ベトナム戦争と隣り合わせの朝霞第六小学校

ogura
小倉充さん 元朝霞第六小学校教諭 1943年 昭和18年生まれ
聞き取り日2013年 平成25年10月30日

開校時の朝霞第六小学校
昭和42年、米軍基地野戦病院と隣り合わせの朝霞第六小学校開校。開校時の六小の校舎は旧川越高校分校の古い校舎を引き継いだものだった(現在の朝霞市役所)。設備や備品もお下がりだったので、机や椅子のサイズが生徒に合っていなかった。教室が足りなかったため、翌年校庭にプレハブ校舎を建て増しした。小さいがプールもあった。
金網の向こうは米軍基地
校庭と金網一枚を隔てただけで、眼と鼻の先に米軍基地があった。礼拝堂と思われる建物があり、夜に明かりが灯っていると、誰かが亡くなったのかなと思った。金網から数十メートルの所に野戦病院が数棟あった。食堂らしい建物には昼食時に米兵が並んでいる姿をよく見かけた。ヘリコプターのすさまじい騒音が問題となった。学校に週刊誌などのマスコミが来て、一時騒然となったことがあった。PTA新聞に騒音問題の特集号を作ろうということになり原稿を集めたが、ストップがかかった。政治的な内容を載せるのは良くないということだった。
朝霞の街と米兵
駅前の朝霞プールに地域の子どもたちがよく通っていたが、ある時「米兵お断り」の紙が張り出された。負傷兵は無検疫で入国するので、マラリアなどの疫病を持ちこむのではないかと市民は心配していた。負傷兵を乗せてベトナムを発った飛行機は、直接立川基地に着陸し、朝霞の野戦病院にヘリで運ばれたと思う。

ヘリコプターと小学生
ヘリコプターと小学生
ノースキャンプで談笑する負傷兵(昭和42~50年頃)
ノースキャンプで談笑する負傷兵(昭和42~50年頃)

写真提供者 大貫敏男さん

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