元銀座ママからの便り

年賀状の住所が替っていた。大阪府高石市、老人ホームA。ひとり暮らしはもうムリ、いずれ妹のいる堺へ行くと聞いていたので驚きはないが、いよいよそうせざるを得なくなったようだ。
001銀座並木通りのこの店に出入りを始めたのは、たしか30歳の頃、それから25年、バブルの終焉とともに店を閉じるまで通った。
あの頃はいっぱしのサラリーマンなら、銀座に2軒や3軒、馴染の店があるのは当たり前で、接待や仲間内の飲み会によく利用した。カウンター10席くらいと4人用ボックス席3つの小体な店で、カウンターの後ろではエンジのチョッキのバーテンダーがシェーカーを振る。時には睨みをきかせて、いかがわしい客を排除する、そんな店だった。
このママの父親が物書きだったようで、そんな雰囲気の客が、ひとり静かに紫煙をくゆらし、ウイスキーを呑む、そんな光景をしばしば目撃した。
そしてこのママの素晴らしいところは、美貌と教養を併せ持ちながら、ツンとしたところが全くなく、やさしい叔母さん、親戚のお姉さんのような雰囲気を漂わせていることであった。ただ綺麗だけなら、そんな女性は掃いて捨てるほど銀座にはいたが、彼女は別格。美しい文字で請求書に短歌を添えてくる。それも深い教養を感じさせる句が多かった。連れて行った若い者にも信頼され、慕われ、いつしかファンになっている。俗に言う“夜の蝶”とは無縁の人だった。
さらにこの人は男女関係にも凛としたところがあって、客の口説きにのらなかった(ようだ)。だから店のホステスも容易に陥落しなかった(ようだ)。小なりとはいえ組織、下は上を見ている。
引退後のこの人とは年に数回、昼食を一緒にというお付き合いを続けてきたが、優れたママは優秀なカウンセラーであるとつくづく思う。毎夜のようにサラリーマンの愚痴を聞かされ、慰めてきたのだから、自然聴き上手になり、優れたアドバイザーになる。気づかなかったが、多分こちらも度々カウンセリングを受けていたのかもしれない。
昭和一桁生まれの元銀座ママがこうして去った。 (2015.2.7)

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