津軽の旅━ ❷黒石のこみせ通り

町並みに沿って道路側に付けられた屋根のある通路を、越後では「がんぎ」と呼ぶ。同じものを津軽では「こみせ」と呼ぶ。
冬の吹雪、積雪、夏の日照から人を守るための木造りアーケード状の通路、それを見たかった。
そんなものを見て何になるのかと問われると困るが、藩政時代に考案された通路が、比較的しっかり残っていて、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている黒石の町並みを見たかった。
つまりはどんどん無くなる古い日本を今のうちに見ておきたいという願望でもある。

弘前駅から弘南鉄道の電車で30分、終点で下りる。ここにはかつてJNR黒石線(川部-黒石6.6㎞)が走っていたが、残念ながら乗る前に廃線になってしまった。
町の人に尋ねながら中心部にあるという「こみせ通り」を目指す。
予想に反したのは、それが整然と連なっていると思いきや、僅かに残っているという感じだったこと。端から端まで数分、数百メートルに旧家や造り酒屋など数軒。弘前城や十和田湖、三内丸山遺跡の観光客がここに来るとは考えられず、町は閑散としている。

とは言いながら、ここは元々弘前藩の支店のような存在。城址などは残っていないが城下町でもある。試飲で覗いた鳴海醸造「菊乃井」のご主人なども恰幅のいい元家老を思わせる人物だった。

ところで例の元気のいいイギリスのおばさんイザベラ・バード。彼女は『日本奥地紀行』で、明治11年(1878)8月5日から黒石に滞在している。ここが大変気に入ったらしく、三日二晩を過ごし、「黒石ねぷた」のお伽噺のような光景を見たと記している。
黒石はこんな歴史のある町であった。

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