永井荷風と大黒家

荷風の日記『断腸亭日乗』には「午後浅草。アリゾナにて食事。」の記述が繰り返されるが、最晩年は「正午大黒屋。」が亡くなる十日前まで繰り返し記されている。「四月十九日。日曜日。晴。小林来話。大黒屋昼食。」という具合である。
荷風散人は昭和34年(1959年)4月29日、千葉県市川市で亡くなったが、その前日にも京成八幡駅前のこの大黒家(荷風は屋と書いている)で食事をとっている。

人間嫌い、偏屈な彼のメニューはカツ丼と上新香、それに日本酒一合と決まっていて、しかも昼飯の席にも今は81歳の女将(当時は20代)増山孝子さんが側にいることを要求したという。
浅草のアリゾナには会社の接待や仲間内のパーテイ、その他あらゆる会合で、それこそ繰り返し利用しているが、大黒家のことは聞いてはいたが行ったことはなかった。
カツ丼を食いにわざわざ市川まで行く仲間がいなかったというのが真相だが、ここにきて結婚50年、初めて世帯を持ったところが市川市の真間だったこともあり、行ってみようかの誘いに家人ものった。

お目当ての大黒家は裏通りにある小さくて汚い店を予想していたが然に非ず。荷風人気がそうさせたのであろう。小綺麗な造りの天麩羅屋。カツ丼と上新香に日本酒一合がお盆にのせられ「荷風セット」として運ばれてくる。それを目当ての客も多く平日の昼間にしては上々の賑わい。
のんべえの荷風が七勺に満たないようなこの一合徳利で終わったとは信じ難いが、女将に確認すると燗酒は一本と決めていたという。ただしこちらにはあまりに少なすぎ、もう一本、もう一本と杯を重ねることになった。
田谷英浩(2016.2.21)

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