阿川弘之氏死去 -鉄道好き作家の系譜-

鉄道が登場する文学作品は数々あるが、「鉄道好き」の作家となると内田百閒(明治22年~昭和46年)と阿川弘之(大正9年~平成27年)に止めを刺す。後年現れた宮脇俊三(大正15年~平成15年)は大手出版社の編集者上がりである。

漱石門下の内田百閒は「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」の『阿房列車』で文学の世界に鉄道紀行というジャンルを確立した。

その後継者とも言うべき阿川弘之は志賀直哉系の文化勲章作家であるが、異常な乗り物好き、わけても鉄道大好き人間で、この道の先達内田百閒に対する敬意には並々ならぬものがある。
「お目にかかったことは無いが、内田百閒先生に私は敬愛の念を持っている。理由はいろいろあるけれども、その一つは百閒先生が非常な汽車好きだからで、小説家の中で汽車のことに異常な関心を持っているのは、百閒老先生を除いては、おそらく自分一人だろうという、いわばそういう親愛感である。」(『お早く御乗車ねがいます』昭和33年中央公論社刊)と密かな自信を示す。

「内田百閒先生が最初の阿房列車に筆を染められてから四半世紀の時が経ち、亡くなられてからでもすでに五年になるが、あの衣鉢を継ごうという人が誰もあらわれない。年来私はひそかに心を動かしていたが、我流汽車物語は贋作でないまでも、少しく不遜なような気がして、なかなか実行に移せなかった。
生前、お近づきは得なかったが泉下の百鬼園先生に、貴君、僕も『贋作吾輩は猫である』なる作物がある。二代目阿房列車が運転したければ、運転しても構わないよと言われているような気がしないでもない。」(『南蛮阿房列車』昭和52年新潮社刊)と使用許諾を得ないまま勝手に阿房列車を走らせはじめた。

こんな分けだから、我が貧弱な蔵書にも阿川弘之の著・訳・編になる鉄道ものが多数ある。

お早く御乗車ねがいます [昭和33年]
空旅・船旅・汽車の旅 [昭和35年]
ヨーロッパ特急  [昭和38年]
乗物万歳 [昭和52年]
南蛮阿房列車 [昭和52年]
南蛮阿房第2列車 [昭和56年]
鉄道大バザール  [昭和59年]
古きパタゴニアの急行列車  [昭和59年]
機関車・食堂車・寝台車  [昭和62年]

そして我が鉄道好き人生。
「乗り鉄」の極み阿川弘之をして、俺はもう止めたと言わしめた宮脇俊三のデビュー。その『時刻表2万キロ』(昭和53年)に衝撃を受け、触発され、以来今日まで営々と各地の鉄道を乗りに出かけている。JNR時代の全線に完乘したのは、もう昔のことだが、あいかわらず鉄道に乗って何処かへ行きたいと言う気持ちは変わらない。近年急増した俄か鉄道ファンは時として迷惑だが、こちらは年季の入った本格派。
北陸新幹線などには目もくれず、高崎線→信越線→JRバス→しなの鉄道→信越線→しなの鉄道→えちごトキめき鉄道→あいの風とやま鉄道→IRいしかわ鉄道を乗り継いで金沢まで行って来ようと思う。
百閒翁は大阪に用事はなかったが、こちらは能登で墓参がある。北陸新幹線なら2時間の行程を、新幹線の開業でバラバラにされたJR各線のドン行と新たに誕生した第三セクター6本を乗り継いで10時間かけて行く。これぞ「乗り鉄」の極み。どなたか同行しませんか。(2015.8.13)

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