続・読売vs朝日

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6月5日付の本稿で、三か月後に両紙の比較を論評すると大見得を切った。はなはだ気は重いが何かを書かねばならない。
しかし両紙の立ち位置については巷間すでに評価は定まっていて、与党系の人に野党の理を唱えても、その反対のケースでも、投票行動すら変わらないのと同じで、拡販以外の要素で新聞は変わらないことをこの三か月で実感した。
ただし少数派には、我が房総(暴走)老人会K氏のように『これまで数紙を取ってきたが、最近になって俺の主張にピッタリ、これこそ俺の意見だという新聞に辿りついた』という人もいる。
それがサンケイなのである。こうなると生活心情からから来るものか、歴史観が違うのか、世界観なのか、朝日派とは大いに違ってくるが、友情を壊さないために“呑むときは政治の話しはしない”という協定を結んでいる。
これなんかは稀な例かもしれないが、もの心ついた時分から、“うちは朝日だった”“読売だった”という要素が新聞を決めている最大の理由のように思え、その後の生活環境の激変とか、人生哲学・理念を変えざるを得ないような局面に直面しない限り、多くの人は、一度取った購読紙を変えていないように思う。

マスコミ、とりわけ新聞による意識形成の大きさは自明であるので、そうするといま圧倒的な発行部数を持つ読売、朝日両紙の論調が長い時間をかけて国民の意識に刷り込まれ、体制派と体制批判派を生み出してきたといえる。
欧米の新聞のように、発行部数を競わず、与党系、野党系を鮮明に打ち出す時期に日本も来ているのではないか。数年前の民主党政権の誕生をこぞって切望し、あげく全紙で叩きのめすというのは論外だが、読売は既に、「権力を監視する」というマスコミ本来の役割を放棄し、今や安倍政権の応援団になっている。
日本にはいま憲法問題、安全保障問題、原発問題、農業問題 財政問題、人口問題など声高に論じられるべき課題が山積している。他紙は中立を保つという従来の曖昧な姿勢を止めて、堂々と自説を主張すべきではないか。
原発について言えば読売、サンケイは再稼働についても、輸出についても明確にGOサインを出している。
他紙はひるむことなく、原発廃棄物処理の膨大な具体策に取り組むと同時に、自然エネルギーを主体とする新しい日本の国造り案を主張し、それを明確に展開すべきである。
今のままでは原子力科学者も政府関係者も自治体も、基本問題から目をそらし、負の遺産を将来に送るだけで躍起になっている。これでは日本に将来は無い。

現役当時、新聞の発行部数に非常な関心があった。新聞に出す広告料のコストをはじくためである。仮に100万部発行している新聞に前頁(一面)広告を出すとする。そしてその広告料が100万円だと仮定すると、新聞一紙当りの広告料は1円になる。
日本新聞協会にはABC協会という公的機関があって発行部数を管理している。しかしどうも最近怪しいらしい。つまり「発行部数」には、文字通りの発行部数と販売部数と配達部数の三種があるのだという。よく「押し紙」という言葉を耳にするが、これが曲者。大量の景品を付けて期間限定で拡販する、タダでもいいのだそうだ。現実にそんな人を知っているが、それを各紙ともやっているというのだから恐れ入る。
ネット上には「毎朝、配達部数を2、3割超える新聞が届く。週末にはトラックを用意して古紙として廃却する」という販売店主の声もある。発行部数がいい加減ということは、スポンサーサイドは詐欺にあっていることに等しい。従軍慰安婦、両吉田証言をめぐる異常とも思える朝日タタキの裏側には熾烈な販売競争の側面があることも否定できない。      (2014.9.10)

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