朝鮮戦争時代 1950年~1959年

朝鮮戦争の開戦により、単なる占領軍ではなく、米軍の後方基地となり意義を増す。
基地周辺の商業はますます発展していく。ミサイル設置により、ソ連を直接攻撃できる拠点にもなる。
自衛隊も創設され、朝鮮戦争休戦後は、米軍の撤退縮小が検討される。

asaka 朝霞市の情勢
toujo 東上線
n ノースキャンプ 現在の川越街道より北側、朝霞市役所手前までの敷地
s サウスキャンプ 川越街道より南側、現在朝霞自衛隊駐屯地
man まちと暮らし

1950年 昭和25年
asaka
8月10日:警察予備隊設置
9月7日:「朝霞市売淫等取締条例」制定
性病の蔓延と風紀の乱れを防止するため、占領軍が売春取締りに乗り出し、娼婦は朝霞を追われ大和町(現:和光市)に逃げ込むが、9月14日、大和町に於いても「売いん等取締り条例」が制定
ns
7月8日マッカーサー、警察予備隊創設を指令(7万5千人)
マッカーサーの5大改革
・婦人参政権を認める
・労働組合の結成を奨励
・教育を民主的に改革する
・司法制度の見直し
・経済の民主化
朝鮮戦争により米軍帰休兵の基地となる
man
「埼玉の上海」等と呼ばれる。夜の女多数流入、風紀風俗大いに乱れる
この頃、戦車の修理工場作られる。日本人従業員は4000人

1951年 昭和26年
man
4月1日朝霞町公民館設置及び管理条例発令。
10月1日朝霞町警察署は朝霞地区警察署となり、朝霞町・大和町・片山村を管轄

1952年 昭和27年
n
9月ノース・キャンプにリトルペンタゴンの工事開始
米軍駐留軍の規模の拡大に伴いキャンプドレイクのステージに立つジャズシンガーが活躍。(渡辺貞夫、フランキー堺、江利チエミ、雪村いずみ、ペギー葉山)
s
4月1日極東放送FENの移転決定。
man
朝霞に初の映画館「朝霞劇場」開業(1957年まで)
5月 最初のオフリミット(米兵による南栄地区歓楽街への立入禁止)
5月 オフリミット解除運動
8月7日 朝霞町公民館開館落成(現在の南公民館の場所)
9月 県民と米軍親睦(日米連絡協議協議会朝霞)
11月 朝霞町簡易水道事業県より認可(昭和28年9月より一部通水)
第一回基地の子どもを守る全国協議会(横須賀)
「朝霞それは上海だ 流れ込む夜の女」『埼玉新聞』5/26 日本の上海と呼ばれる

1953年 昭和28年
n
5月リトルペンタゴンが完成(最終建設費約5億円)
8月9日朝霞・ジョンソン・熊谷米軍基地従業員の人員整理発表
この頃、米軍極東総指令部の置かれた庁舎(通称リトル・ペンタゴン)竣工。設計者はアントニン・レーモンド
s
9月ごろまでに、サウス・キャンプに極東放送局FEN開局

1954年 昭和29年
asaka
1月29日:町議会がノース・キャンプ1.24ヘクタールを川越高校定時制用地として払下要望を決議
7月24日:朝霞町議会「原爆使用禁止」を決議
man
3月16日キャンプ・ドレイク日本人従業員116名解雇
10月11日全駐労朝霞支部、解雇反対スト、MPとの間に乱闘事件発生 占領下の雇用、被雇用者の関係について問題が社会問題化する(朝霞事件)

1955年 昭和30年

asaka
4月1日:朝霞町と内間木村が合併。新「朝霞町」発足
s
5月15日:根津パークの一部2.48ヘクタール日本へ返還。(朝霞中学校校庭、朝霞警察署の一部)
8月22日:核弾頭発射可能なオネストジョンロケット砲が南キャンプに配備され、基地ペニシリン広場に置いて記者、政府、県関係者などに公開
10月14日:米軍、原子砲オネスト・ジョンを報道陣に公開。
man
2月20日:越戸川への基地汚水問題化
2月28日:米軍から朝霞中学校校庭敷地1.88ヘクタールの使用と根津パーク内の無断耕作者への退去命令がでる

1956年 昭和31年
n
4月28日:キャンプ大宮の主要米軍、キャンプ・ドレイクへ移動
5月20日:米軍三軍統合記念日 オネストジョン一般公開
8月11日:ノース・キャンプの一部1.22ヘクタール日本へ返還(川越高校朝霞分校)
man
根津パーク米軍演習 流弾事件

1957年 昭和32年
n
9月2日:ノース・キャンプの一部、大蔵省から払下げ(川越高校朝霞分校)
s
9月2日根津パークの一部、大蔵省から払下げ(朝霞中学校校庭)
man
7月越戸川への基地汚水問題、陽水機設置決定で一応の解決をみる

1958年 昭和33年

ns
米駐留地上軍、日本から前面撤退
man
10月28日朝霞中学校(現第一中学校)校舎竣工
11月6日朝霞中学校新校舎完成(入校式11/12)
5月28日キャンプ・ドレイク従業員607名の人員整理に対し140名を撤回
4月1日第四小学校開校(第一小より分離)
「朝霞キャンプから有毒ガス20人が中毒『埼玉新聞』10/16付「近くの作物にも被害 朝霞毒ガス問題」同10/17付
12月川越高校朝霞分校定時制新校舎、ノース・キャンプ跡に竣工

1959年 昭和35年
s
12月14日:根津パークの一部、13.12ヘクタール日本へ返還(武蔵大学グラウンド、朝霞高校、税務大学校グランド)
man
4月朝霞町政だより(広報あさか)1号発行

広告