昭和32年から朝霞の歴史を調べ始める先駆者

kaneko
金子眞さん 進駐軍労務者 (当時)、小学校教諭 1930年 昭和5年生まれ
聞き取り日2013年 平成25年10月23日

天皇を見たら目がつぶれる
天皇陛下が陸軍予科士官学校に行幸したことがあります。当時、私は大和田高等小学生でした。竹の棒をささら状にして、藪をつつき動物を追いたてました。天皇陛下がお通りしたときに、蛇やたぬきが飛び出しては困るからです。その作業は3,4日続きました。行幸を道路で迎えましたが、持ち物検査があり、警備は厳重でした。今のように旗を振ってお迎えるようなことはありません。天皇陛下が川越街道を車でやってくるのを、腰を九十度折ってお辞儀する最敬礼の姿勢で迎えました。「見たら目がつぶれる」といわれてました。車が何台か通り過ぎましたが、どの車に天皇が乗っているのかわかりませんでした。弁当を食べて、見送りまでの時間を過ごしました。
進駐軍労務者として駆り出される
昭和20年9月、キャンプ・ドレイクで雑役夫として働きました。四市の一戸に一人は労働者を出せという命令で、進駐軍労務者と呼ばれていました。部屋の掃除、ガラス拭き、草むしり、それからクラブハウスのPX(売店)やダンス・ホールでビールを売る仕事等です。フランク永井やアイ・ジョージらが出演していました。キャンプ内には3千人~6千人の人がいました。キャンプ内への不法侵入はよくあることでした。ビールの交換や取引など、PXの横流しなど、毎日事件がありました。南栄は、飲み屋、バー、ダンスホールが並び、日本人は歩けませんでした。夜の女が出没し、中学校も夜の宿になりました。

予科士官学校本部前を進む昭和天皇(昭和18年)
予科士官学校本部前を進む昭和天皇(昭和18年)

出典 郷土出版社「朝霞・志木・新座・和光の百年」

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