渥美清没後二十年

昨8月4日は寅さんを演じ続けた役者渥美清の命日であった。本名田所康雄の眠る墓は新宿御苑に近い源慶寺にある。
一瞬墓参りを考えたが、最近ではやけにこうしたことに熱心な俄かファンも多く、そのひとりに見られるのも癪なので止めにした。
こちとらには47年前公開の一本目『男はつらいよ』から全48作のすべてを繰り返し劇場で見ている“正統派寅”の自負がある。
宴席では貸衣装屋から借り出した格子縞のダブルの背広、ズボン、ダボシャツ、雪駄、(不思議なことにあのカバンは同じものがウチにあった)で寅さんを演じ、カラオケでは『♪俺~がいたんじゃお嫁にゆけぬ~♫』を得意にしていた。
さらに言えば葛飾柴又の帝釈天(正式には日蓮宗・経栄山題経寺)の参詣は数限りないし、小諸市にある「こもろ寅さん会館」にも三度行っている。ファンクラブにまでは入っていないが、かなり重症の寅さん患者であることは認めてくれるだろう。涼しくなったら啖呵売でも口ずさみながら、一人静かに参ることにしたい。

さて書棚にはグラフ誌『寅さんの歩いた日本』、『寅さん完全最終本』などをはじめ、制作スタッフや評論家の著した寅さん論、渥美清論など十数冊を揃えているが、中で読売新聞社会部の編した『拝啓 渥美清様』(2000年刊)は、田所康雄=渥美清=車寅次郎という人間を多面的に観察していて貴重な資料となっている。
同書では東京板橋の志村一小時代(1936年~)の長屋住まいの貧困生活が小学校の悪童仲間によって語られ、次に売れ出したころの浅草時代、二十代後半の結核病棟での療養生活、復帰後(1956年~)の売れっ子時代、寅さんの誕生(1969年~)、そして肺癌による死(1996年)が、それぞれの時代を共にした学友、役者、制作スタッフら41人によって語られている。
再読すると渥美清=寅は誤りで、俳号を“風天”と名乗った詩人渥美清として理解するのが正しいようにも思える。

寅さんファンとしてもう少し語りたい。

全48作中、最も好きな作品は何か?

躊躇なく38作(1987年)『知床慕情』を挙げる。共演の三船敏郎の逞しい演技と20年ぶりに映画出演したという淡路恵子の達者な演技は何度見ても飽きない。
この頃になると寅さんのマドンナに抱く恋心というパターンは年齢的にやや無理が目立ち始めた。この作品では一見粗野に見える獣医(三船)がスナックのママ(淡路)に不器用に愛を告白するのだが、このシーンは全作品中の白眉とも思えるもので、知床の大自然の中で、まさに感動的なものとなった。同年のキネ旬6位にランクされたのは至極当然である。

全48作中、最も入りの良かったのはどれか?

観客動員数200万人を超えたのは14作品あるが、最多は『私の寅さん』マドンナ岸恵子、次いで『寅次郎 忘れな草』マドンナ浅丘ルリ子である。これは映画公開時の映画館の入場者数であり、多分に推定値である。興業としての映画の成功、不成功を計る尺度には興行収入があるが、48作のすべてで100万人近い観客を集め、合計8,000万人を超える人が見たというのは驚異的である。これに今でも繰り返される劇場上映、テレビ放映、DVDなどを加えたら、一体何人の日本人が寅さんを見ているのであろうか。

まだロケしなかった都府県はあるのか?

幻に終わった第49作は高知県で、と聞いたことがある。実現していたら残すは富山県のみ。いま全国の自治体は映画のロケ隊誘致に躍起だが、30、40年前も同じ事。全国の寅さん誘致運動は凄かったようだ。富山県が熱心でなかったのか、山田洋次の頭に立山や北陸の日本海のイメージがなかったのかは知らないが、寅さんが富山県でバイすることは結局無かった。
田谷英浩(2016.8.5)

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