能登から消えたもの

10月26日-28日、能登を慌ただしく往復した。とはいえ行きも帰りも北陸新幹線というような鉄道ファンの風上にもおけぬ行為はしていない。
墓参が年に一度の恒例行事になって、もう能登について書くべきことは少ないが、それでも今年特徴的だったのは、

奥能登から「塩」が消えた
揚げ浜塩田


朝ドラの人気をまざまざと見せつけられた。能登の土産を揚げ浜塩田の「塩」とやちや酒造の「前田利家公」に決めているが、肝心の「塩」が店頭から姿を消していた。
曽々木海岸の角花さんの塩田を何時ものように訪ねたが、“すまねエーな!今年売るものはもうないよ。作業は今月でおしめえにしたから、来年の夏までは出来ねえよ”とつれない返事。

角花さんは「まれ」で、塩田に海水を撒くシーンを役者に指導したこの道何十年のプロだが今は手持無沙汰。この人、来年の夏まで何をするのかしらと余計なことが気になる。
早朝車を飛ばしてやって来た、とても手ぶらでは帰れない。気は進まないが、最近海岸べりに出来た観光塩田みたいなところを覗くが、そこでさらに驚いた。明らかに観光客のお土産用とわかる塩の小袋が400円。しかもお一人様一袋までとある。
能登の海塩を期待する面々を思うと、最低でも10袋は欲しいところだが、店員は愛想なく、在庫がない一袋までと繰り返す。
舌打ちしながらもう一軒訪ねてみたが、ここでは一世帯一袋とさらに強気。まるで戦時中の配給を思わせる態度で腹立たしい。テレビの人気恐るべし。

道下村から人が消えた


限界集落を代表する我が道下村から更に人が消えた。8年前の能登半島地震で痛めつけられた村人も、すでに都会へ出ていた人たちも、過疎化の進む村にもう一度家を建て直すケースは稀である。倒壊した家は撤去され跡地は寒々とした更地になり、廃屋と化したまま手つかずの家も少なくない。黒々と瓦屋根が連なる奥能登特有の景観は消えてしまった。
門前町の人口は、昭和60年12,000人だったが、今年の5月時点では6,200人と30年間で半減した。村にただ一軒あった小さなスーパーも商売にならないと、一里離れた門前町の中心に引き上げた。高齢のお婆ちゃんたちは、買い物難民を余儀なくされている。能登から都会に出た人たちも、今では60歳、70歳の高齢世代に突入しており、かつて正月やお盆になると路上に溢れた横浜ナンバーや所沢ナンバーの車も最近めっきり減ったそうだ。
耕作地は荒れ果て、伐採されない山の木々は異様な姿を呈している。人間が1,000年かけて作り上げた村や町が大自然に還りつつある。もはや人口減少、少子高齢化社会の動きを誰も止められない。その典型を我が故郷、道下村に見る。

消えた北陸本線を三セクでたどる
北陸本線

今年3月、長野新幹線は北陸新幹線と名を変え、長野-金沢間に新幹線が走り始めた。その経済効果と金沢の街の賑わいは予想以上のようで誠に目出度いが、一方静かになるまで金沢へは行かないと決めた人も多い。来年の北海道新幹線開業で俄か人種がそちらに移動することを期待している人たちである。

さて鉄道はこうなった。
JRは新幹線に客を誘導するため、当然のように「北陸本線」を廃止した。しかし新潟、富山、石川3県を横断する北陸本線沿線住民の足を無くすわけにはいかない。JRのローカル線としてそのまま残すというテもあったろうが、JRと三県は従来の北陸本線を各県ごとにぶった切り、それぞれに第三セクターを設立した。
昨日まで一本の北陸本線だったものが3月14日からは、各県の県境までを第三セクター各社が運行する形になった。
独自の新造車両を開発した会社、JRから譲渡された車両の塗装色だけを変えた会社、内装を大幅に変えた会社とさまざまである。
発足後半年、日本海側の沿線人口は減ることがあっても増えることは無さそうである。鉄道会社として今すぐ黒字化を目指すことより、住民の利便性を確保し続けることが使命である。いずれ新駅設置とか、列車本数の増加などの要求が出てこようが、新会社はこれに応えうるか。経営合理化を理由に廃線の道を選んだ三セクも多い。そうならないことを祈る。

さて、「北朝霞→金沢」をJR各線と第三セクター各社を乗り継ぐことに要した時間は11時間、乗った列車は13本であった。

北朝霞―武蔵浦和 JR武蔵野線
武蔵浦和―大宮  JR埼京線
大宮―高崎    JR高崎線
高崎―横川    JR信越線
横川―軽井沢   JRバス
軽井沢―篠ノ井   しなの鉄道 しなの鉄道線
篠ノ井―長野   JR信越線
長野―妙高高原   しなの鉄道 北しなの線
妙高高原―直江津 えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン
直江津―市振    えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン
市振―倶利伽羅   あいの風とやま鉄道
倶利伽羅―金沢   IRいしかわ鉄道

・異色は直江津→泊のデイーゼル運転。電化区間に新造の気動車を投入している。乗務員は明確に答えなかったが、単行折り返し運転にはD車の運転コストの方が低いようだ。
・各社のテリトリ―は県境であるが、まさか河の中やトンネルの中では運転を引き継げない。そこで折り返し設備のある少し大きめの駅まで通しで走る。乗り継ぎ駅では旧来の長いホームの後部と前部を使って、別の会社の列車に乗り移る。
列車は担当区間を猛烈なスピードで走る。まるで次々とタスキを渡す駅伝走者のような感じである。

この日同好の鉄ちゃんには遭遇しなかった。この行程は彼らにもあまり魅力のあるものではなさそうである。  (2015.11.7)

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