢゅうでした。 続きを読む: まんぢゅう屋