基地に忍び込んで、米兵の靴磨きやベッドメイクをした

yamashita
山下正勝さん PX勤務(当時)、不動産業 1932年 昭和7年生まれ
聞き取り日2013年 平成25年11月18日

子どもなりに働いた
私と兄は朝には基地に忍び込んで、米兵の靴磨きやベットメイクをして小銭を稼いだ。見回りのMP(憲兵)はめったに姿を見せず、万一見つかったとしても叱られる程度で済んだ。子供には寛容だった。煙草の吸殻を拾い集めて、父に渡していた。父は煙草をほぐして、紙に巻き、知人に配ったり、売ったりしてた。拾った煙草はポケットに入れるが、あるとき火がついたままなのを気付かずにポケットに入れて、煙がもうもうと上がってびっくりしたことがあった。
朝鮮戦争に派遣されてきた米兵たち
新しく派兵されてきた米兵はキャンプに一週間ほど留まって、戦場である朝鮮に出征した。来るときは私服で、出るときは軍服。荷物は宿舎に置いていった。夜になると、日本人が盗みに入った。金網の下は開いているし荷物は廊下にほうりっぱなしだし、米軍は見張りもつけない。半ば公認のようなものだった。靴や服は大きすぎてサイズが合わないが、毛布やコートは貴重品だった。要らないものを日本人に配る米兵が大勢いた。仲良くなって、バイクをもらった人もいた。私と兄はウイスキーの小瓶を服に忍ばせ、金網ごしに彼らに売った。180円のトリスのポケット瓶が1ドルと交換できた。米兵は外出禁止で酒が手に入らなかったのだ。小瓶がほどよいサイズで好まれた。金網の近辺に住む人達は、みなそのようなことをやっていた。
死体の洗浄・縫合
朝鮮戦争のとき、キャンプに死体が運ばれ、死体を洗浄・縫合する仕事があった。報酬が一日1万円と高額だが、臭いがすごくて、長続きはしなかったらしい。今の青葉台公園のゲートボール場辺りに、包帯類が大量に埋められた。だから何度か地盤沈下が起き、整地をやり直している。
昭和30年代の栄町 出典:郷土出版社「朝霞・志木・新座・和光の百年」

昭和30年代の栄町

昭和30年代の栄町

出典:郷土出版社「朝霞・志木・新座・和光の百 年」

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