アドミュージアム東京

カレッタ汐留の中に広告とマーケテイングの博物館があることを知らなかった。サラリーマン生活を広報・宣伝部門からスタートした者としてははなはだ迂闊であった。
電通の第四代社長故吉田秀雄氏の生誕100年を記念して開館したとあるから既に20年、江戸時代から今に至る日本の広告の歴史が展示されている。
「広告」という言葉が登場するのは明治初期であるが、館内には今日の広告のルーツをなす江戸中期の引札(今のチラシ)、錦絵(ポスター)、軒先看板、役者絵(人気タレント)などが豊富かつ見やすく展示されていて、さすがプロの仕事と感心する。当然ながら知らないことだらけで大いに勉強になった。

例えば、
福沢諭吉が自ら発刊する新聞「時事新報」に、『配布の枚数は同一にても、其の広告の効き目に至りては、新聞と引札とは天渕の相違あるものと知るべし』(1883年)と書き、新聞は身銭を切って買うのだから記事も広告も読まざるは損と思って熱心に読む。無料のチラシとは大違いと新聞広告の効用を説いているなどは面白い。

また、江戸には今で言う広告クリエータなる人物が5人いたそうだ。

平賀源内 日本で最初のコピーライター。歯磨き粉のチラシのコピーはこの世界を一変させた。
式亭三馬『浮世風呂』などの作者として名を売る一方、化粧水、売薬などの広告クリエータとして才能を見せた。
蔦屋重三郎新人作家や浮世絵師を発掘して世に出した敏腕プロデユーサ。歌麿、写楽を育てたのもこの人。
十辺舎一九文筆収入だけで生計をたてた日本の文士第一号。引札や挿絵も手掛けた。
山東京伝黄表紙、洒落本の作者にしてデザインにも才能を発揮したマルチクリエータ。
広告が時代を写す鏡であることを今更ではあるが知る良い機会になった。

1907年(明治40年)「東京勧業博覧会」のポスターに二大余興として、上野不忍池に飛び込む今で言うウオーターシュートと空中に浮かぶ大観覧車の絵。エッ!こんなころからあったの?
1915年(大正4年)今日は帝劇 明日は三越のキャッチフレーズ
1918年(大正7年) 最初のネオンが銀座に点灯
1940年(昭和15年)“ぜいたくは敵だ” のポスター、新聞広告
1946年(昭和21年)多色刷りポスターに原節子笑顔の資生堂化粧品広告登場
1951年(昭和26年)中部日本放送商業ラジオ放送開始
1953年(昭和28年)日本テレビ商業テレビ放送開始

こののち日本の高度経済成長と軌を一にして自動車、家電、化粧品、衣料品などの広告が急増、企業広告というジャンルも現れた。かつては広告屋、スペースブローカーなどとやや下に見られていた広告代理業が、今ではスポーツイベント、博覧会、コンサート、はては政治の世界まで動かす巨大な産業に成長したのは周知の事実。いま広告産業は7兆円規模の一大産業である。その経緯もここで見てとれる。普通、美術館や博物館では一時間程度の滞在が限界だが、このアドミュージアムには三時間いても飽きなかった。やっぱりこの業界には人一倍愛着があるのだ。
(2018.4.17)

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