学校のこと町のこと、少々-2

稲穂の匂い
昭和27・小五の三月十七日、同級生K・H君が “キュウセイ チョウネンテン”で死んだ。 ぼくは組を代表して埋葬に参列した。 穴堀りおぢさんがしゃれこうべを二つ掘り上げて 手を合せ“こりゃあ じいさんのだんべえ”と小声 でいった。 体格の良いK・H君は大人用のガンバコに入れら れ皆で少しづつ土をかけた。 彼の匂いは今も覚えている。農家は家の中で 藁を焼いて台所仕事をするので、その匂いが 衣服にも染みこんで稲藁の匂いがしていたが、 ぼくはこの匂いを好んだ。秋の夕ぐれを思わせる。

停電関東配電(東電)もちょくちょく停電をみた。それを理由に宿題をさぼったが先生は必ず「停電の前に何故済ませなんだ」とゲンコツをくれた。ローソクのあかい灯がなつかしい。「ローソクを悪さするんじゃないよ!」母の声も耳にある。

大関千代の山この回は話につながりはありません。思い出したこと、少し画いてみました。大関千代の山一行が朝霞中学校へ来ました。興行を終った一行は父の営む緑ケ丘の湯へ汗を流しに来ました。ぼくと平山君は一緒に入りました。(平山君はイタリアンレストランポニーの一人息子で同級生です)

ちんちんお相撲さんのちんちんは大根位いでっかいと中学生のガキ大将に聞かされていたので千代の山のちんちんはさぞでっかいと思ってたのですが、…ぼくはがっかりしたのです。だって酒を飲むとすぐ裸踊りをする三角屋のおぢさんと少しもかわらず、逆に体がでっかいだけにつまんない位、小さくみえたのでした。これは体の大きさに比例するものでないこと、知った次第です。下ねた御免。

貸本屋駅前通りに銀霞堂と吉原肥料店にはさまれ一進堂といふ本屋がありました。母は“主婦の友”ぼくは“小学○年生”を一年生入学と同時 に毎月とっていましたが、一進堂にはまんがが少なく又、高価で買えません。そこへ全国に貸本ブームが来て、朝霞にも我家の家作に小さな貸本が出来ましたが、貧乏な店で数冊しかなく猫と薄気味の悪い人形の方が目立ちました。何故か分厚いHolyBibleが何冊も積まれてました。営団緑ヶ丘に一軒、古川さんというしもたやが貸本を始めましたが、似たりよったりでした

秋祭りお稲荷さんの広場の盆踊りが終ると 秋祭りの用意が始まります。そこここの 商店主が我家に集い、お囃子のけいこ です。笛は父が受けもち、太鼓は“おかめ”と 屋号の荒井さん。締太鼓は床屋の親父 鉦は…忘れましたが、これがみごとな祭囃子 で、皆はびっくりでした。おかめ、ひょっとこは 確か青年団の役だったと思います。舞台は 吉野肥料店と長嶋床屋の間です。 今に思えば、あの頃の商店主たちは結束 も硬く、何よりも個々が一芸を持っていたの ですね。驚くばからいです。 もちろんGIもパンパンを抱いてみています。 “オオ、ファンタスティック”そしてぼく達も 口まねする。 “おお はんたす てっく”

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