ベトナム戦争時代 1960年~1975年

ベトナム戦争開始にともない、朝霞の基地再整備、米軍野戦病院の建設が行われる。
負傷兵、ヘリの騒音、戦局悪化を目の当たりにすることになり、反戦運動や基地反対運動の盛り上がりに繋がる。

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朝霞市の情勢
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東上線
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ノースキャンプ 現在の川越街道より北側、朝霞市役所手前までの敷地
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サウスキャンプ 川越街道より南側、現在朝霞自衛隊駐屯地
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まちと暮らし

asaka 朝霞市の情勢
toujo 東上線
n ノースキャンプ 現在の川越街道より北側、朝霞市役所手前までの敷地
s サウスキャンプ 川越街道より南側、現在朝霞自衛隊駐屯地
man まちと暮らし

1960年 昭和35年
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3月:陸上自衛隊、朝霞に駐留(豊川から第一建設郡、立川から輸送学校)
3月1日:サウス・キャンプの一部2.64ヘクタール日本へ返還(税務大学、自衛隊官舎)
11月ごろ、東京オリンピック選手村は朝霞にほぼ決定と報道

1961年 昭和36年
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898号棟(リトルペンタゴン)改修。マイクロウェーブ塔(155フィート)完成。
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8月17日:自衛隊駐屯地に第一施設団編成、自衛隊体育学校発足
10月23日 東京オリンピックの選手村が、代々木のワシントン・ハイツに組織委員会で正式決定。米軍が極東情勢緊迫化等により朝霞の基地返還見通しが困難と判断したため
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5月:朝霞基地返還県民大会朝霞集会

1962年 昭和37年
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1月:米軍基地返還、理化学研究所移転計画発表

1963年 昭和38年
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3月29日:県立朝霞高校開校
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5月:高校全入と民主教育を進める会結成
朝霞高校建設運動

1964年 昭和39年
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1月29日:サウス・キャンプの一部、0.15ヘクタール日本へ返還(国道254バイパス)
10月 東京オリンピック大会射撃競技と近代五種の馬術と射撃競技が朝霞の根津パークで開催。
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5月:救急車を購入し救急業務を開始

1965年 昭和40年

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12月16日:ノース・キャンプに第249総合病院(病床数200床)設置(通称「野戦病院」)ベトナム戦傷病兵を立川からヘリで輸送
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陸軍予科士官学校本館の正面玄関に掲げられていた「菊のご紋章」など振武台碑付近に埋めておいたものを発掘

1966年 昭和41年
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10月15日:サウス・キャンプの一部、0.18ヘクタール日本へ返還(自衛隊官舎東側道路)
11月:ホークミサイル基地自衛隊朝霞駐屯地に決定
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4月:朝霞第二中学校開校(現第一中学校より分離)
7月:税務大学校開校
ホークミサイル反対朝霞町民大会
国道254バイパス開通

1967年昭和42年
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3月15日:朝霞市制施行 東上線沿線では、川越市・東松山市に次いで3番目の市制施行
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4月1日:市立第6小学校、ノース・キャンプ隣接地(現在は市庁舎)に開校
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1月10日 夜中に、ホーク発射台24基とホークミサイル74発が朝霞駐屯地に運ばれる。

10月 埼玉国体ライフル競技が朝霞射撃場で開催
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5月頃、第一中学校でヘリコプターの騒音問題が深刻化
朝霞市消防本部、消防署発足
教室の窓から見えるベトナム野戦病院

1968年 昭和43年

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8月26日:市議会は米国陸軍王子病院の朝霞(サウスキャンプ)移転に反対する意見書を可決
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ノースキャンプ1010号棟運用開始。新規マイクロウェーブ塔完成
3月31日:ノース・キャンプの一部、0.14ヘクタール日本へ返還(朝霞市役所東側道路)
6月16日 ノース・キャンプの第294総合病院で過去にマラリア患者が収容されていたことが判明。
野戦病院病床数は2000床を超え、1968年テト攻勢時には傷病兵が入れ替わり運ばれていた
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1月9日:マラソンの円谷幸吉、自衛隊体育学校宿舎の自室で自殺
4月:野戦病院反対、沖縄・小笠原返還朝霞地区集会
8月:朝霞市議会米軍兵士野戦病院の朝霞移転反対意見書
活発に行われていた学生運動家による野戦病院反対デモ隊と警察機動隊が市内にて衝突。

1969年 昭和44年
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3月29日:市歌・音頭発表会を開催
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引込線は新倉倉庫地区の閉鎖に伴い廃止(線路の撤去はもっと後)
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8月18日サウス・キャンプの一部日本へ返還(自衛隊朝霞駐屯地)

1970年 昭和45年
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第249総合病院の閉鎖を発表
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12月21日:米軍「在日米軍施設区域の整理統合計画」を発表(在日米軍空軍戦闘部隊の撤退)
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5月1日:第1次住居表示実施(本町・幸町・栄町・仲町・膝折町)
5月22日:地区労動組合を中心に「安保と朝霞基地をなくす会」発足
10月:朝霞石油基地反対運動

1971年 昭和46年
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3月4日:ノース・キャンプの一部、1.08ヘクタール日本へ返還(旧引込線路、及び旧中央工業㈱)
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3月:朝霞渉外労務官理事務所庁舎、ノース・キャンプの一部に完成
3月4日:ノース・キャンプの一部、1.08ヘクタール日本へ返還(旧引込線路、及び旧中央工業㈱)
3月20日:第249総合病院閉鎖
11月10日:ノース・キャンプの一部、0.07ヘクタール日本へ返還(朝霞渉外労務官理事務所)
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3月13日 第六小学校、現在地に校舎完成し移転
8月21日:自衛隊朝霞駐屯地、朝霞自衛官殺害事件発生(朝霞駐屯地警衛勤務歩哨係の一場哲雄陸士長(当時21歳)が、自衛隊の火器を強奪する目的で幹部自衛官の制服を着用して侵入した新左翼過激派によって殺害される事件が起きた。)

1972年 昭和47年
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1月28日:市議会は「防衛医科大学校米軍キャンプ内設置反対意見書」を可決
6月5日:市役所新庁舎が完成し業務開始
6月22日:市議会は「国有地払下げ対策特別委員会」を設置
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2月29日:ノース・キャンプ内、在日第7心理作戦部隊、座間へ移動

1973年 昭和48年
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3月31日:サウス・キャンプ内ゴルフ場閉鎖
6月20日:サウス・キャンプ内の大部分16.5ヘクタール日本へ返還(ゴルフコース・兵舎地区)
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1月22日:第三中学校開校
4月1日:武蔵野線開通、北朝霞駅開設
10月28日:朝霞市(自衛隊演習場)で初めて自衛隊観閲式を開催
○民衆による観閲式反対集会の開催

1974年 昭和49年
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8月13日:北朝霞区画整理事業により町名変更(北原・西原・浜崎・東弁財・西弁財)
12月7日:キャンプ朝霞跡地整備促進協議会結成(キャンプ朝霞跡地利用地元計画決定)
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8月6日:東武東上線朝霞台駅開設
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4月30日:キャンプ朝霞、陸軍部隊の機能停止。第5空軍部隊が横田基地へ移転
8月1日:ノース・キャンプ内、「第500軍事情報団司令及び調達支隊」座間へ移動
8月15日:キャンプ・ドレイク内、160人の人員整理実施
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9月6日:サウス・キャンプの一部2.8ヘクタール日本へ返還(プール地区)
12月5日:根津パークの大部分32.2ヘクタール日本へ返還(自衛隊演習場)

1975年 昭和50年
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6月:朝霞市総合振興計画基本構想策定
7月29日:北朝霞区画整理事業完了
9月19日:市議会は「キャンプ朝霞北地区跡地利用促進に関する意見書」を可決
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8月20日:ノース・キャンプの一部、4.1ヘクタール日本へ返還(市立小中学校用地)
9月8日:ノース・キャンプの一部、大蔵省から無償貸与(市立第8小学校用地)
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9月1日市民会館開館

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