喜寿

祝いの日を数え年でするか満年齢にするか議論の分かれるところだが、ともかく6月14日、満77歳を迎えた。
高齢社会の到来は我が親族にも等しくおよび、三人娘の義理の親たちも全く同じ状況にある。一昔前なら、その稀少性ゆえに大いに目出度がられた「長寿」であるが、いまや還暦、古稀は当たり前、喜寿や傘寿ですら、あまり珍しくない時世になった。
最近発表された日本老年学会の報告でも、今の75歳は10年前の65歳の体力に匹敵するとされている。「十年一昔」という熟語はもはや死語に近く、「二十年一昔」にしないと彼我の比較ができそうにない。
そんな中で娘たちの相談が聞こえてくる。“どうする?オヤブンの喜寿、やっぱりなにかしないとまずいんじゃない”“子供で忙しくて考えるヒマもない”“今の様子なら八十までは大丈夫だよ。七十七はパスできないかな。” 皆あまり積極的でない。
仲間内では、ここまで年齢を重ねられたのも家族のお蔭と、当人が子供や孫たちに感謝するパーテイを開いたという話も聞こえてくる。余計なことをしてくれる。まあ我が家でも、祝い事は来年の金婚式にまとめてしようと考えているので、今回はあまり期待しないで待つことにする。
と特別の感慨もないまま77歳を迎えたのだが、二つだけ書いておきたいことがある。
一つは「戦後70年」という言葉。改めて終戦時7歳だった頃のことを思い返す。その時どこにいたのか。どんな生活をしていたのか。父親は?母親は? 思い出せることもあるが、思い出せないことの方が多い。戦争を知る世代が少なくなり、若い世代が歴史認識もいい加減なまま日本の政治を動かす。危うい日本。
二つ目は「あれから55年」の思い。1960年の安保闘争、当時大学三年生。連日授業は休講、安保の本質を理解しないまま、毎日国会周辺へ繰り出した。樺美智子さんらが国会突入したデモ隊の後ろに立教生は参加していた。
教員免許を取得しようと板橋区の中学校で教育実習のため教壇に立ったのも55年前。それから半世紀、総領孫の芙-ちゃんが先月、音楽教師の実習生として父親の母校石巻中学の教壇に立った。
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あのあどけない少女が教壇に立つ年齢になったのだ。こっちが歳をとるわけだ。             (2015.6.19)

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