標札ドロボウ

 昭和26年(1951)、僕は小学4年生です。この秋、確か運動会のころ、町内あちこちの標札が頻繁に消えて無くなったのです。そして何よりびっくりしたのは僕たち悪ガキ共の仕業説が流れ、駅前派出所のお巡りさんは僕たちを一人一人別個に呼び付けては脅し半分に尋問を始めたのですが、僕たちでは無いのですから知らぬものは知りません。
その内、受験生の合格祈願の呪い説の噂が広がり、大学受験生のBさんに違いないと言う事になってしまったのです。この頃、中学を終え高等学校に進む人は増えてはいましたが、大学まで進もうとする人は少なく、駅前ではこのBさんしかいなかったのです。
 各家庭の標札は様々で、名刺を画鋲でとめたり、ボール紙を荷札大に切ったもの、蒲鉾の板を利用したものなどなどでしたが、消えてなくなるのはちゃんのとした縦18〜20cm横7〜8cm厚み2〜3cmほどのサクラ、ウメ、スギ、ヒノキ、ヤナギと言う材に将棋の駒みたく黒漆で盛り上げた文字の上等なやつばかりです。これらは何れもある町の判子屋に注文したものでかなり値の張るものです。
もちろん噂はB家の耳にも入らぬはずはなく、Bさんも家人も仕事をそっちのけで潔白を証明すべく犯人捜しに歩きまわったのでした。
 11月に入って二の酉の晩です。僕が浅草のおばあちゃんの家に行き、御酉様をお参りした夜のこです。Bさんは広澤観音池畔の、きのへね旅館の標札に手をかけた頰かぶりの男を目撃、派出所につきだしたのですが男は「きのへねの鉄管ビイルが美味いので飲ましてもらっただけだよ」とうそぶいていたしうですがオオバーコートのかくしから標札が出て、観念したそうです。そして驚く事になんと犯人は判子屋さんだったのです。この一年判子の注文が少なく、正月を迎えることが難しいとの事で自分で納めた値の張る標札を盗み、再注文を期待しての事だったのです。
 判子屋は正月を待たず、店をたたみ何処かに消えました。Bさんは犯人を捕まえたにもかかわらず町の人の心無い噂は「なあに、消えた標札の内いくつかは彼奴の仕業にちげえねえさぁ」「そういゃあ、Bの野郎、眼つきが良くねえなぁ」でした。
 僕ん家の標札が警察から戻って来、玄関に掛けられたのは年明け七草の日です。
「埼玉県北足立郡朝霞町大字岡字原畑1360番地 田中平輔」判子屋さんの筆文字は誰もが認める見事な手です。

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