大島堅一氏講演「原発の費用と負担」

三山喬『さまよえる町』によれば、全町避難となった曝心地福島県大熊町で「原発」とは、今でも反原発の活動家しか使わないイデオロギー的な言葉なのだという。
普通の人は「発電所」か「東電」と言い、事故への憤りや不満を吐き出す時ですら、あの施設を「東電」、「発電所」と呼び、「原発」とは言わないそうだ。
1960年代後半、突如としてゴールドラッシュに見舞われた辺境の寒村では、原発への疑念や不安をあえて口にしないことが、そこで生きてゆくための処世術だった。

2月28日、『原発のコスト』で第12回大佛次郎論壇賞を受賞した大島堅一立命館大学教授の講演を放送大学文京センターで聴く。
演題は「原発の費用と負担」。
そこでは、原発のコストが高い安いより誰が払うのかが重要であることが指摘され、コストについては、立地対策費や事故対策費などの社会的コストを税金や電気料金に上乗せして国民に転嫁しているから、電力会社にとっては安いかもしれないが、国民には低廉とは言えないと、大変分かりやすいグラフ類を提示しながら、原発の不合理性を噛んで含めるように諄々と説く。

2Q==発電コスト、安全性、温暖化対策などすべての面において、原発を必要とする大義名分はほぼ消えた。日本政府はそれでも再稼働させようとする。なぜなのか。電力会社の倒産を恐れるのか、雇用の喪失が心配なのか、電力の安定供給に不安があるのか。
日本は倒産寸前の銀行を救い、JALを再建させ、夏の電力危機も乗り切ってきた。我々一般人には知りえない隠れた真の理由が存在するのであろうか。
こんな折、遠藤 典子氏の『原子力損害賠償制度の研究』が第14回大佛次郎論壇賞を受賞した。いまや損害賠償、除染、廃炉の総費用は15兆円をはるかに超える規模に拡大しているという。その巨額の損害賠償は誰がどのように負担すべきなのか。大部の研究書らしくとても買う気にはなれないが、問い合わせると図書館にはあるという。さわりだけでも読むことにする。 (2015.3.7)

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