朝霞第六小学校とキャンプ朝霞は金網と有刺鉄線で仕切られているだけだった

高橋さん 1957年 昭和32年生まれ
聞き取り日2013年 平成25年11月3日

児童が見た米軍基地
朝霞第六小学校とキャンプ朝霞の一番近い建物は並行して建っていて、その距離は80メートルくらいだったと思う。アメリカ人が金網のそばまで来て学校を見ていることもあった。子どもたちが近づくと話しかけてきたりした。アメリカ人に「マネープリーズ」というと私に向かって手を出した。その顔はとても優しそうだった。今思うと、ベトナムから日本に来て、やがてアメリカ本国へ帰れるという安心感があったのかもしれない。ヘリコプターが頻繁に飛んできた。パイロットの顔が見えるくらいの低さだった。ヘリコプターが飛んでくると教室の窓全体がガタガタと振動で音がした。今となっては時効だと思うが、ヘリコプターをパチンコで撃ったことがある。おそらく命中したと思う。それくらいの低さだった。
独立記念日で基地の中へ
独立記念日に基地の中に入ることができた。入口でジュース、ホットドック、ゲームとか書いてある紙をもらって、それを各コーナーで交換した。入口を出たり入ったりして引換券を3枚くらいもらった。ホットドックの美味しさは忘れられない。自衛隊の駐屯地には、土器探しに今の武蔵大学辺りから何回か忍び込んだが、キャンプ朝霞は柵が厳重にしてあり、「許可なく侵入した者は日本国憲法により罰せられます」とあちこちに書いてあるので、怖くて忍び込めなかった。

日英両語表記の進入禁止の看板

日英両語表記の進入禁止の看板

ノース・キャンプ 南門(1956~1962年)

ノース・キャンプ 南門(1956~1962年)


写真提供者 大貫敏男さん

広告