散骨

自然葬という言葉が「広辞苑」に収録されたのは、1998年の第5版からで、概念としては理解されていても、一般的な日本語になったのはまだ新しい。
しかし都市化や核家族化、少子化により家系を重んずる墓の管理体制が維持できなくなっていること、葬儀、戒名、墓と経済的負担が大きいことから自然葬を望む風潮が強くなってきたのも事実のようである。
仏教には敬意を抱くが、形骸化した仏教式葬儀の慣習や葬送の現状に疑問を持つ人も増えつつあるようだ。
こんな中、とうとう我が親戚筋にもこれを実行する家族が現れた。義弟の島村正博君。ご母堂 きよさん95歳の訃報は翌日に受けていたが、従来のような葬儀は行わず散骨するという。一瞬エッと思ったが、彼と彼の家族の生き方、考え方を知っているので、それもありうると納得した。
そして後日、彼の流儀に従いお花と故人の好物だった煎餅をもって弔問に訪れ、そこで海洋散骨を決意した理由を聞いた。
「親父は昭和19年、バシー海峡で戦死した。墓は千葉にあるが、実は何も入っていない。母親とは短い結婚生活であった。遺骨を台湾からフィリピンに流れる黒潮に乗せて親父の元へ届けるのがせめてもの供養だと考える。春休みを利用して、孫を連れて一家で沖縄・波照間島に向かい、漁船をチャーターして沖合で散骨する。」非常に説得力のある話で肯くのみ(合掌)。
さらに詳細に聞くと海洋散骨専門の業者が既にいて、航空機の手配から、漁船の手配、散骨時には個人の好きだった音楽を流すことまでやるそうだ。
ネットで検索してみると、ウチのほうが安いみたいな価格競争がすでに始まっている印象も受ける。世の中変われば変わるものだ。さっそく新し物好き、慌て者の自分は “俺は能登沖にしてくれ ”と家人に伝えたがフンと無視される。ただし今回の例では、並みの葬儀以上に費用のかかるのは明白で、自然葬を低コストに結び付けるには若干無理がありそうだ。
昨日の新聞によれば『葬』島田裕巳著なる新刊が出たとある。そこでは合法でありつつ、これ以上の低コスト化は無理という究極の遺骨処理方法が提案されているという。すぐにも購入し検討を始めよう。

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