道東を歩く

doto_mapちょうどひと月まえ、道東を歩いた。でもこのタイトルは誤解を生みそうである。「道東」の明確な定義を知らないが、釧路と網走を結んだ東側あたりを指し、その中には阿寒湖も知床も含まれる。そんな広大な大地をたった数日で歩けるわけもなく、十数キロの「道東散歩」と言ったほうが正しい。
しかし北海道のこんなに長い距離を歩いたのは初めてで、そこで見たもの、聞いたことを書きたくてこんなタイトルをつけてみた。
それに理由がもう一つある。それは名文家の友人・野瀬隆平氏が、この数週間後にほぼ同じ行程を旅したことを知ったことである。いずれ送られてくるに違いない敵方のタイトルと巧みなエッセイを想像すると、いくら気取っても勝負は明白で、それならこちらはいっそシンプルなものにしようとしたのである。
お互いの小文を見せ合い、首尾を披露し一献するのも自明で、それを意識するあまり、少しでも巧いものを書こうと普通ならすぐに取り掛かるのも延び延びなってしまった。
その上さらに言うならば、このタイトルは真実を伝えていない。彼の主目的が「知床を海から撮る」ことにあったろうと推測できるのに対し、こちらはただ「根室本線に乗る」ことだけである。OBペン風に言えば『鉄路のぜいたく―根室本線に乗る』とすべきでレベルが違う。
ところで帰ってからひと月、机に向って思い出すのは「鉄道」より「歩いた」ことの思いの強さである。我ながら自身の健脚を見直し、仲間に吹聴したくなるほどのものであった。従って本稿は異例ながら行程を追わず、想い出を順に綴ることにする。

Hemerocallis_dumortieri_Kiritappu_wetland01■霧多布湿原
釧路湿原3万ha、日本最大の湿原。17年前一緒にドライブした三女奈津子(現在40歳、二人の息子の母)は『霧雨で見通し悪く何も見えなかった。次は夏か冬に来て湿原の中を散歩して自然の姿、動物や草花をじっくり見たい。』と展望台からの印象を記している。幸いいま霧はない。一周2.5kmの木道の遊歩道を歩く。しかし「ヒグマ出没注意!」の看板にギョッとし展望台に引き返し鈴を借りる。受付カウンターには「熊よけの鈴、貸し出します」とちゃんと書いてあるから、出るかも知れないのだ。ベルトにベルを括り付けてチャリンチャリンと鳴らしながら歩く。追い越す人にも、すれ違う人にもこれが挨拶代わり。“見掛けませんでしたか”“いや出ませんね”あまり本気にしている人はいなかったが、野生動物の人里への出没は近年増えつつある。ここに出ても不思議は無い。遊歩道の半ば、北斗展望台に立つ。乳白色の霧が漂い肌寒い。しかし一瞬はっきりと湿原の全容を見せることがある。人跡がまったくなく自然が原始のままの姿で広がっている。釧路川の蛇行や釧網本線のレールを見届けることはできなかったが、大いに満足する。
霧多布湿原花のシーズンには湿原を埋め尽くすという日光キスゲに似たエゾカンゾウやヒオウギアヤメ、クロユリがいまはまだチラホラ。湿原内に敷かれた木道を行きつ戻りつ観察する。
クロユリは恋の花♪♪…ヒトには聞こえない程度に歌っていたら、管理人らしきオジサンが“何処から”と聞いてくる。“東京から”“東京の人はダメだ。いぜんクロユリの群生しているところを教えたら根こそぎ持って行かれた”“俺がそんな風に見える?”というような会話をする。
ついで浜中湾を左に見ながら海沿いの山道を黙々と歩く。浜中の町並みや霧多布大橋がぐんぐん足下の風景になり、ややばて気味になった二時間後、待望の琵琶瀬展望台に到達する。前方は広漠とした湿原の中を雄大に蛇行する琵琶瀬川、振り返ると遮るもののない太平洋の一大パノラマ。汗も一挙に引く。そこで一時間後に来るバスをのんびり待つ。まさに寅さんの世界。

■昆布
道東はこの数日が昆布の収穫期だったようで、いたるところで昆布の天日干しが見られた。自宅の庭、駐車場、道路、横丁、公園…まさに足の踏み場も無いような感じで、一家総出、時には人を借りてもと思われるような人数で、いま海から引揚げてきたばかりの昆布を拡げている。
しかし納沙布周辺で見たものと、霧多布周辺で見たものとは長さ、幅、大きさで随分違う印象を受けた。忙しく立ち働く人に話しかけることは憚られたが、断りを入れて写真を撮る。こんな作業をしげしげと見に来る観光客はいないようで、“何処から来た?”と話しかけてくる漁民もいる。
“突然雨が降ったら?”どうやら長い経験で、今日明日、雨は絶対に降らないと確信出来ているようで、万一そうなったらみんなで小屋へ運び込むサとのこと。乾燥した後は「歯舞漁協」へ持って行く、そこでブランドが付けられ商品になる。そこから先の流通ルートにはあまり関心が無さそうで、何処で、幾らで売られているかは知らない様子。
町中、無造作に放り出されたような昆布でいっぱいだが、しかしあくまで商品の製造工程の一部、やたらに手を出し難いがスキを見て端を齧る。ヌルヌルとして気色悪いがしょっぱくて結構美味かった。

■湯沸岬
湯沸岬前述の奈津子の記録、『パパは数年前、ママとここにチャリで来たそうだ。すごいな。しかしここは観光地ではないようなところだ。すっごいサビれていて自然がそのまま残っている。いいなあ。眺めが素晴らしい。でもここが今までの中で一番寒いぞ。手がかじかんじゃったよ。』別名霧多布岬、この日は快晴無風、道東らしい霧もなく、太平洋に突出た半島の断崖が美しい。名前に魅せられて二度来たことになる。
花咲岬根室交通の市内バスを車石入口で降り、花咲灯台を目指して一時間歩く。行き交う人にもクルマにすら出会わない。時折、道端からブーンという機械音と生臭い空気が流れてくる。察するに昆布を加工しているのだろう。
Nemuro_kurumaishi_01「車石」は根室の観光名所のひとつで、国の天然記念物にもなっている柱状節理の岩で、直径6mもある巨大な車輪のような形をしている。奈津子は『花咲岬の車石を見る。』としか書いてないので、あまり感激は無かったようだ。地元の人は3・11でこの付近の水位は2、3m上がったという。以前見た記憶と比べると、たしかに少し崩れた印象を受けた。
灯台に向う小径で子供に声を掛けられた。“あつ!きのうの小父さんダ”“エツ?どこで”直ぐに思い出せないのはトシのせい。
熊よけの鈴を鳴らしながら歩いていた時、男の子二人を連れた若い夫婦と立ち話をした。その時の子。“学校は?”“休んじゃった”“これから何処へ”親が答える。“午前中は納沙布に行ってきました。これから霧多布へ行きます。”同じようなルートを廻ってるんですね。お元気で。“札幌の人らしいが、自分の休みを利用して子供に北海道を見せて歩いているようだ。こんな健全な若い親がもっともっと増えることを望まずにはいられない。

■納沙布岬
22回目の北海道、4度目の納沙布。最初に来たのは44年前の1969年。その時も今も変わらないのは「返せ!北方領土」の看板。あいにく濃い霧が立ち込め、島々は見えないが日本最東端の地にいることは確認できる。
17年前の奈津子の記述。『水晶島がはっきり見えてパパも吃驚。こんなに近いんだから北方領土返還への思いは強いだろう。遠眼鏡で見たら水晶島の前にソ連らしき軍艦がちゃんと待機していた。パパが5年前にママと蟹ラーメンを食べた店があって、そこのオヤジさんがパパを覚えていた…。』
多分ここだったろうと覗き込んだ食堂兼土産物屋に人の気配あり。20年も前の話だがと、恐る恐る問いかける。
“多分それは俺のオヤジですよ。去年死にました。”とのこと。風雪に耐えた漁師のような顔をした人だった。その時の写真を持ってこなかったことを悔いながら、息子らしき人物と話をする。この日の気温は12°C。予想を超える寒さで薄着では震え上がる。
襟裳岬も宗谷岬も積丹岬にも行ったことがあるが、北海道の岬では断然ここがいい。最果てムードというより最果てそのもので、隣はロシア。有名観光地からは遠く、人がいないのもいい。人込みの中で暮らす都会人にとっては真逆の世界で、この寂しい雰囲気、光景が贅沢にすら感じられる。

Hanasaki_light_house■花咲岬
6月半ばの北海道はまだ寒く、長時間岬の突端に佇むことを許してくれない。次のバスにはまだ時間があるが、惜しみながら花咲岬を後にする。歩きながら考える。さっき乗ってきたバスの行き先はたしか「花咲港中央」だった。それなら途中のバス停で震えながら待つより、始発のバス停まで行ってみよう。時間はありそうだ。もっともそれを逃したら、二時間後になってしまうが、まさかそうはなるまい。そう考えて断崖の下の花咲港を目指して坂を下りた。
はたせるかな30分後、ここがバス道路に違いないと思われる町中の一本道に出た。しかし周囲を見渡しても人の気配が無い。弱ったなあ、もたもたしていると乗り遅れるかもしれない。少し焦り出した頃、横丁に頬かむりのおばさんを発見する。どうやら自宅の前庭に水でも撒こうとしているらしい。
“ちょっと教えてください。花咲中央ってバス停はどこら辺でしょうか?”車社会の北海道では、バスが走っていることは知っていても、バス停の正確な位置や停留所名を知らない人もいるようで、まさにそのケース。“お父さーん、あんた分る?”と庭の奥に声をかけた。ここからが今回のハイライトである。
こちらの意図を知った花咲港の岸壁間際に住む老夫妻(A夫妻と呼ぶ)はサンマの大漁でもない限り、滅多に知らない顔が町内をうろつくことは無いと確信しているようで、“バスなんかやめて、まあ上がってお茶でも飲んで行けや。泊まりはどこ?ああそこなら私らが送ってやる。”“いやーそんな。見ず知らずの人の家に上がり込ん
でお茶を頂いた上に、ホテルまで送ってもらうなんて、とても受けられませんよ。”と辞退するのだが許してくれない。
押し問答を繰り返している内に、バスの時間が迫ってくる。腕時計にチラチラ目をやるが、もう断りきれなくなって好意に甘える事にする。
さてAさんは、こんなところをうろついている目的を知って“根室が好きで、何回も来てくれているなんて有難いこっちゃ”と話しは次第に盛り上がり、ホテルに行くにはまだ早いからと、ワゴン車の助手席に座らせ、花咲港のすみずみ、根室港のすみずみ、金刀比羅神社などを詳しい解説つきで案内してくれることになった。
奥方は後部座席から身を乗り出し、そこを右へ、左へとダンナに命令する。(どこの家でも一緒だな)“いやーこんな事になり申し訳ありません”と何度も礼を言うが、Aさん夫妻は最近他人と口をきく機会が少なかったようで、絶好の機会と極めて冗舌で、よく来てくれたと上機嫌。
お陰でかつて日本の中古車が大量にソ連に運び出されていたのが花咲港であったこと、その頃の集積場がここだと、そこまで行ってくれる。中古車を運ぶソ連船がこれまた酷く古いボロ船で、よく沈まなかったものだと噂しあったことなど話し続ける。
さらに8月の「ねむろ金刀比羅神社例大祭」は北海道の三大祭で、神社は高田屋嘉兵衛が建立したものであること、さんまは花咲蟹と並ぶ花咲の自慢で、9月の「さんま祭」はとても盛大であることを知る。
ところで、その「さんま祭」に来ないか、とまるで古くからの友人のような誘いも受けたが、これには軽々しく返答できず。
道を尋ねてから、約二時間。主導権を取っていた奥方から運転手になったダンナに“マーこんなところネ”と市内案内の終了が告げられる。“いやーなんとお礼を言っていいやら。
ご迷惑ついでに、今夜美味いものを安く食わせる店を教えてくれませんか”“そんならあそこだナ、カアちゃん”と最期はダンナがイニシアテイブを回復して、繁華街緑町「すしもと」の来歴を話してくれたあと、店の前まで連れて行ってくれる。“ここですね。分りました。ホテルに帰って荷物を置いて出直します。”
ホテルの前でお別れの挨拶をする。“お世話になりました。ご親切は生涯忘れません。せめてお名前をお聞かせください。” “イヤー名前なんていいよ。こんな遠くまで来てくれて有難う。じゃ元気でネ。”後ろの席にいた奥方を助手席に移して、サアーっと行ってしまった。しばし呆然。こんなことってあるんだろうか。嘘みたいな本当の話し。もし今夜の宿がまだ決まっていないとでも言ったら、間違いなく確実に“泊まって行け”となったに違いない。画竜点睛を欠くというか、今になっても遣り残したことがあるような心残りが何時までも続いている。A夫妻有難う!

JRH_Kiha54_524根室本線
2ヶ月前の拙稿で「もう一度乗りたい」NO1に釧路・根室間をあげた。誰からも咎められることはないが、宣言した以上実行したい。オホーツク沿いに頓別原野を稚内に向けてひたすら走る天北線も、日本海にえんえんと付き合う羽幌線も、最も思いで深い深名線もとうの昔に無くなり、北海道ではこの釧路・根室間と函館本線の小樽・長万部間がこれからも乗りたい路線として残った。
6月19日 釧路発8時15分根室行5629D各停、キハ54単行。これから135.4kmを2時間25分で走る。表定速度56km、かなり速い。平均駅間距離6.8km、最長10kmである。
根室までの間に町らしきは牡蠣の厚岸のみで、車窓に展開するのはサイロの点在する牧草地とエゾマツやトドマツばかりの原生林、熊笹に覆われた丘陵地だけである。まずそこがいい。
わざわざやって来たのに、座席に座って車窓を横に流れる風景を追っているのは愚の骨頂、ワンマン運転手の脇に陣取って前方に展開する「道東」に目を凝らす。
「運転中は話しかけないで下さい」と運転席の後部に貼り紙があるが、人の良さそうな中年の運転手は自分から話しかけてくる。最近とみに増えた高齢の鉄道ファンの一人とでも思ったのか。こっちは筋金入り、フムフムと肯く。
エゾシカの出没が多く、JR北海道では年間1,000頭くらいの接触事故や犠牲があるという。踏切りも無いのに、よく警笛を鳴らすと思っていたが、これは線路脇にチラッと見かけるシカを追い払うためであった。シカは群れで移動するため、一頭だけということは無く、しばしば停車を余儀なくされるとか。確かに帰りの5638Dの運転手は、警笛を鳴らさず、駅でもないところで加減速を繰り返していた。
北海道ならではの光景、というよりここが本場なのだ。やがて少し町らしい厚岸を発車すると、右手に厚岸湖、その先は樹林、湿原、細い流れの繰返し。そして厚床に着く。
44年前、ここから標津線に乗換えた写真がアルバムにあるが、ここが主要な分岐駅であったとか、並んで列車を待った駅だったとかの面影は全く無い。ただの寂れ果てた無人駅。あの頃の賑わいはどこへ行ったのか。どうしてこれほどまでに過疎化が進んだのだろうか。
不毛地帯はまだ続く。そして突然右側が開け海蝕崖の上に出る。ここから根室までは海や港を見下ろすように台地の上を走る。落石、昆布森、花咲、魅力的な駅名が続く。そして日本最東端の駅「東根室」を過ぎると数分で終着「根室駅」。
数人の客と外へ出る。駅前広場のイメージはなく、市内行きのバスターミナルがひっそりと立つだけ。根室の繁華街は坂を下った港近くにある。そこまで行けば若干の賑わいも感じられようが、平日の11時、駅前には客待ちのタクシーが数台、所在なげに並ぶだけであった。

Nusamai_Bridge_at_night■釧路の夜
ホッケの開きを美味いと思ったのはその時からだった。ホッケが美味いなどと言うと、戦後の配給で酷い目にあっているオフクロなどは、露骨に嫌な顔をして、あんな肥料にしていたようなもののどこがいいのと軽蔑していた。しかしもう20年も前になるが、釧路の居酒屋で焼き上がったばかりの大ぶりなホッケに醤油をたっぷりかけて食べたことがある。美味かった。このとき以来、北海道へ来るとホッケが定番になっていた。だから今回もそんな店を探そうと、幣舞橋界隈の赤提灯をうろついたが適当なところが無く、結局ホテルがここなら安いし、地元の客ばかりで安心と推奨してくれた「ちゃりんこ」という店に入り込む。
店名はヘンだが、店内に張り出された品書きは聞いた事のない魚ばかりで期待が膨らむ。調子の良さそうな若い店主が何にしましょうかとこちらの顔をのぞきこむ。調子の良さなら負けられない。“俺は東京から今、着いた。この店がぜひ食わせたいと思うものを全部出してくれ”。
全部と言ったって、一品350円から500円くらい。カウンターに次々と並べられるが確かにどれも美味い。満員の店内の喧騒と店主のあまりの調子の良さにあわせたため、何を食べたのかさっぱり覚えが無いのは今となっては残念である。
これに比べると「根室の夜」ははっきりに覚えている。“ある人の紹介を受けてきた!”とのっけから高飛車な調子で「すしもと」に入り込む。奥は白木のカウンター、左右に四人用の個室が四つほど。注文取りもそこそこに、紹介してくれたのは一体誰だろうと、オヤジも女将さんも、アルバイトも額を集める。人物、年恰好、元市の職員らしい、岸壁の前の理髪店の横のウチ、こちらのヒントで店側はAさんが誰かを特定できたようだ。”今度来たらお礼を言っておいてください。お名前も仰らないので困っていました。“”大丈夫、あの人です。ところで何を?“
今が食べごろというホヤの刺身を二人前頼む。独特の苦味にさすが本場と感激する。“鹿肉ってのもいいが、まさか線路で轢かれた肉じゃないでしょうね”“ご冗談を”。無駄口を叩いているところへ、いきなりひとりの若衆が飛び込んできた。“いま揚がったばかりの鱒だ。こんなデカイの俺も初めてだ。”と興奮している。どれどれと見せてもらう。なるほど凄い大きさ、鮭以上。“お客さんも食ってくれ”とご相伴に預かる。またしても根室の人情に触れた。有難う根室、また来るぜ!
(2013.7.20)

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