こんな時だから 東京五輪

 コロナ騒ぎを奇貨として、オリンピックを再考する気運が生まれたことは喜ばしい。
「2020東京五輪」については、11年前のコラムで「スポーツというより政治ショウ。慎太郎のパーフォマンス。これ以上の東京一極集中を進め、地方との格差を拡大することは日本のためにはならない。」と書いた。
7年前にも「経済効果何兆円、アベノミクス第4の矢。スポーツでなく政治ショウだ。」と五輪の東京招致には反対を唱えていた。
 しかし大勢には逆らえず、喜ばないのは非国民みたいなムードになってきてその後は黙っていた。そこへ今度のコロナ騒ぎである。

 沈黙していたマスメディアにも若干の変化が見られるようになった。
 曰く、『そもそも五輪はスポーツの祭典であるはずなのに、政治目的や経済効果が期待され過ぎている。』
『酷暑の炎天下に競技を行うことを変更すべきである。』(ちなみに1964年の東京五輪は10月開催。夏の開催になったのは、五輪の収益を支える米TV局NBCの夏枯れ対策のため)
 『復興五輪だと言うのなら、メインスタジアムを被災地に建設すべきで、聖火リレーを福島から始めるから復興だと言うならお笑いぐさだ。』

 世界中が新型コロナウイルス対策に追われる中、ワクチンや特効薬が実用化されない限り、来夏の開催は難しいと考えるのが常識ではなかろうか。当たり前の人間なら、巨額の公金は五輪ではなく、医療にかけるべきと考える。我々の周囲に科学的根拠がないまま「完全な形」で開催するなどと言うシンゾーの戯言を信じる者はいない。
 純粋のスポーツを楽しむためなら、各競技のワールドカップや世界選手権の方がましとの声も多い。五輪は国家主義、メダル至上主義、スポンサーの跳梁跋扈する商業主義になりすぎた。五輪でひと儲けを企む新手のビジネスの世界になり下がった。
 “アマチュアスポーツの祭典”などという古くさい五輪憲章を持ちださないまでも、その目的、機構、運営のすべてを原点から見直す必要があるのではないか。
(2020.6.30)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中