『天災から日本史を読みなおす』磯田道史著


磯田道史

12年前、『武士の家計簿』~加賀藩御算用者の幕末維新~を著した歴史学者の最新著作である。発表当時は少壮の と称された同氏も今ではすっかり落ち着きはらった中年の顔になり、NHK/BS「英雄たちの選択」などを仕切っている。
独特の甲高い声は時として聞き苦しいが、名立たる論客たちの容易にまとまりそうにない議論を手際よく捌くウデは鮮やかで、精通する史実の幅と深さと併せいつも感心して見ている。
かつてファンであった学者、作家、役者などが次々と他界する中で、久しぶりに芽生えたファン意識である。
その彼が天災を勘定に入れて日本史を読みなおす必要があるとして、―先人に学ぶ防災―のサブタイトルのもとに本書を著した。

内容を詳述するには紙幅が足りないが、理系の研究者によって書かれた地震や津波ものでないところに値打ちがある。
「家康は天正地震に助けられ豊臣政権下でナンバー2の座を確保した。大規模な地震災害は誰がどんな国家を作るか、大きな歴史の流れにまで影響することがある。」天災という視点から数々の史料、古文書にあたった労作である。

巻末にこれから備えるべき自然の危機が三つ挙げられている。
第一:地震津波など地学的危機
第二:地球温暖化に伴って台風や集中豪雨が激化することによる風水害、高潮、土砂崩れなどの気象学的危機
第三:世界の人的交流の進展やテロの可能性が高まり、抗生物質耐性菌、インフルエンザ、出血熱などの感染症学的危機
そして9月10日、不幸にしてこの第二の危機が起こってしまった。この日、記録的な豪雨に見舞われた茨城、栃木、宮城の3県では19河川の堤防が決壊し、中でも鬼怒川が氾濫した常総市では東西4㎞、南北18㎞に及ぶ40平方㎞が浸水、住宅、店舗など2万棟が水に浸かった。いまでも避難所生活を余儀なくされている住民は気の毒にも1,000人を超えるという。

ここでまたしても腹立たしいことが起きた。それは「常総」という地名を聞いただけでは、そこが何処なのかを正確に判断できなかったことである。仮にそこが何処かを特定できたとしても、直ちにボランテイアに駆けつけるというわけではないが、この大災害の発生した街がどこら辺に位置するのかを正確に知りえないのは聊か恥ずかしい。野球好きなら甲子園の常連校「常総学院」を思い出すだろうが、それとて東関東、茨城県あたりという以外には絞り込めまい。
我々の古い常識からすれば、「常総」とは常陸の国と下総の国のことで、今では茨城県と千葉県の一部を指すと理解している。だからそこが「水海道市」と「石下村」を合併した地名と分かって驚いた。直ちに隣の下妻市に住む友人に安否確認の電話を入れた。

広域の地域名を市に被せた平成の大合併はこちらを混乱させる。
2008年の岩手・宮城内陸地震の際の「奥州市」。この市が東北の何処にあるのか、地図上に正確に示せる人は今でも多くはあるまい。
2011・3・11の「南三陸町」。これも何処にできた町なのか、分かるまでには時間を要した。
そして極め付けは2007年の能登半島地震。震源が「輪島市」と聞いて一瞬安堵したが、実は合併したばかりの我が故郷、門前町、それも道下村と分かった時は大いに慌てた。事程左様に市町村合併による安易な地名変更の罪は重い。(2015.9.26)

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