日本脚本家連盟創立50周年シンポジウム

黒澤明の名作『生きる』のテーマは“後、75日しか生きられない男”であった。シナリオライター橋本忍の『複眼の映像』を読むと、先ずこの男の職業を決めることから仕事は始まった。テーマを支える簡単なストーリーを重ね合わせると、この男は大臣や実業家ではなく、科学者、技術者でもなく、芸術家でも会社員でもなく、強盗や人殺しの犯罪者でもなく、公務員-役所の役人に辿りついたという。黒澤、橋本、小国英雄による『生きる』のシナリオ創作はこうしてスタートした。

原作のあるものの映像化にはオリジナルものとはまた違った難しさがあるようだ。観客や視聴者は原作者だれそれ、を判断基準のひとつとして見る。余程のツウでない限り脚本家だれそれ、を見る基準にしない。従って脚本家の社会的認知度は昔から低い。
松本清張や淺田次郎のように原作の持つテーマ性を無視しないならば、脚本家は別の創作者として自由である、と考える物わかりのいい作家は少なく、特に最近では原作者と脚本家の間にはトラブルが多いという。
パネリストのひとりが指摘していたが、近時の若い書き手には
会話体主体の小説が多い。つまり「  」がやたらに登場する。そうなると映像化の際、脚本家は、てにをは を含め原作と全く同じセリフを要求されることが多いという。小説は読ませるもの、脚本はやらせるものという基本が分かっていないと嘆く。

このシンポジウムには著名な脚本家、作家、出版社、映像作家が出席していて、かなり本音ともとれる意見がぶつかり合い、非常に面白かった。
脚本家の中園ミホさんは「星新一賞に人工知能(AI)創作小説が

現れた。これは人間が登場人物の設定や話の筋を用意して、AIがそれを基に小説を自動的に生成するものである。いまAIに最も近い距離にあるのがシナリオ執筆ではなかろうか」と危機感を露わにした。
また林宏司さんは「映画に限らず、映像世界の制作委員会方式が質の劣化を招いている主要な要因である」と指摘する。
これはシナリオライターの問題というより、プロデユーサーの質を問題にしているのだが、最近のドラマ作りには広告代理店をはじめ、出資するスポンサーが十数社に膨れ上がるケースもある。そこでは各社の要求(圧力)が多岐にわたり、駆け出しのプロデユーサーやシナリオライターでは到底収拾つかなくなっているという現状指摘である。
ひと昔前の水木洋子、向田邦子、倉本聰らの大家が睨んでいた時代が終わって、ドラマの質が限りなく低下していることへの警鐘でもある。
イイノホールで開かれた脚本家連盟設立50年記念シンポジウムは端無くもドラマ作りにおける表現の自由といった今日的なテーマにも触れることになり、議論は非常に興味深いものとなった。
田谷英浩(2016.4.1)     

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