跡地は当然「全面無償返還」を主張

oonuki
大貫敏男さん 朝霞市史編さん委員長 1932年 昭和7年生まれ
聞き取り日2013年 平成25年10月22日

1932年東京新宿矢来町生まれ。父が軍需工場の重役。兄が早世し、跡取り息子となった。「幼年学校に入り、士官学校を出て職業軍人になれ」と言われて育った。そのような環境だったので完全な軍国少年だった。
ヘリは15分に一度の頻度だった
米兵の負傷者を運ぶヘリの騒音が問題となった。中学の授業が中断する。議員で現場を視察したが、びっくりするほどの騒音だった。ヘリは来るだけではなく、折り返す。15分に1度の頻度だった。さすがにこれはひどいと、キャンプに申し入れをした。すると進路を変更してくれ、中学校の上は飛ばなくなった。ヘリポートも移動した。一中の石沢先生、保坂先生、清水口先生などと基地反対運動、返還運動を展開した。ただヘリの音を除いて、基地は静かで、中で何をしているか窺い知れない。だから一般市民は何も気づいていなかった。
朝霞西高の命名理由とは
基地の返還が決定してからも大変だった。「三分割・有償返還」には反対した。当然「全面無償返還」を主張した。県労評(埼玉県労働組合評議会)の人達と一緒に反対運動した。特別会計で基地の引っ越し費用を出すことにも反対した。畑和知事のとき、高校全入運動があり、「15の春を泣かせるな」がスローガンだった。基地の一部が返還され、朝霞西高校が出来た。その命名をしたのが私。駅から西に位置し、西高というのは有名校が多いという理由で命名した。

「基地の跡地利用は市民のために」のぼりが立つ
「基地の跡地利用は市民のために」のぼりが立つ

出典 郷土出版社「朝霞・志木・新座・和光の百年」

野戦病院のスチームパイプ
野戦病院のスチームパイプ

写真提供者 保坂和雄さん

住民無視の基地跡地利用計画
住民無視の基地跡地利用計画

出典 いちい書房「武蔵の国にひくら」

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