西山聖君の挑戦

畏友西山聖君が陶磁器に関心を持ち始めたのは、いったいいつ頃なのだろうか。美濃出身の奥さんの影響か、勤務地を転々とする中で、九谷焼に出会い、或は伊万里や有田の陶器市でその魅力に取りつかれたからだろうか。
いずれにせよ我々が、ゴルフ、麻雀、カラオケに興じているころ、陶器の勉強をこつこつ始めていたらしい。
最後の勤務地大阪時代になると、休日は陶芸教室に通い、出来上がった作品を友人らに配り始めた。だが、その頃のものはやや肉厚で武骨のぐい呑みが多く、有難く頂戴はしたものの、その器で毎晩晩酌とはならなかった。

そうした彼から、サラリーマンを卒業した昨年、本格的に陶芸の道に挑戦するという便りが届いた。陶芸教室には飽き足らず、自分の窯を設置し作品を創るのだという。
趣味人西山聖君の面目躍如である。賭け事やゴルフに距離をおき、日本全国の名所旧跡、うまいもの、うまい酒に詳しく、一緒に旅をしていて、この人ほどウマの合う男はいない。
そんな高尚な趣味を持つ彼が、いよいよ本格的に陶芸を始める。他人事ながら大いに期待する。こちらの浅薄な知識は、丹波篠山辺りに登り窯を設置するのかと早とちりしたが、いくら何でもそこまではということで、自宅を作業場に大改造した西山窯の運転開始を待つことになった。

unnamed-13月某日、住宅兼作業場(工房)に改装された北千里のマンションを訪ねる。マンションはコンクリートの箱、改造は意のままなのだという。へえーそんなものかとまず感心する。
工房にはロクロが設置されていて、既に素焼きの成形品がところせましと並んでいる。ぐい呑み、徳利、小皿、こばち、ビアマグ、長方皿、片口、丼鉢、花瓶…。
サラリーマン時代の人の良さそうな面影が消えて、バンダナ、前
掛け姿はいっぱしの陶芸家風で、こちらの言葉遣いも改まる。
“センセイ などと言ったら嫌味だろうな、しかし西山君では失礼かな”。

まず簡単なレクチュアを受ける。
●ロクロは回転テーブルをまわし、粘土を成形するものである。足蹴り式、手回し式、電動式があるが、電動式でも回転が滑らかで静粛なDDモーター式を採用した。(ホホウ)

●陶器は「土もの」と言われ、粘土からできている。粘土は全国さまざまな土地で採取され名前が付けられている。その土地の成分の違いが焼き上がりの違いとして現れる。(フムフム)

●代表的粘土として、信楽の赤土・白土、美濃の志野土・もぐさ土、御影土、半磁器土などがある。そのほか焼き物産地と土地固有の粘土として、
益子土―益子焼、備前土―備前焼、萩土―萩焼、唐津土―唐津焼
朱泥土―常滑焼、磁器土―九谷焼・有田焼などが著名である。(ナルホド ナルホド)

次いでロクロを回しながらの実演に移る。観光地などで見かけることはあるが、今までとは表情の違う友人に見入る。

〇下準備として作業机の上に、粘土の塊を取り出し、まず均一の固さにならす「荒練」、粘土に入り込んでいる空気を押し出す「菊練」を行う。
〇次にロクロに粘土を乗せ指先で加工する。水をかけた粘土の塊を両方の手のひらで挟み、持ち上げたり、下げたりする。粘土の分子を均一に揃え、中心を出すためだそうだ。(土殺し)。

意外にもこれはかなりの力仕事。
まだ3月、外気は冷たいのに作業場に汗が滴り落ちる。

〇中心を出した粘土を、夏蜜柑ほどの大きさに抑えた指で印しをつける(玉どり)。そこに親指で穴をあけ、穴を広げながら両手の指で粘土を挟み、底から上へ引き上げる。この作業を何度か繰り
返し、作家の目指す作品の高さと厚みを作りだす。
〇それまではただの土の塊だったものが、魔法のように花瓶の形に成長し、コーヒーカップの原型に変身する。
やがて、納得したらしい、ウンと肯いて成形された作品の下方に糸を巻き付けてカットする。そして赤児を抱き上げるかのような、やさしい手つきでそっと切り離す。ロクロ作業はここまで。

作品の良し悪しは多分ここまでで決まりそうだ。この後、いくら高級な上薬(釉薬)をかけたとしても、素材がダメなら女の厚化粧見たいなもので世間には通用すまい。必要とされるのはセンスだ。
ここまで一連の作業工程を見て感ずるのは、意外にもこれは力仕事であると同時に非常に細やかな指使いと繊細な神経が要求されること。
優秀なプロゴルファーが腕力と下半身でボールを遠くへ飛ばし、女性を撫でるようなタッチでパッテイングするのとよく似ている。

さて、第二幕はロクロを置いた作業場から15分ほど離れた第二の工房に移る。岐阜県多治見製の電気窯(200V20A4㎾ 1,280℃)を設置するには電気容量の関係で別棟を用意しなければならなかった。そして次なる工程は、

●成形品を一日から二日、乾燥させる →余分な粘土をそぎ落とし、高台を加工して狙いの形に仕上げる →水分が抜けるまで二、三日乾燥させる →電気窯で8時間、800℃で焼成する(素焼き)
→12時間以上冷ましたのち、下絵付けをし好みの釉薬を全体にかける →1230℃で本焼きを12時間行う →18時間窯の中で自然冷却する →窯出し

●成形品をロクロから切り離してから、実に一週間の長丁場。電気窯の置かれた第二工房には泊まりこみのためのベッドも用意されていて、時には寝ずの番をすると言う。
対面した作品が気に入らず、叩き割ることもあろう。しかしまずは、釉薬の付着具合、流れを見て思い通りと判断するのか、失敗作とするのか。或は予想外の釉薬の反応にほくそ笑むのか。
作品として残すもの、他人に進呈するものがこの段階で選別されるのだろう。注文が来るまでになれば別だが、多くの趣味人は出来上がった作品の処分に困るとも聞く。
だが彼のウデはかなり上がっている。現に今使っているぐい呑みやビールジョッキは彼の作品である。

釉薬というものに、こんなに多くの種類があるとは知らなかった。ずらり並んだ棚には、「自分なりに釉薬の濃度を落ち着かせ、安定した発色を得られるよう何度も試し焼きを行う」と作業心得が貼りだされている。
その一覧表を見ると、商品ごとに、購入日付、品名、推奨濃度、測定値、燃焼温度、注意事項などがこまごまとかかれている。
もはや玄人の世界。二、三抜き書きすると

・酸化志野釉 1200~1250℃ 光沢あり 安定して焼成幅広い
・鉄赤釉   1200~1230℃ 酸化、還元ともによい
口縁が焦げ茶に変色
1230℃以上は黒ずむので注意
・飴釉    1180~1200℃ 安定して焼成幅広い

などとある。
もはや彼の顔には、会社の業績に一喜一憂し、人事に心を配る心配顔はない。これまでとは違う別の世界を歩み始めた自信と風格が漂う。
やきものの楽しみは、目で味わい、掌でめでることにあるという。 こうした高みにまで達するか否かは今後の精進次第だが、国宝級の茶碗の真贋を見極めるレベルを期待したい。(でもここまでは無理かな。)
いずれにせよ趣味の世界とは言え、広く、浅く、飽きっぽい、我が人生に比較して、ここまでやれば立派!ただただ脱帽するのみ。
田谷英浩(2017.4.15)

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