震災復興とBRT

前夜、釜石の呑兵衛横丁の居酒屋助六を訪ねた。プレハブの仮設店舗は4年前と変わらない。変わったのは女将の表情が明るくなったことと、客足が鈍くなったことか。
あの時は大震災から一年、全国から駆けつけたボランテイアと復興の工事関係者で何処も満員だった。四年経ったいま、市内には新しい店がつぎつぎ開業を始め、客にとっては選択肢が増えて喜ばしいのだが、女将たちは精神的な安定とゆとりは取り戻したものの、別の面で新たな不安を抱えることになりそうだ。
三陸の魚は相変わらずうまい。新鮮この上ないイカの刺身と好物のホヤに舌鼓を打つ。次々出される名の知らない魚も釜石の地酒“浜千鳥”と相性がよく箸は止まらない。間もなく5年の無償期間が終わって来春には市内に店を移すという。再訪を約して寒空の市内に戻る。
今回の旅の目的は鉄路による復旧を諦めた大船渡線、気仙沼線をBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)で辿ること、三陸鉄道とBRTの車窓から復興状況を見ることにある。

 三陸鉄道南リアス線36.6㎞
11月16日 釜石発9:17 206D。JNR時代に盛-吉浜間21.6㎞は乗っているので、未乗区間は三セクになって建設された釜石-吉浜間15㎞。高架線とトンネルだらけのこの線も、津波による路盤流失で運転を再開したのは3年前。
特筆すべきは三鉄の運転士。この人だけなのか、乗務員全員がこう教育されているのかは知らないが、停車するたびに客室に入り、付近の観光案内を行う。しかし自分以外の客は明らかに地元民と分かるので、いわばマンツーマンの観光案内になる。あまりの熱心さに、知っているよとは言いだしにくく、フムフムと頷かざるを得ない。吉浜湾を見渡す景色のいいところなどでは、徐行運転しながら、紺碧の海を見よと放送する。かつて高千穂線の日本一高い鉄橋として有名な高千穂橋梁の上で列車を止めた運転士もいたが、この人はそれ以来。いくら乗客が少ないといっても、これでダイヤ通り走れるのかと些か心配になる。
かつての「小石浜」が「恋し浜」になっていたが、駅名変更の効果は抜群で、ホーム上の小さな待合室は復興を祈るホタテ貝の絵馬掛け小屋になっている。その数、数千枚か数万枚、所狭しにぶら下がるサマは壮観!
運転士はゆっくり写真を撮れ、待っているという。挙句他の乗客を促してこちらとのツーショットを撮らせる。ホーム上には「幸せの鐘」などという俗っぽい代物も据えられているが、眼下に広がる三陸の海を眺めると、5年前の惨状が思い出されて厳粛な気分にさせられる。

さて三陸沿岸の鉄路の復旧は紆余曲折を経て、宮古-釜石間55.4㎞→三セク三陸鉄道、盛-気仙沼-柳津間99㎞→BRTになった。「鉄路」に郷愁を持つ高齢地元民は多いが、沿線人口の減少を考える時、嵩上げした土地に鉄路を敷直す経済合理性は無さそうだ。

 大船渡線(BRT)盛-気仙沼 43.7㎞
盛から約10㎞、線路敷を専用道化したBRTは渋滞や信号待ちもなく快走を続ける。しかしそこから先は、今次震災で最も苛酷な姿を晒した陸前高田市。流失した市の中心付近では、日本中の重機類が全部集まったかのような凄まじい土木工事が展開されている。土ぼこりを巻き上げて走り回るダンプカー、ショベルカーの群れの中で、BRTの赤いバスはとても小さな存在。
新設された仮設の役所や病院、学校、住宅の位置を求めてバスは荒野をさまよう。鉄道時代には無かった高田病院前、高田高校前、奇跡の一本松などというバスストップが設置されている。
あれから5年経ってこの有様。10年後にはどんな街が出来上がっているのだろうか。そしてそこに市民は定着するのだろうか。
高所に忽然と蜃気楼のように姿を現すのであろう陸前高田市を想像するのは難しい。

気仙沼線(BRT)気仙沼-前谷地72・8㎞
駅前からタクシーで気仙沼港に向かう。四年前、町なかに打ち上げられ放置された大型漁船を見たが、今はその姿はない。しかし復興屋台村はそのままだったし、解体を待つ無人の家々も無残な姿を晒したまま残っている。復興は緒についたばかりである。
しかも気仙沼は大都会、新しい町づくりを始めるためには既に市内に張り巡らされている上下水道など、まずインフラの撤去から始めねばならない。タクシーの運転手は、これから10年はかかるねと憮然とした表情。
海鮮丼の昼食後、14:05のBRTで前谷地に向かう。この区間の一般道は四年前に走ったが、取り残された鉄筋の建物や、湾内に破壊されたままの防潮堤、仮設住宅の店先で廻り続ける理髪店のサインに見覚えがある。
歌津を過ぎ志津川に入ると、そこは南三陸町。山を削り防潮堤を張り巡らせ、高台に町を建設中。そのサマは陸前高田市のミニ版。BRTは高台の仮設住宅を目指して急坂を上る。そこには広大な住民用の駐車場と一大商業施設。これからもここで生活することを余儀なくされた大勢の人々がいるのだ。海とも山ともつかぬ、埃っぽい高所の町で生活することのご苦労に胸が痛む。

去年、住民参加型の復興モデルと言われる女川町を見た。山を切り崩し、低地を嵩上げし、高台に宅地を整備する…ゼネコンと周辺業者を儲けさせるだけの事業のように思え、これが漁業を中心とする三陸の復興計画として正しいのかと違和感を強く覚えた。今回訪ねた陸前高田市にも南三陸町にも同じ思いを抱く。

ところで最後にBRT、外観は赤い洒落たデザインで快適さを感じさせるのだが、内部は路線バスと大差なく、気仙沼-前谷地間150分はちょっと辛い。もっとも乘り通した客は他にいなかったが。
田谷英浩(2016.12.1)

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