JR 北海道赤字路線の命運

リオ五輪と高校野球の狂騒の中で「JR夕張支線」廃止がひっそりと報じられた。

『JR北海道頑張れ!(2013.10.1)』、『廃線かJR北海道の7路線(2015.7.7)』とJR北には本コラムでも再三エールを送ってきたが、沿線人口の激減、運転本数の削減という悪循環を脱しきれず懸念された廃線が現実味を帯びてきた。
鉄道ファンとしては、国は道路の路面補修や除雪、照明などには多額の金を出しながら、鉄道には一切金を出さない。鉄道会社が一銭でも収支がマイナスになれば赤字、赤字と文句を言う。これはおかしいんじゃないかと思うのだが大勢は決しつつある。
そこで愚痴は止めにして、廃線間近の北海道三路線の思い出を綴っておくことにする。

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留萌本線 留萌―増毛間 16.7㎞
今年12月の廃止が決まった。留萌港への石炭輸送と増毛のニシン漁が賑わい「本線」を称するが、全長66.8㎞のローカル線である。
これには31年前の1985年5月に乗っている。前夜留萌泊、早朝7:22のキハ40で増毛7:51着。行き止まりの線路と片側一面だけのホームに止まっている一両のデイーゼルカー、終着駅らしい写真を撮って、8:00発の列車で慌ただしく引き返した。
名画『駅 STATION』のロケで有名になった駅前の「風待食堂」を見る時間もなかった。

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石勝線夕張支線 新夕張―夕張間 16.1㎞
2019年3月に廃止される。
夕張炭田の運炭路線であったが、炭鉱閉山後の利用者は極端に少なく、施設の老朽化もあって廃止は不可避だった。
これには25年前の1995年5月に乗った。石勝線の開業により「紅葉山」を「新夕張」と駅名変更したのだが、ホームには夕張線当時の駅名看板がそのまま残っていた。
新夕張17:07の1637D列車で夕張に向かう。山の中腹まで埋めていた炭鉱住宅はすでに撤去されて段々畑のようになっていた。

その頃の夕張は観光都市への転換を目指し、いろいろな観光施設が続々建設中であった。まさか後に財政破綻、財政再生団体に転落しようとは思っても見なかったであろう。その日は東京の一流ホテルにもひけをとらない「ホテル シューパロ」に投宿した。
夜は町に出て、以前来たことのある炉端焼き屋で呑む。名画『幸福の黄色いハンカチ』のロケで滞在していた高倉健が毎晩通って来て、そこに座っていたと女将は当時を懐かしんで涙ぐみながら話す。翌日、その黄色い旗が今でもなびくロケ地を見に行く。ああ、あのシーンはここで撮ったのか。

札沼線 北海道医療大学―新十津川間 47.6㎞
函館本線に並行して石狩川沿いを走るこの線がどんな目的で敷設されたのか知らない。しかし今では札幌駅―北海道医療大学駅間30.5㎞の沿線には学校が多数存在していて、通学・通勤路線の様相を呈しているし、一つ手前の石狩当別駅迄は電化されている。

ところがそこから50㎞先の終着駅新十津川には、最新の時刻表でも9:28着の列車と、9:40発の列車しか一日に存在しない。つまり朝出発した乗客はその日の内に列車では帰れないことになっている。こんな事があっていいのかと思うが、それくらい誰も乗らない鉄道になった。廃線やむなし。

こういう地味な路線なので、何時乗ったのか正確な記録が見当たらない。ただし乗ったのは確かで、多分札幌支店の仕事の翌日、その頃はまだ日に数本走っていた札沼線の列車で新十津川まで行ったはずだ。そして帰りに適当な時間の列車が無かったので、石狩川の道路橋を渡って函館本線の「滝川駅」まで歩いた。
距離にして3、4㎞だったので一時間くらい後には、函館本線の列車で札幌に帰った。歩いて橋を渡ったことを今でも覚えているので白昼夢ではない。全線完乗に燃えていた若い日の思い出である。
田谷英浩(2016.8.27)

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