編集者の役割とはなにか

名編集長と言われた「中央公論」の粕谷一希氏、「群像」の大久保房男氏が相次いで亡くなった。
駄文書きの端くれとして、両氏の名前は知っている。書棚から『作家が死ぬと時代が変わる』(粕谷一希)、『終戦後文壇見聞記』(大久保房男)を引っ張り出し再読する。
粕谷氏は中央公論が言論界に大きな影響力を持った時期の編集者だけに作家、学者、政治家らとの交流は広く、この本一冊で戦後日本の論壇、文壇、学界の勢力図が理解できる。
特に思想的対立が鮮明な昭和三十年代、天皇制批判をよく載せた「中央公論」に対し、皇室記事で部数を伸ばした「文芸春秋」の対比などは、今に至る文春ジャーナリズム、新潮ジャーナリズム誕生に繋がるもので面白い。

一方、大久保房男氏は講談社が左翼から戦犯出版社と言われたころ創刊された「群像」の編集者。“私たちの先輩文学者が日本の大きな力によって弾圧され、殺された者もいる。その大きな力を背景にして講談社は大きくなった。だから講談社の屋根のあるものには一切書かない”。こういう作家がいたことを知る。
作家や文士がいかに戦争責任論やマルクス主義と対峙したか。その中で「群像」の果たした役割はなんであったか。
こうした文学史もさることながら、“鬼の大久保”と呼ばれた編集長だけあって、意外なゴシップめいた話も披露する。
<吉川英治より活字が小さいのが嫌で連載を止めた伊藤整>
<丹羽文雄より下じゃだめだよと稿料の念押しする船橋聖一>
などなど。
(2014.8.12)

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