徴用礼状(白紙)で召集、徴用工として被服廠で働く

hosono
細野留五郎さん 徴用工(当時)大工 1926年 大正15年生まれ
聞き取り日2014年 平成26年1月9日、23日

大仏様の首がない
朝霞大仏を見物しにいったことがある。大仏様の首がなかった。大仏様のお顔は、根津嘉一郎さんに似ていたという話を聞いた。銅でできた大きな蓮台があったが、あまりの大きさに驚いたものだった。小さな仏像が何体か並んで置かれていた。大仏製作はその後中止となり、弾丸になったということだ。現在武蔵大学グランド横のタンク(東京都水道局の調圧水槽)がある辺りは泉で、湧水が30から50センチくらい噴き上がっていました。
(注* 朝霞大仏原型は昭和12年2月に完成したが、根津氏がやり直しを命じ、再度完成したのが12月。)
徴用工として被服廠で勤務
昭和17年ごろ、徴用工として朝霞の被服廠に勤務しました。材料班で、物品の出し入れをする仕事です。倉庫とプラットフォームを往復する毎日。勤務時間は8時から17時まで。終業後、門を出るときは班単位で、服装検査があり、班長が出入管理簿に印を押しました。持ち出し品がないか等、厳しく管理されていました。常に10人ぐらいのグループで行動しました。東南側に3つある倉庫は、「東側倉庫」と呼ばれており、正門には石柱の門があり、「陸軍被服廠」と縦書きされていました。
一月ほど米軍基地で雑務役
戦後すぐのこと、一月ほど進駐軍の仕事をしました。集合場所は志木小学校で、トラックが迎えに来ました。仕事は、サウスキャンプで掃除や草むしりの雑務作業です。仕事は楽で、ほんの遊び程度のものでした。米兵と話をしてはいけかったのですが、親しくなるとたばこやチョコをくれました。

被服廠本部前での集合写真

被服廠本部前での集合写真

出典 郷土出版社「朝霞・志木・新座・和光の百年」

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