朝鮮戦争の頃を中心にした子どもの目から見た米軍基地と女性

田中利夫さん 洋裁講師 1941年 昭和16年生まれ
聞き取り日 2013年 平成25年10月10日

子どもたちの遊び
雀とり(棒で立てた籠に米粒をまく仕掛け)、トンボとり(竹ぼうきでとる)、チャンバラ、竹馬、ビー玉、パチンコ、ベーゴマ、竹細工のグライダーリム回し(自転車の車輪を木の棒で回す遊び)などなど
町の様子から
駅近くの稲荷広場が子どもの格好の遊び場。駅前に米軍専用のTRO(鉄道輸送事務所)があり、米軍担当者が詰めていた。進駐軍相手の洗濯が流行って、いくつかの民家が下請けで洗濯していた。昭和26年大関「千代の山」(後の横綱)が朝霞第一中学に巡業に来た。
米兵相手の女性達
当時、町のあちこちにパンパンと呼ばれた米兵相手の女性達が、米兵に声をかける姿が見られた。彼女たちは「白百合会」という組織に組み込まれ、会費を払わないと商売ができなかった。もぐりのパンパンには凄惨なリンチが待っていた。朝霞に流れて来た者は貧しく、住む場所のない人は広沢観音の御堂や民家の軒先で雨露をしのいでいた。彼女たちは気立てが良く、親元に仕送りしていた。
パンパン相手の貸し部屋が朝霞のあちらこちらにあり、玄関の三畳間を囲って貸したり、農家の物置を貸したりしていた。オンリーさんになると生活が一変し派手になった。
子ども達への影響
学校、町内会館などが夜の部屋になった。町のいたる所にコンドームが落ちていて、子どもたちはそれを膨らませて遊んだ。麦畑や茂みの中で「行為」を目撃することがあった。子どもたちの間では「のぞき」「パンパン遊び」が流行っていた。「のぞき」はパンパン部屋を覘くことで、中学生たちは根岸や溝沼へ遠征した。「パンパン遊び」は行為のまねをすることだが、中学生くらいになると実際の性行為になってしまうこともあった。

田中さんと田中さんが作成した紙芝居
田中さんと田中さんが作成した紙芝居

写真提供者 朝霞市

田中さんが制作した紙芝居
田中さんが制作した紙芝居
抱きかかえられる幼少期の田中利夫さん(1946年頃)
抱きかかえられる幼少期の田中利夫さん(1946年頃)

写真提供者 田中利夫さん

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