富士見商店街(中)

長靴は仲間の証広場に集まる子供達です。長靴を履いているのは中学生のガキ大将ですが、洟をたらしてるんです。長靴は仲間の証。ある種のファッションです。何となく小汚い服装ですがこの中に3人お姉さんが特定の米兵のオンリーさんの子がいます。分かりますか?少々さっぱりとしてるんですが。

変電所ここは変電所、屋上は僕達の遊び場でした。それに並んで駅の社宅が建ちます。桜も満開です。ここは駅にも近く草地で夜は真っ暗になるのでパンパンの仕事場に利用され、子供達が遊ぶ朝になると使わえれたコンドームがたくさん落ちていて子供達はそれを”風船あそび”といい、ふくらませて遊びました。誰も汚いととか思っていなかったんです。右手隅にある風呂桶は広沢の池にたむろするパンパンに盗まれる風呂桶です。それも我家のリヤカーに乗せてのこと。もちろん桶は彼女らの風呂になりリヤカーは売られてしまったのです。

うまとび男の子はうまけり、うまとびを遊びます。ぼくはこの遊びが嫌いです、前の人の股に頭をつっこみますが、そのお尻がほこり臭く中にはうんち臭い奴もいたんですから。

竹うま竹うまは誰もが自分で作りました。中学生位になると自分の背丈より高い馬を乗りまわしました。上手になると走ることも出来ます。大抵は裸足で乗り竹を足の親指と代二指でしっかり挟んでましたから可能なのです。

ミッちゃん女ターザンと呼ばれた高野のミッちゃんは男の子の遊びは何でもやりました。それがまた上手でメンコ、ビー玉、ベーごま、まで常に負けるぼくの代わりに仕返しといってガキ大将から取り返してくれました。ミッちゃんはぼくより4才上のお姉さんです。チャンバラも男の子に混じってとってもかっこよかったんです。

紙芝居の太鼓紙芝居の太鼓のおぢちゃん高野さんは女ターザンみっちゃんのお父さんです。だみ声の紙芝居で少女の声色をやるんですから子供達は大笑いです。他に二人くる紙芝居は水飴を買わない子等は”ダメ”といって見せてくれませんが高野さんは皆に、おいでおいで、してくれました。ちなみに水飴は平均5円で求めますが、中には2円の子もいますし、中学のガキ大将は10円20円と買いました。ぼくはいつも5円です。高野さんがやさしいのは自分も7人の子持ちだったからでしょうか。

マスコットボーイある日広場に私服の米兵につれられ米兵と全く同じ服装のマスコットボーイが”僕も仲間に入れておくれよ”と現れました。ぼく達は言葉づかいで東京の子とすぐわかります。僕達には”おくれ”なんて言葉はありません。”くんな”です。真っ白なTシャツに新しいジーンズ。スリッポンの赤い靴。胸には茶色い袋にクッキー、チョコ、ガムがつまっていて、ぼく達に分けてくれたんです。その日彼は夕方まで一緒にかけずりまわって…あとのことは忘れましたがこの子、戦争孤児でマスコットボーイとは男色米兵のおもちゃだったのです。この子の後のこと否として知れません。

交歓の場、稲荷広場稲荷広場は建つ町内会館は荒れ放題で夜はパンパンと米兵の交歓の場として利用されますが、昼間と何かの催し物がある時はぼく達のものです。これは初午の宵宮、青年団は酒盛りをし、中学生のガキ大将もまじってHな話(当時は助平な話という)をして笑いころげます。小学生のぼく達は町内会の用意したお菓子をいただいてとっとと追っ払われました。中学生の女子も参加しますが男たちにパンパンごっこを強いられ泣いて帰りました。中央におしりを半分出して立つのは”半ペタお冷”とよばれた乞食です。”半ぺた”は尻っぺた半分”お冷”はお冷ごはんでもいいからくんな、と家中を廻ることからです。

ランドマーク当時のランドマークは”火の見”と呼んだ櫓。その上を飛ぶ軽飛行機がビラをまいてます。ビラは駅前商店街の内、岡田屋雑貨店開業75週年記念感謝大廉売のくじは宣伝もの、町中の田畑に大量に撒かれ子供達、否、大人までもかけずりまわり拾い集めました。景品は何であったか記憶の外ですが「こんな芸当できるのはさすが岡田屋さんよ」としばらくは町中この話で持ちきりでした。

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